『イザボー』を観たけどnot for meだった話

ミュージカル『イザボー』観てきました。タイトル通りなんだけど、『not for me』だなあ……と思った話をします。
商業作品である以上すべてのひとに刺さる作品なんて不可能なのは当たり前として、いままでにも「うーん、あんまり合わなかったな」という作品もいくつもあります。なので、この作品だけがイヤッ!という話ではない。
一回全部消えて書き直してるので、だいぶ簡略化してるけど許してね。

末満さん演出の作品は、映像では観たことあるけど舞台では初見。固定ファンも多い作家さんだし、映像ではそこまで「うーん?」とは思ったことがなかった。
主演の望海さんは去年ムーラン・ルージュで感動したので、割と楽しみにチケットを取ったんだよね。

劇場でこぼしている人がいるのを聞いてしまったんだけど、正直、「このキャストでやることじゃないな」がいちばんの印象だった。

・場面転換以外のシーン、たとえば歌唱中にセットを動かすところが多くある。
→セットの移動=場がかわりますよーという認識で観ているとちょっと気が散る。
・ロック調の曲に合わせた歌曲と、激しめのライティング
→ミュージカルよりライブっぽいな
・アンサンブルキャスト含めて横一列に並んで踊るシーンが多い
→上と一緒でライブっぽい。群舞じゃなくて、『発表会』(おゆうぎ会)ぽさがある。
2.5次元舞台(ハコが狭いことが多い)とか、宝塚(とにかく演者が多い)とかならわかるけど……。
曲も歌も、実力のある演者を揃えていてすごくいいのに、そこはかとなくダサいのだ。正直言うとここまで上手い人たち揃えて、ブリリアホールの規模でやること?って思った。
悪い言い方だけど、知名度がもう少し落ちたり、実力が少し足りなかったり、もちろんハコが小さかったりしたら、納得できたかもしれない。
『末満ブランド』でそのへんを底上げする、というならわかる、という話。でもさ、望海風斗さんはすでに『望海ブランド』があるわけじゃん。共演の甲斐くんや、上原くんや、上川さんや、アンサンブルキャストだってミュージカルで一線張れる人たち。
プリンシパルキャストにはそれぞれライブパート(ソロ曲)があり、歌はもちろんめちゃくちゃ上手くて良い。
望海さんイザボーの曲が埋もれるくらいに。
おまえもか南総里見八犬伝。あいつら全員スーパーサイヤ人。

イザボーは悪の華、『フランスはひとりの女によって滅び、ひとりの少女によって救われる』の、『女』のこと。
(少女はジャンヌ・ダルク)
でも、そんなイザボーにも少女のころがあり、純粋で、狂気に堕ちた夫(シャルル6世)を愛していて、幸せになりたい、子どもたちを幸せにしたい、という行動理念がある。ただしここにフランス国の幸福は含まれていないから、結果として悪女になってしまうわけだが。
イザボーにも人間らしい一面があって、物語のキャラクターのように単純ではない、というのはわかる。実在の人物だし。だからといってイザボーのみせる人間らしさに共感も同意もできない。「あ、この人もわたしと同じ人間なんだ」「イザボーもつらかったんだよね!」とは、ならない。悪役への理解って、本当に必要かな。共感だけが感情移入の手段かな。
自分も含めて、みにくいところ、残酷なところは人間なら誰にでもある。実行に移すかは、環境もあるし条件もあるだろうからそれぞれの判断だと思う。
イザボーの人間らしい一面を描くのが、彼女を好きにさせるためなのか、嫌わせるためなのか、分からない。たぶんそういう演出なんだろう。観客に考えさせたい、という。どちらかに振り切ったほうが分かりやすいし楽しめる人は多いと思う。それこそ、『この規模でやるなら』悪なら徹底的な悪に振り切ったほうが、刺さる人は多いんじゃないかなあ……。
シャルル7世がヨランドに、「イザボーは母親じゃない、よっぽどあなたの方が僕の母でいてくれた」と発言するが、イザボーが嫌われれば嫌われるほど、観客はシャルルの気持ちに寄り添うだろう。
ところで、ヨランド、ならびにジャンヌ(・ダルク)の掘り下げは不思議なほど少ない。彼女たちはイザボーの対極にいる(ようにみえる)人たち。そこまでやってたら時間が足りないのは分かるし、ジャンヌを演じているのはアンサンブルキャストで、少女エリザベート(イザボー)をも演じていた方なので、主要人物ではない、という扱いなんだろう。歌唱もない。そのわりにはジャンヌのシーンは長いが。歴史とジャンヌの逸話に詳しかったら補完できるけど、劇中だけでは消化不良なのでは……とは思った。

シャルル7世はヨランドの娘婿としてイザボーの手を離れ、ヨランドによって教育を受けている。兄たちが亡くなって王太子になるときに、イザボーから『王の子どもではない』(から正当な王位継承者ではない)と言われて悩む。
ジャンヌ・ダルクはその進軍に際してヨランドから金銭的援助を受けている。シャルル7世に相対し、彼がただしく王位継承者であると告げる(結果として、ヨランドはシャルル7世が王位につく手助けをしたことになる)
↑このあたりの話はほとんどされない。
悪のイザボーに対して善のヨランド、ジャンヌ、というような対比では描かれない。イザボーが悪タイプ単体じゃない以上当たり前かもしれないけど。

色々と消化不良に感じたし、「これが末満演出です!」って言われたら、単純に合わないから今後みるのはやめよう……、ってだけでいい。グランドミュージカルが好きならそれだけ観てればいい。実際に客層も微妙に違うのかな?とは思ったし。そうなんだけどさ。
『このキャストでやることじゃなくない?』は、グランドミュージカルを期待して観にきた観客もいるってこと。演者の仕事、出来映えに文句はひとつもない……ないけど……ってモヤモヤするのだ。身も蓋もないこと言うけど、サブカルの悪いところ出てんな〜、みたいな。サブカルは嫌いじゃないし揶揄する意図ではないです。
けして、悪を主役に据えた物語だから悲しいわけじゃない。戴冠を終えたシャルルがイザボーをたずねて抱きしめるシーンだけでも十分すぎるくらい、救いだと思う。他の誰にどれだけ嫌われようが、最後に残った息子に愛情を示されたらイザボーは報われてる。
『これが私の運命』『かかっていらっしゃい!』と高らかに笑って死にゆくイザボーは高潔でさえある。だからこそその潔さに全振りしてほしかったな……と思ってしまうのかもしれないね。


あとTwitterで言ったけど、ソワレ18時半開演はなんでなん??3時間あって21時半まであって、終演後は物販ないしトイレも使えません!とっとと出てって!ってするなら18時にはじめてくれよ。事情はあるんだろうけどさ。


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