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「終わらない夢をずっと僕に見せて」

2022年1月25日。わたしのライブ初め。
2017年の横アリ単独ワンマンぶりにKEYTALKのライブへ行った。
冗談抜きで2時間弱最初から最後まで楽しかったし、ライブってこんなに楽しいものなんだって再確認させられた。

楽曲に振り付けがあることで「こんなのバンドじゃない」とか「アイドルかよ笑」とか、そんな言葉を投げられることが多い。いや、それがなんだよ。
音楽なんて楽しんだもん勝ちだろ。

これを書き始める時に、彼らのライブ映像を見た。
ある曲のコーレスの時に客席が映ってたんだけど、そこに映ってたお客さんのほとんどが満面の笑みだったんだ。

それを見た時に、なにかの媒体で「KEYTALKのファンは盛り上げ上手だ」とメンバーが褒めてくれたことをふと思い出した。
でもわたしは思う。それは違うよって。
4人こそが真の盛り上げ上手なんだよって。

KEYTALKは本当に全員が楽しそうに楽器を演奏している。
八木ちゃんなんてずっとニコニコしながらドラム叩いてるし。まあこれは本人も心がかけてるって言ってたな。笑顔で叩くように意識してるって。

ほかの3人もそう。
メンバー同士で背中合わせで楽器を弾いたり、積極的に目を合わせに行ったり。
2時間ほどの限られた時間の中でも、彼らの関係性がどれだけ良いものなのかを見せつけられてしまう。

MCでは恒例のメンバーや事務所の社長のモノマネをしたり、同じ話を何度も擦ったりしてくるけどもはやそれさえも愛おしい。
来てるお客さん1人残らず楽しませるって心意気が伝わってくるんだもん。そんなのラブじゃん。
4人で笑い合っている姿を見ていると、こっちも自然と笑顔になってしまう。4人が楽しそうにしていると、わたし達も楽しくなる。
この前のライブではこれらを身をもって体験したから、もっとKEYTALKのことが好きになった。

以前、わたしは違うアーティストの引退ライブに行ったことがある。
「葬式」をコンセプトにしていたため(普通にバレる)
参加者は全員着席、歓声や野次は無し、と忠実に葬式を再現していた。
MCもなければアンコールもない。
本人が最後の曲を歌い終わり、棺の中へ入って行く姿でこの公演は幕を閉じた。
その直後、会場内はファンが鼻をすする音、嗚咽に近いような泣き声、慰める人の声で溢れた。
いつもは「まだここにいたいよ〜」と駄々をこねるわたしだったが、あの日はすぐに会場を後にした。
こんな地獄、二度と味わいたくないと思ったから。

だからこそ、わたしはライブに対して「楽しい」という感情を人一倍求めてしまうのかもしれない。
日々の辛いことやストレス、それらを少しだけ忘れられるあの「非日常感」のようなものに助けられているから。
しんみりするライブなんて、アーティストの引退ライブかメンバーの脱退前ラストライブだけで十分だろ(極論)

そう、バンドというものはいつか終わりを迎えてしまう。
永遠に続いてほしいと思ってしまうのがファンの心理なのだが、好きなバンドがいつ終わるか分からない。
それは明日かもしれないし、何十年も先かもしれない。そんな、いつかやってくる「最後」をふと考えてしまってたまに悲しくなったりもする。

しかし、なぜだろう。
永遠なんてものがないのは分かっているけど、彼らを見ているとどうしても信じたくなってしまう。
前身バンドreal結成時から今日まで、メンバーが1人も変わることなく今年で結成15周年に突入するKEYTALK。贔屓目抜きでも普通にすごい。
ビジネス不仲ってネタができるのもシンプルに仲が良いからなんだよな〜〜ほんと好きすぎる(私情)

ああ…書きたいことを書いていたらオチ迷子になってしまったな…
とにかく、KEYTALKとKEYTALKの音楽が大好きだってこと。
これからもずっと、この4人で音楽を続けてくれよな。

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