みかんとひよどり 近藤史恵/著 ★★★☆☆
題名などではなく、表紙に惹かれて読んでみた。
表紙からして、食べ物の話なんだろうとは想像がついた。
以前、同じように表紙に惹かれて手に取った本は、小説というよりレシピだった。
小説と思って手に取った側としては、残念だった。
なかなか人気の本なようで書店でもよく平積みで見掛けた。
それだけ人気があるのだから読んでみようかと思ったが、すぐに挫折した。
今回も、同じようなパターンか?と思いつつも手に取ってみた。
目次を見て、、、料理名ばかり、、、あぁ、、、と思いつつも読み進めた。
読んでみて良かった。
一気読みという先が気になって気になって仕方がないというタイプの本ではなかったけれど、数日かけて少しづつ読んだ。
各章は、料理名だったけれど、料理の作り方、その料理の歴史について語るだけのような退屈な本とは違った。
(そういう本を否定しているのではなく、物語を読みたい側として、小説として手に取った側として位置している時の心境として。)
物語としても読みやすく、食べるってどういう事か、自分が口にするまでにどんな段階があるか、どういう過程があるかなど、食べ物に溢れている今、食べ物に困らない現代、そこらじゅうで安価で手に入る肉、当たり前のように陳列されている肉を購入して当たり前のように食べてしまっていて、食べてしまえる今。
当たり前ではないよなぁと思った。
この本を読んで、皮のなめし工場に見学に行った時の事を思い出した。
薬液に浸かっている皮を見て、まだ毛や脂肪?肉?がついている皮を見て、自分の持ち物に対して改めて大切にしようと思った。
もともと物持ちが良い方だ。10年以上なんて当たり前で持ち続ける。
それでも、改めて大切にしようと思ったし、新しく革製品を購入する際は、本当に欲しいか必要か大切に出来るか吟味する必要があるなと思った。
その理由は、そういう状態にある皮を見て、必要なくなったから、もう使わなくなったから、あまり気に入らないからetc,,,という簡単な理由で処分するのは違う気がした。
みんな生きていたもので、製品になってくれたもので、それを安易に手に入れて、簡単に捨てるのは違うと思った。
あの時の情景と気持ちをこの本を読んで思い出した。
インスタグラムなどで、獣や犬猫など弱っている投稿を見て、心が痛く悲しい気持ちになる時がある。
でも、ある日、肉を食べている時に、そんなシーンを見て、そんな気持ちになったのに、こうして普通に肉を食べている自分を滑稽に不思議に思ったする時がある。
祖父は、鶏肉が食べれなった。
子供の頃、鶏を食べるのに自宅で飼育している鶏を自宅で調理する際、首から上がないまま走りまわる鶏を見て以来、鶏肉が食べれなくなったとの事だ。
本来、肉を口にするってそういう事なんだろうなと思う。
しかし、今は、そういう段階を飛ばして、食べたいと思うほとんどの肉を簡単に手にれる事が出来る。
殺生が悪いわけではないと思う。
必要な事もあると思う。
本当に必要なのかは、分からないところだけれど。
共存するには、必要な事なのだろう。
今、こうして人間が生きていく、暮らしやすくさせてもらうには、必要な事でもあるのだろう。
あくまでも人間側の都合で。
その上で、食べ物を口にする際、この肉が手元に来るまでに段階がある事を忘れないように、過程がある事を忘れないようにいたいと思った。
これらの事を認識しているだけで、購入する時、口にする時、まったく違う気持ちになり、食べ物だけでなくいろいろな事に対しても満足度が変わり、結果的に心が豊かになるのではと思った。
この本は、恩着せがましく、食べ物を粗末にするな!!大切にしろ!!と言うのでもなく、堅苦しく説明するのでもなく、ものすごく自然にそう思える本だった。
自然(現代の人間が暮らせてる、生存出来ている時点で本当の自然ではないのかもしれないが)で?緑の中で暮らしているシーンもあって、その情景を浮かべるだけで心が静かになり、都会で暮らしている自分にはとても癒しにもなり、ふと力が抜けている事も出来る良い本だった。
この著書の他の本も読んでみたいと思える読んで良かった本だった。
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