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天下無双・「オレの日記」

湘南美術学院大船校に高校一年生から2年間通っているため、大船への知識は長けているつもりでいた。温泉の痛すぎる電気風呂とおばあ様たちの乳、水槽だらけの美味しいご飯屋さん、先端の屋上(当時好きだった人にほんま激キショPDFを送りつけてしまった)駅構内soupstockの強すぎるWiFi。しかし、、、、

立ち小便禁止>_<

え、こわ!!!!!!!!!!ここで排尿をし続ける人物は肝が座りすぎている。こんなに看板が増え続けても尚、トイレが間に合わないのか。文明人とは思えない。スラムなのか?大船は。ちなみに、

怖すぎるンゴねぇ

この看板群の裏はゴミ溜めになっていた。トイレもゴミ箱も知らない非文明人がいるのかもしれない。

知ったような気になっているけど何も理解してないことばかりだ。知る分かる喜び、を沢山感じたいなあ。世界の解像度が上がると毎日の質が少し上がるのだろう。そのためには、実際に自分の足でモノを確認しに行くべきだし、本を読んだら関連著書に目を通しておくべきなのだな。

つまりこれやね

私は1ヶ月10冊新書生活します‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️

と、大声で宣言することによってマジで追い込んでいく!(4月は達成)(5月はダメだった)(6月は頑張ります。・°°・(>_<)・°°・。)

大楠高校前

信号の看板に「大楠高校前」と書いてあるが、もう既に廃校になっている>_<私の通っていた小学校の隣にあって、偏差値38で、制服がバリ派手だった。
学童のアルバイトの大楠高生がとても優しく面倒を見てくれ、templerunも沢山やらせてくれた。元気かなあ。
大楠高校はAKBみたいなスカートの制服でめちゃ可愛かった。

虚無の提供

日本の美大受験はデッサンに比重を置きすぎているのが何故なのか、考察をした‼️まず、デッサンとは、目の前にあるモチーフ(3次元)を目の前の紙など(2次元)に表す作業である。この作業には、パースや空気遠近法、影を見極める力などが必要であり、これをやることによって描写力が上がる。(モノの構造やこの処理行為が身につくことにより出来る描画表現が沢山あるのだ。)つまり、現在の美大では、描画において脳の高度な情報処理を出来る人が評価される。
しかし、海外の美大では、デッサンは日本ほど重視されず(しかし相応の画力は求められた上で)ポートフォリオやエッセイがかなり見られている。(ポートフォリオとは、自分の作品の説明とプレゼンをまとめた資料のこと!)
アーティストのゴールは、モノをリアルに描くことではなく自分独自の作風を!追求し!それを他者に上手くアピールしていく力!だ!
しかし、美術の性質以前に、アメリカは超資本主義社会すぎて、美術をやって行けるほど触れられることがもう凄いみたいな。だから日本の受験方式が1番民主主義みたいな、のを見た。しらん!

中原による日本と海外の美大受験の差異まとめ

フェロノサによる日本絵画への介入→写実、空気遠近法等の西洋技術を追求→戦時中→敗戦→現代美術の概念を深く知ることなく、、→国柄

美術において、デュシャンが大きな分岐点だとすると。1917年にデュシャンの「泉」が発表された時、JAPANではまず1913年に岡倉天心(芸大作った人)が死んだり、日本画追求期(写実ゴリゴリ)だったから、コンセプトありきの美術の概念を知ることはなく、そのまま戦争し始めて政府は美術家に戦争賛美画を描かせたり、そのまま敗戦で余裕なくて、、、う、うーん、わからん、わからんわからん‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️キターーーーー

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モウイイ‼️(シュプリームの店員)

夢庵における理一理二理三

弟が10歳になった!

10歳かあ。10歳なあ。彼はコンピューター系の能力が長けていて、多分今の私よりも色々出来ると思う。凄いよねえ。タイピングめちゃ早いし。

彼の凄い所ランキング
3位 親族の前で歌って踊れるひょうきんさ。
私は小さい頃まあまあ恥ずかしがり屋で、祖母の前で歌を歌うことも出来なかった
2位 インターネットばかり見ているので、小4なのにバーバパパとかを見ている。
1位 未だにお姉ちゃん大好きと言ってくれる!小4なのに!従順なガキ。

私には年下の従兄弟しかいないため、お兄ちゃんやお姉ちゃんの存在を全く知らない。てか弟も7歳離れてるし!そのため兄弟という概念への理解が低い気がする。兄弟喧嘩をすると言う友人のことも全くわからない。いいな、してみたいな兄弟喧嘩。
弟とはかなり歳が離れているため、小さい時はよくミルクを飲ませてあげていたし、外に飛び出した時には裸足で追いかけたり、一緒によく分からんゲームしたり、最近は歯磨きを促して寝かしつけたり、、比較的良い感じの姉のつもりでいた。が、

中原家のアスカ(ネタツイ?これ)

唐突にアスカになる姉を持つのはどんな気持ちなのだろう。そして、エヴァネタがめちゃ通じる小4の弟も結構きしょいなって思った。

私が4歳のころ、父と母に連れられてエヴァンゲリオンQを見に行った。親族の結婚式の次の日だった。本当に何も分からず見たけどとりあえずカヲル君の首が吹っ飛んでベートーヴェンが流れるのがまあまあトラウマ植え付けられ案件だったのを覚えている。その後も、ママと家のテレビでエヴァのアニメをみたり、漫画を読んだり、まじ英才教育だったなと思う。シン・エヴァンゲリオン劇場版:||も母とみた!
案外、アスカになってくれる姉を持つのは高度な英才教育なのかもしれない。
(ちなみに、4歳の時にみたエヴァよりも、小2くらいに母とみたまどマギの映画の方がトラウマになった。ほむらちゃんが魔女化して倒されて悪魔になって普通に意味わかんなかった。マジでめちゃ怖だった。)
てか私は4歳の時にまどマギ、小2にノラガミとSAOなどを母と一緒に見ていた。ハードコアな家庭だと思う。うーん。

低燃費少女ハイジの生贄

私の時間軸では体育祭まであと1週間も無いのだけど😭私は赤団のパネルを担当させてもらっている。本当にパネルをやってよかったなと思っている。
私は今美術予備校に通い美術大学を目指しているが、昔から絵がとても好きだったというタイプでは無い。
美術予備校に通っている人というのは、小さい頃に絵画教室に通っていた人や、デジタル絵に長けてる人などが多い印象がある。が、私はそのどちらでもない。小学生の時に出川や相棒の右京さん等の模写をノートいっぱいにやっていたマジで謎の時期はあるが、(もっと言うと小1の時にペルソナ4のペルソナの模写してた。これはおもろい)人生において絵を全然描いていないし。思い返してみると、私が美術予備校通ったきっかけは、受験期に美大受験のインスタ漫画に出会ったこととYouTubeのショナビチャンネルを勉強の息抜きに見ていたことが大きいのかなと思う。そのどちらもデザイン科ばかり見ていたため、自分はデザイン科に行くんじゃないかと思っていた。
絵を描くことが好きというよりも、言語化出来ないものをカタチにするという美術の性質がとても面白いなと思って興味を持ち始めた記憶がある。だから、そんなフワフワの状態の私を高一の新学期から予備校に通わせてくれたのはとてもありがたいことだなと思う。親ありがとう。
そんな感じで、絵を描くと楽しい!という単純な美術の喜びをあまり実感したことないまま美術予備校にてデッサンを学び続けていた。だから、高一にて友人と描いた友人への似顔絵は初めての美術の成功体験だったと思う。

現在やっているパネルは、マジで美術での成功体験になると思う!努力して写実的に描く必要はなく、コンセプトや意義について考える必要もなく、クソでかいし、2万も貰ってるし、ただ好きに描いていけば良いだけで、指摘されることもないし。しかも自分の技術で処理できる所もまあまああって、人々はきっとこうやって描くことが好きなるんだなって理解した。この感情が今味わうことが出来たのはめちゃでかいと思う!ほんとに楽しい!だからやって良かったオメデトネコダンス♪ヘ(^・ェ・^ヘ)ミ(ノ^-ェ-^)ノ~♪

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