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年末年始の話

去年の年末は、恐怖の10連勤を乗り切り、大晦日に実家に帰省した。
成人式もあったので、1週間滞在できた。
あまり地元は好きじゃなくて、だから大阪に出てきたのだけど、今回は田舎っていいなあ、と思える帰省だった。

大阪を発つ日、電車を乗り継いで関西国際空港に着いた時にはもうすっかり暗くなってて、なんだか既にほっとしてちょっとだけ涙出た。二滴くらい。

夜の時間帯=バイトの時間帯というのが染みついていたので、最近は夜が来るのが怖かった。
今日は明らかに疲れた体を誤魔化して笑って働かなくていいんだ、と思った。
夜のバイトは楽しくなくても怒っても悲しくても笑顔を貼り付けてなくちゃいけない。しんどかった。体も心も。

地元に着くと、空にたくさん星があって、のりたまみたいだった。(褒めてる)

受験生の時分、帰宅するのは夜遅かったけど、私はたぶん、これを見るために頑張ったんだな、と癒されていたのを思い出した。

食卓に座っているだけであれやこれやと出来立ての食べ物が出てきて、もちろんあったかくておいしくて、ちょっと涙が出た。久しぶりの、私のためだけの手作りご飯だった。
体調が悪くて何も食べる気がしなくて、朝から何も食べていなかった。
空っぽの体にたくさん食べ物を詰め込んでいると、隅から隅まで栄養たちが血管の中を泳いで行って、空いた隙間を満たしてくれる映像が浮かんで、ほっこりした。  
それくらい心に余裕があったし、ちょっとだけ充電されたような感覚だった。

新調された布団で、アラームをかけずに眠った。久しぶりに、朝も夜も怖くなかった。  

それからはもうずっと、ご飯を食べては寝て、猫と遊んで、ドラマの再放送を見たり、気が向いたら勉強したり、漫画を読んだりして気ままに過ごした。

外を眺めていても、人も車も少なくて、騒音なんかしなくて、ここだけ時間が進むスピードがゆっくりになってるみたいだった。

大阪では無意識に気を張っていて、休んでるけど休めてない、みたいなことが多かった。
これが実家は安心する、という感覚か、と思った。

けど、田舎はやっぱり退屈だった。
人が少ない田舎はつねに誰かに見張られているような気がして、外に出たいと思えない。

親戚や地元の友人と話すのは楽しいけれど、固定観念が強くて、閉鎖的な空間を認識せずにはいられない。

そのたびに、ああ、だからここから出たかったんだったな、ということを思い出す。早く大阪の家に帰りたいな、という気持ちになった。



此方の時間軸は午後8時、もうすぐ宮崎を離れます。

のんびりスローライフな帰省を過ごすことができて、自分を大切にするってなんだろう、ってよく考える時間ができた。
実家は、疲れてても体調を悪くしたときでも、いつでもご飯を作ってくれる人がいて、良くも悪くも話したいことを思うままに話せて、布団の中には一足早く猫がいて、あ、このまま実家に居ようって思った。

大学もバイトも人間関係も全部投げ出しちゃおうかな、と思った。


でも、それじゃあ地元を離れたい一心で頑張った過去の自分が失望しちゃうし、現在の自分は心身ぼろぼろだとしても良い刺激とライバルいっぱいの場所で頑張りたい意欲があるし、きっと今戻ったら将来の自分はなんであとひと踏ん張り頑張らなかったんだろう、って思うんだろうな。


なりたい自分になるための場所を選んだ以上、そうならなきゃ過去の自分が救われない。

それを達成するために、自分のキャパ範囲内で最大限の努力をする。これが難しいからバイト10連勤で体調管理できなかったんだけど。笑
バイトや勉強の力量配分をどう工夫するかは、これからぼちぼちコントロールできるようになったらいいや。

人間の遺伝子は90%が猫と共通しているのですよ。
困った時は猫の手を借りましょう。


どうせ頑張ったらできるし、頑張った結果出来なくても猫はかわいいし。
これくらいのスタンスでいきたいです。備忘録でした。

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