お金持ちには雅趣がある

私には貧乏を誇るなんていや味な、ひねくれた気持ちはない。どうかして、たっぷりとお金を残したいものだと、いつも思っている。恒産があれば恒心を生ずるといふ諺をも信じている。貧乏人根性といふものは、決していいものではない。貯金のたくさんある人には、やっぱりどこか犯しがたい雅操がある。
〜太宰治著「金銭の話」〜

太宰治は井原西鶴の「日本永代蔵」や「世間胸算用」を熟読玩味することによって、貯蓄の極意を体得しようと試みる。
「日本永代蔵」の有名な一節、「人の家にありたきは、梅桃松楓、それよりは金銀米銭ぞかし、庭山にまさりて庭蔵の眺め」のくだりに、双手を挙げて「全く賛成である」と同意するに至る。無駄をはぶき、金を貯めよと説く西鶴の教えに触発された太宰は、そっと立って台所へ向かうが、無駄は発見できなかった。

太宰を生んだ島津家は青森県金木の名門で、明治三十七年の多額納税者番付で県内第四位。太宰の祖父・三代目惣助が蓄財家で、島津家中興の祖であった。惣助の財布の紐は固かった。蓄財一路惣助のエピソードに次のようなものがある。

ある日、家人が夕飯に鯛を焼いていた。そこに惣助が帰ってくる。家人は近所からのもらい物と言ってのがれようとする。その時、惣助いわく「へば、しょうゆこも、もらってこい」。

お金持ちのお金に対するストイックさは、
凡人が思っている以上に常軌を逸っしています。それほどまでにしたのは、
お金は逃げやすく、留めておくのが難しいことを知っていたのでしょう。そして、お金は人生にとってとても大切なものであるということを強く理解していたのでしょう。

なにやら、
ケチという言葉にはネガティブな感情が含まれています。しかし、それはケチという言葉の捉え方を間違っているからかもしれませんね。

ケチ=お金の大切さを知っている
、と捉え直してみるとケチのイメージも変わってきますね。

ケチは『美徳』のひとつの形。

#お金 #ケチ #太宰治

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