努力を人に見せるのがダサいと思うのは僕だけだろうか 18.

時刻は午前3時30分。noteを投稿する時間は何となく朝6時に設定しているが、最近休みの日とかは早くに起きて文章を書くことも多い。大学生の時より睡眠時間が減ってしまった感がある。仕事の日は朝起きられないが、休みの日でコーチしに行く日は二度寝ができない体になってしまった。時間を有効利用できるので僕としては得な体質になって嬉しいなと思う反面、このまま行くと早死するのではないかと心配にもなっている(笑)。


努力に対する僕の考え方を綴る今回のnote。

基本的に、僕自身は努力することは割と好きだ。

努力すれば自分の理想に近づけるようになるようになる気はするし、人からも褒められる。それは素直に嬉しい。

でも、努力している姿をあえて他人に見せようとは思わない。「自分はこんなに頑張って努力していますよ!」っていうのを人に見せることがダサいと思うのは僕だけだろうか。

昔から、「私はこんなにも頑張っているんですよ!」とアピールしている人に何かで勝つことが好きだった。勉強とかテニスとかで。そういう自分頑張ってるアピールをする人がなんかあんまり好きではなかった。SNSに自分の写真を載せていいねを稼ぐことを生きがいにしている人からも同じ匂いを感じる。そしてそういう人に勝つことがかっこいいと思っていたこともある(笑)。今は他人と自分を比べることをしないように努力しているので、人生の勝ち負けに興味は無くなったが。

努力は他人に見せて評価を得るためではなく、自分のためにやるものだと思う。それを他人に見せたところで自分が得られる結果は変わらない。
たいていの場合、他人が自分を評価するポイントは努力の過程ではなく結果である。

僕が指導する子たちの中にも、「私こんなに頑張って努力しています!自分なりに。」って感じの子がいる。昔ほどそういう子を嫌悪しなくなったが、今でもそういうアピールをしている子があまり好きではない。僕は自分の見たものしか基本的には信じないので、コートでどんな行動をしているか、あとは試合でどんなプレーができているかでその子を判断するようにしている。

「自分なりに頑張って声を出しています。なのにコーチが評価してくれません。」って感じの子もいる。何か声が出ないようなハンデキャップを持つ子ならそれを僕も考慮するが、たいていそのようなことを言う子は本当はもっと声を出せる。

「影で壁打ちやランニングをしています。」という子もいる。そのように影で努力できることは本当に素晴らしいし、評価に値する。でも、それを過度にアピールする子は、結局わかってないなと残念な気持ちになってしまう。本当にできる子や結果を出す子は、そういった影の努力を他人に言わない子が多いと感じる。

あと、社会に出ると自分のする努力を適切に評価してくれる場面は極端に少なくなる。はっきり言うと、結果が全てという空気感がある。
うちのチームのように、限られたコミュニティの中では努力を評価しようと思えばいくらでもできるが、社会に出ると努力なんて関係ないと言われることが多い。結果が全てだと言われるようになってしまう。その中でその人が幸せに生きるためにできることを考えると、中学生の段階で、そのような社会の厳しさみたいなものを少し感じられるといいのではないかなと思う。


何度も言うが、努力できることは本当に素晴らしい。まずは努力できないと自分の望む結果はほとんどの場合得られない。努力は報われる、とまでは言わないが、報われたいなら努力する必要があると思う。

コーチに評価してもらいたいなら、口だけじゃなくて行動で示してほしい。僕は見たものしか信じないと言うが、逆に言うとコート上でその人の頑張りとか努力の成果が見えた時には手放しで褒めることを意識している。

僕自身もこういった文章を考えながら、どうしたら職場内で自分を評価してもらえるかを考えている。生徒に教えることで、それが本当に自分のためにもなっている。

こんなことをスケジュール帳に書きまくっていたら、1年経つ前にメモ欄が無くなってしまうのは当たり前だと思いつつ、改めてこのnoteというアプリは便利だなと思った。


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