渋柿から我が子を守れ
昨年の秋、もう2〜3ヶ月前のことなんですけど、当時すぐに記事にできなかったので、今書きます。
実家の家族が、「柿をいっぱいもらったから少しあげるね」ということで、ビニール袋に柿を7〜8個入れて我が家に置いていきました。
中を覗き込むと、なんか渋柿が混ざってそうな感じの見た目でした。
私は甘柿と渋柿の見分け方がいまだにわからず、昔から「甘柿だと言われたのに、食べてみたら渋かった」という状況にたびたび遭遇します。
だから、3歳の息子とその柿を食べようとなった時、「まずママが食べて、渋柿じゃないかどうか確かめるね」と言いました。
息子は絵本で、柿に甘柿と渋柿があることを知っているので、おとなしく待ってくれました。
↑この本です。
知り合いに、もう50代だというお子さんの絵本をずっと持っていた方がいて、お孫さんも大きくなって読まなくなったからと、たくさん譲ってくれたのです。
ちなみにこの「二ほんのかきのき」は初版が1968年という古さなんですが、描写がいったいいつの時代の日本なんだろう!?と思うほど、今では絶対にありえない日本人の暮らしや近所付き合いの様子が描かれています。
そして調べたところ、今はほぼ絶版になっているようなので、手元にある絵本はとても貴重なものだと思います。
話を戻して、私は柿の皮をむき、一切れぶんだけカットしてかじってみました。
渋柿でした。
↑「二ほんのかきのき」の中で、よその家の子が渋柿の木とは知らずに黙って実をとって食べてしまった、というくだりの挿絵です。
まさにこの子と同じ状態になってしまいました。
息子は「二ほんのかきのき」を最初に読んだ時に「渋柿食べてみたい」と言っていたので、「食べてみる?」と誘ってみたのですが、目の前で悶え苦しむ母を見て怖くなったらしく、絶対に「食べる」とは言いませんでした。
その日は2個目の柿にチャレンジするのはやめて、りんごか何かをむいて食べさせました。
皮をむいてしまった渋柿は、もったいないのでお皿に乗せて放置しました。
すると24時間くらい経ったら、渋味が抜けておいしく食べられました。
さらにその翌日、私と息子はまた柿を食べようということになり、袋の中から2個目の柿を取り出して皮をむきました。
そして私が小さくカットしたやつをかじってみると
また渋柿でした。
嘘でしょ!!!
口の中にまとわりついて取れない渋味に苦しみながら、私は何でこんなに体を張っているのだろうと思いました。
…でもなんだか、自分が動物の親子みたいだなと思えてきました。
熊とか猿とか、あとツバメとか…
野生の動物の母親って、あらゆる危険から子どもを守っているのですよね。
そう考えると、なんか私、息子が生まれてから一番母親らしいことをしたかもしれない。
変なタイミングですけど、本当に母親を3年やってきて、すごくそれを実感した瞬間でした。
ちなみに、この件で腹立たしかったことがあります。
2回ともその場にいなかった夫に「渋柿って食べたことある?」と聞いたら「ない」と言われ、
「じゃあ食べてみてよ」と言ったら拒否されたことです。
私が体を張って2回も渋柿をかじったというのに、夫は無傷で済ませたのです。
この都会育ちがー!!!と思いましたが(夫は東北から出たことないけど、その中でも都市部にしか住んだ経験しかない)、よく考えたら渋柿を食べたことがない人がいるなんて、今まで考えもしませんでした。
そういう人は世の中にどのくらいいるのか、そして渋柿の渋味を知らずに生涯を終える人がどのくらいいるのか…
ちょっといろんな人に聞いてみたくなりました。
たぶん、一口に「食べた」「食べなかった」と言っても、その背景にはさまざまなエピソードがあると思うのです。
育った場所とか、親が毒味してくれたとか、柿が好きでいっぱい食べてたとかetc…
いろいろ聞けたら面白いけど、でももし私の息子が大きくなってから「渋柿はママが排除してくれたから」とか「渋柿の味見なんて一生したくありません」なんて涼しい顔で言ってたら、やっぱりそれは嫌かなぁと思いました。
いつか、息子にも渋柿を食べてもらったほうがいいのでしょうか?
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