その子の頭の良さは話せばすぐわかると 31.

昨日県内の女子の強豪高校にお邪魔させていただいた。
高校の先生とたくさんしゃべり倒させてもらい、たくさんの学びを得た。やっぱり自分たちと同じ志とか匂いを持った人の話は面白い。練習内容よりも先生との話が盛り上がってしまった(笑)

高校の先生との話はとても面白かったが、特に印象に残っていることがある。

うちのチームの子を見たり指導して下さったあとに、「あの子はすごく賢いでしょ?」とか「あの子は少し勉強が苦手でしょ」と先生が言う。そういったことをたった数分の間に見抜いていた。しかもそれはほぼ合っていた。

先生が言っていたのはは、「その子の理解力とか賢さに合わせて、例えば3つの教えたいことがあったとすると、理解力の弱い子には2つまで、賢い子は3ついければ4つ目まで教える」ってこと。

その子の受け取りのキャパシティに合わせて教えの数を変える。2つでパンクしてしまう子もいれば、3つは普通に理解が追いつき、プラスアルファで4つ目まで教えても大丈夫と思わせるような子もいる。教え子の顔色、表情、行動、返答などを見ればすぐそれはわかる。

そんなことをおっしゃっていた。
やはり何十年もソフトテニスの指導をしてこられた先生の話は含蓄があり、深い。

勉強ができることと理解力があることは、少し違うらしい。勉強の成績が良くても、テニスの理解力があるかどうかは別の話らしい。平均すると理解力のある子は勉強の成績もよいことが多いが、そうでない子も多いと。逆はほとんどいないらしいけど(笑)。
高校の生徒の中にも、勉強はできるけど、何度も同じことを質問してきて成長できていない子がいることも教えてくれた。それでも手を変え品を変え、その子ができるようになるまで粘り強く教えなきゃねと。

先生の話を聞いて、非常に勉強になった。自分が何となく思っていることとか感じていることを言葉にしてもらい、伝えてもらったことで、やっぱ自分が思っていることって他の人も同じことを思っているんだなと。

これがまさに、自分の頭を開放することで他人の頭の中をのぞくこと。僕がやりたかったこと。ありがとうございます先生。

たくさんの人の指導法を知り、頭の中をのぞかせていただき、そこから得た学びを自分の指導スタイルの中に入れている。そういう作業を繰り返していくことで、自分のスタイルがより洗練され明確になっていく。

その感覚が僕は好き。


ここからは僕が考えたこと。

「理解力」ってのは、体力と同じで鍛えることで伸ばせる力だと思っている。

賢さとか頭のよさって先天的なものだとか生まれ持ったものだと思っている人が多いけど、僕はそれは違うと思う。
全ての子に理解力は備わっていると思うし、違うのは理解するまでのスピードとあきらめず物事を考えることができるかどうか。

だから僕は全員に理解力を求めるし、その中でその子のキャパシティの限界を見極めて、その子の限界の少し先のことを教えようと思っている。嫌にならない程度に。
そしたら少しずつその限界が広がって、いつの間にか自分では思っていなかったほど理解力が上がっているってのが理想。


周りの大人とか親とかが、「この子は頭が悪くって~」と言い続けてしまうと、本当にその子がそうなってしまうような気もする。

僕も結構生徒に「頭悪いな~」とか言うけど、それも本当は良くないのかなあ。もっと頭良くなって欲しいという期待の裏返しなんだけど。

きっと勉強の成績は悪くても、自分が好きなゲームの知識はめちゃめちゃ豊富みたいな子がいると思う。それって、やっぱ理解力が備わっているってことじゃん。理解力無ければゲームに出てくる敵キャラの弱点とか、強い武器とか覚えてられないと思うし。(笑)

その方向を頑張って勉強とかテニスに向けられるようになれば、理解力は間違いなく伸びると思う。

理解力は勉強やテニスだけじゃなく、大人になってから様々なことに転用できる。自分で考える力がつけば、幸せな人生に一歩近づくことができるようになるのではないでしょうか。


最後に。

文章を書くたびに思う。

こんなきれいごと、いつまで僕は吐き続けれるだろうか。

書けば書くほど、自分は自分が書いたように生きられているのかな、って感じる。

とりあえず吐けるだけ吐いてみる。できなくなったら、まあその時に考えればいっか。

吐いた言葉は自分に返ってくる。言葉を吐くことで、自分もそうしなきゃって思うから、頑張ろう。

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