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憧れのピンクハウス①

ピンクハウス、というブランドの存在をいつどのようにして知ったのか、はっきりと覚えてはいません。


でも、何となくですが小学校3年生くらいの時ではないかと思います。


当時(95年頃)、ダイエーの子供服売り場に、フリフリの可愛いネグリジェ風パジャマが売っていました。


ドレスっぽいというよりは、ヨーロッパのお嬢様が着てそうなワンピースって感じでした。


まさに、サンリオのマロンクリームみたいな。


私はそのパジャマに一目惚れして、飛びつくように買ってもらいました。


ただ、パジャマなのが残念でした。


これがパジャマではなく、ワンピースにして売ってくれたら完璧だったのにと思いました。


なので家に帰ってから、「私、日常的にこういう服を着たいの」みたいなことを母に言いました。


すると母は、「じゃあ大人になったらピンクハウスの服をいっぱい買いなさいね」と言ったのです。


そこで私は、フリルやレースを贅沢に使ったロングスカートやワンピースは、ピンクハウスという店(ブランド)で売っているらしいことを知りました。


現代の子どもだったら、すぐに検索して「仙台に店舗があるらしいから連れてってくれや」とかなるのかもしれませんが、その時はインターネットのない90年代です。


また、今でこそ大人の服をそのままミニチュアにしたような子供服が売っていたり、0歳からドレスを着て写真館で撮影をするのがメジャーだったりしますが、当時はロングスカートは"大人にならないと着られない"という認識でした。


さらに田舎だと、ちょっとしたお菓子や雑誌ですら手に入らないことが当たり前なので、それがわかったら「しょうがない」で終わりでした。


それで私は、"いつかピンクハウスの服を着る"という漠然とした夢を持つようになりました。


ちなみに最近知ったことですが、ピンクハウスにはかつて「BABY PINK HOUSE」という子ども服部門があったみたいです。


それを母が知っていたのかどうかはわかりませんが、大人になるまで待つ必要はなかったようです…


初めてのピンクハウスは突然に(ただし青森)

中1の時、なぜか突然に夢が叶う時がやってきました。


青森にある母の実家に行った時、青森市の中心部で買い物をするついでにピンクハウスの店で服を買ってあげるよ、ということになったのです。


何でそうなったのかは覚えていないのですが、もともと母方の祖母はおしゃれで、私の誕生日にいつもデパートで服を買って送ってくれました。


祖母の送ってくれる服は、私の育った田舎には絶対売っていないような洗練されたものばかりでした。


だから私は、青森市って大都会なんだと本気で思っていました。
(これを言ったらいろんな人にドン引きされましたが…)


******


青森のピンクハウスは、あるデパートの中にありました。

(※今はもうないみたいです。ちなみにどこのデパートだったのかわからないので、もし知っている方がいたら教えてください)


記憶が断片的にしかないのですが、私はジャスコとかの子供服コーナーにしか行ったことがなく、どうしたらいいかわからなかったので、祖母と母が見立てるのを黙って見守りました。


そして「これ良いじゃない」と選んでもらったのが、シンプルな綿のカーディガンとキャミソールのセットでした。


値札に15,000円くらいの金額が書いてあったのを覚えていますが、セットでの値段か一枚ずつの値段かはわかりません。


色は落ち着いたピンクで、胸の辺りにはギンガムチェックの布が使われていて、ところどころ花の形に小さく切り抜かれたり、花の形の刺繍が施されたりしていました。


こうして書くとやっぱり細部まで凝っているなと思うし、実際普通に可愛かったのですが、私としてはもっと明らかにピンクハウスっぽい派手派手フリフリのものを期待していたので、ちょっと複雑な気持ちでした。


でも、値段的にもデザイン的にも、田舎の中学生に買うにはそれが最適だったのだと思います。


実際、その服は手持ちの服と合わせやすく、きちんとして見えたので、大学で関東に行ってからも私の一張羅的な存在でした。


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余談ですが、会計を済ませて店を出ようとすると、まさに全身ピンクハウスの人が店に入ってきました。


私は横目でその人の服だけ見て(わぁ素敵)と思ったのですが、一緒にいた伯母が小声で「男だ」とつぶやきました。


私がびっくりしてその人の顔を見ると、たしかに男性でした。


髪もきれいにウェーブのかかったロングヘアだったので、気づきませんでした。


その人は迷いなく店員さんのもとへ行き、慣れた様子で話をし始めたので、常連さんのようでした。


その様子を見ながら母は無表情で、しみじみと「あの人は本当にピンクハウスが好きなんだね」と言いました。


その言葉と母の態度から、私は「差別の対象にしてはいけない」という裏メッセージを読み取りました。


だからそれ以上何も言わなかったし考えませんでしたが、こうして思い出すと、あの人は今どうしているのかちょっと気になります。

たぶん50歳くらいにはなってそうです。

20年後

ピンクハウスのことを思い出したのは、昨年の秋でした。


衣替えの季節だけど、↓この記事にも書いたように、私の欲しい服はどこに売っているのだろうかと考えていた時でした。


私は去年の夏、「服が欲しい」という気持ちすらなくなり、一着も服を買い足しませんでした。


このぶんだと、秋冬も去年までの服を着回すことになりそうです。


私が持つ多くの服は、現代のよくわからないラインナップの中から「これならまぁ許せる」と妥協して買ったものです。



妥協したくないけど、お金も無限にあるわけではないし、探すのも疲れました。


だけど、なんかもっと、思い入れを持って着られる服に出会えないんだろうか。


そんなことを考えていたら唐突に、

「そういえば私、ピンクハウスに憧れてた!!」


と気づいたのです。


そうだ、ピンクハウスがあった。

ピンクハウスの服なら着てみたいかも!


私が普段買う服よりずっと高いだろうけど、こんなにも欲しい服が見つけられないなら、この機会にピンクハウスの服に挑戦したらいいのではないか?


私はスマホを手に取って、検索画面を開きました。

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