腰痛 囚われ過ぎない ゆっくりと前に進む 無理はせずに 一つ一つ丁寧に 今日も、明日も、明後日も 一つ一つ丁寧に
泰然自若(たいぜんじじゃく) 落ち着いていて、どんな事が起きても落ち着いているさま ジタバタしても仕方ない それよりも、一つ一つ整理することが大切だと思う 今日も胸騒ぎに振り回されず、やるべきことを淡々とやる それが総じて○(まる)の日を作る
スピード感は、人と事実を欺く。 スピード感を発揮して行った行いの全ての後片付けをするようにしたい。 やり散らかしはダメです。 誠実に相手に向き合うにはそれなりの時間が必要なんです。 タイムセールをやるのは、誤った判断で行動させるためです。 いつでもいらっしゃい、が誠実さ。
先に行動した人が優先されるという罠について。 スピード感には確かに救うものはある。 ただ、そのスピード感を悪用する点を見過ごしてはならない。 一度決めたことでも、間違っていたり、不服であるならば、容易に撤回できる世の中がより人びとを慎重にさせ、誠実さを求むこととなる。
何だか色々と動き回ってみたんだ 様々な知らない新鮮な景色を見ることができた そして、 カラダやココロに意識を移してみたら、こんなことを感じた 歩けることがこんなに嬉しいんだって 意識を外に向けることも、内に向けることも私はできるんだって思った
沢山いいお酒や食べ物をいただいてきたなかで感じたこと。 そのありがたみがわからなくなってしまうこと。 結局のところ、お腹が空いたときに炊きたてのご飯をお茶碗にもり、そのお茶碗を持ちながら箸でいただく。 このときの嬉しさには勝らない。 ひとくち、ひとくちと噛み締める幸せ
多様性はあれど、何が好きで、何をしたいかを貫き通すことが今必要なこと。 周りに流されるのも一つ。 ただ、ひとときの辛酸を舐めたとしても。 我がゆく道を信じて貫き通したとしたら、 その価値は幾許か。 変化も必要だが、己を信じて一生をかけるものに出会い、それを求めよ
大切なことは我欲を捨て、利他に尽くすこと。 我欲を貪り、利他を忘れたときは、何かを失うことになる。 持ちうるものを全て手放し、共に助け合う空気感がなんとも言えない。
今までになかったことを新たにやり始めようという行動の時代、令和。 さて、行動することによる他者への損害に対する補償をいかにするか。法整備は大丈夫だろうか。 大枠として、遡及立法は不可なのだが補償することを考えて欲しいと思う。
今、何もかもが壊れてしまえばいいという発想をしているとしたら、おかしいのは私かもしれない。 学校の教員の鬱病が増えるのは、生徒の多様性とその親との齟齬やシステムの問題かもしれない。 マルトリと言ってはいるものの、それは正しいことなのか?
いつかは気づくだろう。 私たちはいくらスピードを求めても、それはチープだということを。 多くのものが壊れやすく作ると、ヒトはそれに合わせる。 トイレも、車も、さまざまなドアが手で支えないと壊れる仕組みにするだけで、後片付けをする、後ろを振り向く人間となれる。
どんどん私はズレていく。 昭和、平成を生きてきて、今は令和となった。 モバイルオーダーをする人と、カウンターでオーダーをする人の違いは、カウンターオーダーをする人の周りの人への心配りの足りなさを感じた。 高級なもの程壊れやすい。 その世の中が再来することを願う。
挨拶をしてもらえる人格になりましょうと言われたが、そんな話ができてしまうところが悲しい。 相手の事情を察することではなく、理解しようと努力するとこ。 立て直し。 さて、挨拶は誰に対しても尊重する気持ちに他ならない。 他者を大切にする心を今ひとつ見つめ直すのが必要と思う
挨拶をしない人に待ち受けてるのは、そのうち挨拶してもらえないこと。 計画的無視とやらをする算段なのかもしれないが、自分がどれだけ立派なのかを考えてみたらそんなことはできない。 周りの人がどんなひとであれ、挨拶できないとしたら、それはミラーニューロンが狂ってるから、認知の歪み
日本人の大人から奪ったものは 「ありがとう」 何かを対価にしなければならないとしたら、この「ありがとう」が廃れ、 自己肯定感が下がる。 心のこもった「ありがとう」が日本人にとっての素晴らしい言葉だと思う。 人のくちから発した「ありがとう」を最近いくらもらえただろうか。
次の私たちの必要なことは、誰かのために誠実ながらも気持ちを込めた利他を評価する何かを見つけることが必要だ。 我欲にまみれた世の中で、ただ純粋に、誠実に、人を助けたいという思いを貫く言葉や姿勢をいかにAIがつかむか。