羽柴なつみの復帰と俺の話
両親が16の時に死んだ。交通事故だった。
土曜日のことで金曜日にたっぷり夜更かしした俺が昼過ぎに起きた時には両親は家におらず、食卓にはラップがかけられた朝食が置かれていた。夕方になっても両親は戻らず「晩飯どうすんだろうか」なんてことを考えていた時に警察から電話がかかってきた。
正直それからのことはよく覚えていない。ただ、猛然と時がすごいスピードで過ぎ去っていき、俺は何となく機会を逃して泣くこともできずにただただいろんなことに振り回されていた。
二週間学校を休んで登校した月曜日。迎えてくれたクラスメイトを見て、俺は「あぁ、俺はもう変わってしまったんだな」と痛感した。そこにいる誰もが「家に帰れば親がいる人間」で、俺は「両親がいない人間」だった。
休んでいる間は周りには大人(と他人の子供)しかいなかったので考えずにすんでいたが、これまでは「同じ立場だと思っていた人間」と接した瞬間に自分が「持たざる者」になったんだと思い知らされた。
ショックで体調が悪くなりその日は早退、その後、学校には行かなくなり結局、学校はやめてしまった。先生にもクラスで仲の良かった友人にもいろいろ心配してもらって止められたりもしたが、当時の俺は「言うてお前らは両親おるやんけ」としか思えなかった。お前らに俺の気持ちの何がわかるのかと当たり散らした。当時の知り合いとは全員疎遠になってしまった。
それから5年くらい、両親の遺産と保険金を食いつぶしながらすさんだ生活を送った。「なんで俺が」と世界の不公平さを呪ったし、誰も俺の気持ちはわからないと自分を孤独に追い込んでいた。
俺が死ななかったのは生来のズボラさからだった。昼に起きて「あぁ、死にてぇな」と思って、スマホで「死に方」とかをポチポチ検索しながらダラダラ面白くもないテレビを眺めてカップ麺を食って気づいたらもう夜で「今日はいいか」と思って寝る。俺が「最も死にたかった時期」と「マジで何をする気力もわかない時期」が被っていたおかげで、俺は、実際に死ぬ気力もわかなくて済んだわけだ。
その後どうなったかというと、ある日突然、マジで突然だったんだがグダグダダラダラ生きているのに「飽きて」しまったのだ。「なんかしてぇな」と急に思ったのだ。ただ、社会と断絶された生活を続けていた俺は、何かしたくても何ができるかわからず、その時にはもう周りに相談できるような人間が誰もおらず(親戚一同からはめちゃくちゃ距離を置かれていた。まぁ、それまでの態度を考えるとしゃーない)、父の仕事上の知り合いだったという、遺産整理をしてくれた弁護士に電話を掛けた(名刺を見ながら実際かけるまで半日かかった)
弁護士さんは金にもならないだろうにその夜、うちを訪ねてくれて(なぜか寿司を買ってきた)話を聞いてくれ、知り合いのカウンセラーを紹介してくれた。カウンセラーさんと話しながらいろいろ考えて通信制の高校に入り直し、その高校で紹介されたお菓子工場に就職し、今もそこで働いている。
立派かどうかはわからないが社会人になれた。あの頃は想像もつかなかった。
今考えるとあの「飽きた」っていうのがみんなが言う「時が解決してくれる」というやつだったのかと思う。両親が死んだばかりの頃の俺は「いや、両親は二度と戻ってこないのに時が何を解決してくれるねんボケが舐めてんのか」と思ったものだが、「二度と帰ってこないからこそ時が解決してくれた」のかもしれない。
事実は変えられないが時はたつ。記憶も感情も風化する。意外に「からっぽのまま」でいることは難しい。
今でも後悔しているのは、当時の友人たちにキツく当たってすべてを投げ捨ててしまったことだ。彼らは何も悪くなかったし、彼らの好意をもう少しでも素直に受け止められていればもう少し何か違った人生があったかもしれないと今になって少し思うのだ。当時の経験がトラウマになっているとまではいわないけど、友人を捨ててまったく作らなかった期間が長すぎて、他人とどう付き合えばいいのかよくわからず、今でも俺は友人と呼べる人はいない。
なぜこんなことを急に書こうと思ったかのかというと、羽柴なつみの復帰配信を見たからだ。
羽柴なつみはいわゆるVtuberだ。774.incが運営する「有閑喫茶あにまーれ」というグループに所属している、ハスキーボイスと隠し切れない「イイトコのお嬢様」感が特徴で、クールで感情的で意地っ張りで優しくて女たらしで、本当にいい子なのだ。
そんな羽柴なつみは1月末から突発性難聴で休止しており、1か月以上ぶりの復帰配信を昨日行った。Vtuber界隈では休止のまま引退、というケースがままあり、774.incは休止者のSNSを基本的に動かさないことから経過も不明で「もしかしたらこのまま」と考える人も少なくない中の復帰発表に、みんな喜んでいた。
復帰配信内で羽柴なつみは「片耳の聴力を失ったこと」を語った。それがどれだけショックだったのかということ、今でもその影響で大勢との通話が困難なこと、そして今でも死にたくなるくらい辛いこと。羽柴なつみは笑っていたが、俺は泣いていた。
羽柴なつみは本当に苦しい状況、気持ちのはずなのにファンに向けて自分の言葉で語りかけ、ファンのために復帰することを選んだ。衝撃的だった。俺にはできなかった。俺は何もできずただそこを逃げ出しただけだった。
そして、急にこのことを書こうと思い立った。
俺には羽柴なつみに言えるようなことは何もない。ただ遠くから配信を見ていたファンの一人にすぎないし、俺は片耳の聴力を失ったこともないし、仮に失ったことがあったとしても俺と羽柴なつみとでは立場が違いすぎて気持ちも何もわからないだろう。だからがんばれとも言えない。えらいとも言えなかった。うれしいとも言えなかった。ただ、彼女のツイートにいいねを押しただけだ。
その代わりにこの記事を書いた。
ただ、俺のことを書いた。
何も言えない俺が、ただひとつ期待したいことがあるとすれば「仲間のことを自らの手で投げ捨ててほしくないな」ということだ。ひとつ失ったからといって、もうひとつわざわざ自分で失いに行くことはない。単純に興味本位として、俺は投げ捨ててしまって後悔したから、投げ捨てなかったらどうなるのか、それを俺は見てみたい。
これまで散々楽しませてもらった上に今一番きつい羽柴なつみになんて要求をするんだと思うかもしれないが、しゃーない。ファンなんて自分勝手なもんだ。
この記事を羽柴なつみが読むことはたぶんないだろうとは思う。
それでもかまわない。何かを吐き出したかっただけだ。
そもそも状況が違いすぎると言われればそうだ。
それでも吐き出したかったんだ。
正直な話、これから羽柴なつみが活動を続けていけるかどうかはわからない。何かを失ってしまってそれでも前と変わらずに生きていくことは本当に難しいことだ。俺にはできなかった。
それでも彼女が活動を続けていこうと思ってくれている間は、ただ彼女のことを追いかけていきたい。そう思う。