見出し画像

「みぎ乳房全切除術(乳頭乳輪切除)・みぎセンチネルリンパ節生検」(わたしだけの乳がん物語 #15)


2023/9/7(木) 手術当日:入院2日目

手術は午後からだから時間の余裕がある。当日は朝から固形物の飲食禁止で、配布されたポカリ味の栄養ウォーターを指定された時間までにただ飲むだけ。朝は家族とLINE電話したけど、Aくんには今日手術するとはあえて言わなかかった。

最後のシャワーで髪も洗ってきれいさっぱり。ドライヤーは持って行かなかったから、自然乾燥ののち、念入りにオイルとヘアアイロンでさらさらに仕上げた。病室の洗面台前にある姿見は細くてうまく撮れないけど、最後に上半身の撮影もした。事前に自宅で撮影しておいてよかったと思った。そして手術着に着替えて待機。

病室を出る予定時間の30分前、両親がすでにいないわたしの唯一の肉親、お兄ちゃんに連絡。いきなりのお知らせでびっくりしたかと思うけど、すぐに「気を強く持って」と返信がきた。全身麻酔だから、万が一何かあったら家族をフォローしてねと夫の連絡先を記載したから、夫のもとにもすぐメッセージがきたらしい。夫がメッセージのキャプチャを送ってくれたのだけど、最後に「支えてあげてください」という一文があって、あら優しいと、じんわり涙が出た。

ありがとうと、さようなら

窓から外を見ながら、ずっと右胸を触っていた。感触と重さを確かめながら、今までありがとうねと。おかげでAくんもたくさん母乳を飲んで健康に育っているよと、感謝の気持ちでいっぱいに。

全摘か温存かを考える中で、乳房の役割をずっと考えていた。女性の象徴的な扱われ方が多いけど、本当にわたしにとっての象徴が胸なのかを自問自答した。ひとつ胸を失えば、わたしの女性らしさも半分失うことになるのか。ひとつ胸を失えば、自信も半分になってしまうのか。

乳がんで全摘したと言いたくない気持ちはどこからくるのだろう。正直、明確な答えなんて出ない。自問自答して、限られた選択肢の中から迷いながらも自分の気持ちに正直に選んでいくしかないのだと思う。46歳、出産して授乳を終えて更年期に入る時期。この段階だからこその価値観で選択したと思っている。これが年齢やライフステージはもちろん、症状も異なればまた違った選択になってくるはずで、病名は一緒だからといって一緒くたにできるものではないと感じる。いろんな要素の掛け算のもとに、「わたしの場合は」ということになるのだと思う。

がんができてしまって残念だけど、それもわたしの一部であり、わたしの体がつくりだしたものだから、嫌悪も恨みもなかった。ありがとう、さようならという気持ち。これからうまくいけば20年以上、右胸が無い体で生きていくなら、きっとそれが本当のわたしの体になっていくのだな。

いざ手術

14:15、いよいよ手術室へ。看護師さんと一緒に、診察を受けたブレストセンターや他の診察室、待合室の間をぬって自分の足で向かう。
手術室の前では何人かの先生がお出迎え。先生に囲まれている状態でいろいろ最後の同意や説明を受けていると、いよいよなんだな、もうすぐわたしの胸が無くなってしまうのだなという実感がして涙が出てきた。

ベッドに上がってテキパキと準備が進められている間も涙は止まらない。6人ぐらいいらっしゃったかな、みなさん優しい言葉をかけてくれる。「今怖いなと思うことはなに?」と聞かれたから、「怖くはないです。でも、もうすぐ胸が無くなってしまうのがさみしいです」と答えた。

麻酔のマスクをかけられて、何度目かの深呼吸をした後からは覚えていない。名前を呼ばれてパッと目を開けた。アバターの最後のシーンのようにパッと一瞬で目を開けた、と思っている。ガチャガチャとまわりの音を聞いて、ああそうだ手術したんだった、そして手術終わったんだと朦朧としながらも思った。なんなら今の方が夢の中にいるみたいな気がした。

酸素マスクはそのままに、目をつぶったままストレッチャーでぐるぐる回っているのが分かる。お部屋に着きますよーと言われ、ベッドに移されたのも分かった。でもまぶたが重くて目が開けられない。頭の中では寝ているのか起きているのかも分からない。お部屋に戻った時、今は17:00過ぎだと言っていた。

しばらくすると、執刀してくださった主治医や担当医、そのほかの先生がいらっしゃって、無事に手術は終えたこと、ケロイドになりにくいような縫い方をしたこと、リンパも問題なかったことを伝えてくれた。「ありがとうございました」と、はっきり言えた、と思っている。

長い長い夜

体は動きたいのに動かせないというより、そもそも動きたくない。カテーテルも無いし、あるのは手の甲に刺さった点滴と、むくみ予防の足のマッサージ機、ドレーンだけ。動こうと思えば右手だって上げられるし、余裕でスマホも持てるぐらいなのだけど、まったくその気が起きない。

無事に終わったのだから夫に連絡しなくちゃと思いつつ、スマホを持ってLINEする気が起きない。心配してるだろうな。

部屋に戻って2時間ぐらいしたら、看護師さんが来て一緒に立ってみることに。ドレーンポシェットをかけられて、一緒に立ってトイレに行ったら血の気が引いて一気に気持ち悪くなってしまい、急いでベッドに横になる。看護師さんも嘔吐用のトレーを用意してくれた。

夜に軽食をもってきてもらったけど、ベッドの背もたれを60度ぐらいに上げるとやっぱり血の気が引いて無理無理無理となったので、軽食はあきらめて、ゼリーだけ残してもらうようにした。Aくんにあげようと思ったから。

心配した夫から病院に電話がかかってきたと看護師さんが伝えに来てくれて、これ以上心配はかけられないと意を決してやっとLINE電話をかけた。この時点で19:15。頭はボーっとするけど、心配させたくもないから頑張っておしゃべりをした。食事中の家族の顔を見ることができた。2人とも心配してくれたけど、夫のおかげで楽しく食事しているみたいで顔を見れてホッとした。

電話を切ってからが長かった。とにかく眠たい気持ちはあるのに眠れない。眠ろうとすると体のあちこち、頭、鼻、耳、点滴が入っている手の甲、足、腕、お腹とあらゆるところが痒くなってボリボリ夜通し掻いていたと思う。

痛み止めは飲んでいたものの、不思議なもので「痛み」というのはほぼ感じなかった。痛くはないけど全身がしんどくて、乳房を切り取るという手術がいかに体への影響が大きなことなのかを実感したような気がする。

時間が経ったかなと思って時計を見たら30分しか経っていなかった絶望感。夜中に起きちゃった時のあるあるだけど、これが夜通し続いた感じ。2時間置きに看護師さんのチェックがあったから、1:30のタイミングで入眠材をもらって飲んでみたけどなかなか眠れず。3:30の時も結局眠れませんでしたと伝える。でも、頭も目もずっと覚醒していた訳ではないから、寝た気がしないだけで実際は寝ているのかもしれないな、なんてひどく曖昧な時間を過ごした。そして夜が明けた。長い長い手術当日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?