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注射が怖い

高校生くらいの時期から、注射が怖くなった。
特にトラウマや原因があるわけではなく、ただ漠然と怖くなった。
注射の針を見ると身体の末端から血の気がサッと引く感覚がある。

つい最近だと、例のウイルスのワクチンを打ってもらうためにそういう施設に行ったのだが、目的地が近づくにつれて心拍数は上がり、手のひらは目で見てわかるくらいには汗でぐっしょり濡れていた。

小・中学生の頃は何ともなかったのに、大人になるにつれて何故怖くなったのか。恐らく経験を積むことによって、痛い思いをすることが少なくなっていった事が原因ではないだろうか。

小・中学生の頃は、「これをしたら痛い思いをする」という事が分かっていなかったり、あるいはそのリスクよりも好奇心が上回る場合が多々あり、その結果、多少の痛みに慣れてしまっていた。
そのため、注射程度の痛みに対しても恐怖心がなかったのではないか。
高校生くらいにもなると、痛みを感じる機会というのもあまりなくなり、静かに遊ぶ事が増えていたと思う。その結果として、数少ない痛みを感じるイベントである注射が怖くなっていったと推測される。

大人になればなるほど、肉体的損傷を受ける機会はなくなっていく。その中で注射という、約束された痛みを感じるイベントがある。それが怖いのは、仕方のないことなのではないだろうか。

痛みというのは、人間が病気や怪我などで損傷した箇所を修復している間、動かさないように警告する役割を持っている。
それを恐れずにいられるというのは、本来の役割を無視していることにならないだろうか。

痛みを恐れる心があるからこそ、人間は人間でいられる。その痛みを我慢することが美徳とされている事自体が、不自然なのではないだろうか。

ヒーローは痛みに耐えて立ち上がるが、これはフィクションの世界である。現実で同じように痛みに耐えて立ち上がり、戦ってしまえば取り返しの付かないことになってしまうだろう。

少し話は逸れるが、「ペインレス」という映画を知っているだろうか。
原因不明の病によって痛覚を持たない子どもたちが次々と生まれ、人里離れた保護施設に隔離されたという過去の回想から始まり、現代に生きる主人公が骨髄移植を受けるため、実の両親について調べたところ、衝撃の事実に辿り着く――。といった話なのだが、作品内に登場する痛みを感じない子どもたちは、キャッキャと楽しげに爪を剥いでいたりと、人間らしからぬ行動をしていた。

このように、人間が人間らしくいるためには、痛みを受け入れ、恐ろしいものであると認識する必要があるのではないだろうか。

だからこそ、声を大にして言いたい。

注射が怖いことは、恥ずかしいことじゃない。むしろ怖くないって言い張ってるお前らのほうが恥ずかしいんだぞ!

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