怒り力、怒られ力

「今日はあの子にこんなキツイことを言ったなあ。」

と、その日の夜に思う。嫌でも思い出してしまう。


怒られている子供たちの顔を見るのは辛い。まあ怒っているのは自分なんだけど。(笑)

怒ることが子供たちの成長にとって良いか悪いかの議論はさておき、中学生の指導をする上で生徒を怒ったことが一度もない指導者はいないんじゃないかと思う。

おそらくほとんどの指導者は怒ることと褒めることを繰り返し、生徒の成長を願いつつ指導しているだろう。

時代の流れと共に「怒ること」についての議論は年々激しさを増すが、どこまでが「指導」でどこからが「虐待」なのか、その線引きは曖昧なまま、現場は現場でベストを尽くしているのが現在。

部活での行き過ぎた指導により命を絶ってしまうような悲劇的なニュースを見るたび、心は痛くなり、同時に自分を客観的に見直すきっかけとなる。

いわゆる部活の強豪校では、厳しい指導など当たり前であり、生徒自身もそのような厳しい指導を求めに行っているところがあるだろう。自分も学生の頃は厳しく怒られるのが当たり前だったし、いい意味で怒られることには慣れていたところがあった。


「怒るのは、君に期待しているからだよ」


というアメとムチ的な指導方法が、完全に悪だと僕は思えない。

いや指導者側としてはね、怒るのは本当に君に期待しているからなんだよな。

社会に出ればそんなことは当たり前に行われているし、大人社会というコミュニティは結果にシビア。これは自分の完全な主観的な意見だけれども、部活で怒られていたことなどむしろ愛がある分ありがたいことだと思う。


いつか子供たちが成長したときに、必ず人間の「怒り」の感情をまっすぐに受け止めなければいけない時が来る。

それがどんな形かはわからないけれど、その時にいい意味で「怒られ慣れておく」ことは大切なんじゃないかなと僕は思うわけ。

理不尽に怒る人も中にはいる。そんなときには上手く受け流せばいい。でも上手く受け流すのって実は難しいから、怒られ慣れておかないとできないことだと思うんだよね。


怒る側の真意を汲み取る力ってのは絶対必要だと思う。

きっと強く怒られた時って、まずへこむよね。そして怒られる=恐怖になってしまった瞬間、怒る側と怒られる側でのコミュニケーションが上手くいかなくなってしまう。

怒る側も本当は「この人にもっと頑張ってほしい」と思っているはずなのに、怒られる側にそれを受け止めるだけの力が無いと、途端にその指導は「虐待」となってしまう。


そして中学生の指導の話に戻る。

中学生は大人と子供の間の時期で、多感な時期と言われる。つまり「相手の考えていることや感情に対して敏感になる時期」と言えるだろう。

そんな時期だからこそ、今書いたような「怒られる力」を育てるには絶好の機会だと思う。

ただ理由もなく理不尽に怒るのはダメだけど、きちんと怒るべきタイミングで怒ることで相手の心に何かを響かせるような「怒り力」が指導者には必要だと思う。

そして何より大切なのは、お互いに信頼関係があるかどうか。僕としては、ここに一番気を使っている。

タイミングを間違えてしまうと「虐待」になってしまうが、時間をかけて信頼関係を作ることで、その子に刺さる「指導」ができるんじゃないかと思っている。


あぁ、コーチになってからこの6年間ほどで何人泣かせてしまったかな。怒る側と怒られる側の気持ちを持ち合わせながら、絶対に忘れてはいけないことを常に思い出しながら、いつか良い大人になれる自分に期待する。

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