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気になる「不便益」という言葉~お母さんの店

イチゲンさんの入りにくいお店たち
実はコロナ禍の1年間に、僕のお気に入りの「お母さんのやってる店」が立て続けに3軒、閉店になった。
当たり前にある、と思っていたお店だったし、大好きだったからショックな事この上ない。改めてコロナを憎んだ。
こうした個人店はそれぞれクセがあり、一筋縄ではいかない。誰かに連れてきてもらえないと行きづらい店ばかり、という点である意味「不便」。店を楽しめるか楽しめないかは客側の力量にかかる「がんこオヤジの店」と同じだ。
そんな「お母さんの店」にももしかしたら僕は「不便益」を感じ、それが味わいたくて通っていたのかもしれない、と思った。

短い営業時間とオマケ

一軒目の店は、うちの近所にある「喫茶アポロ」。テーブルがインベーダーゲームになってる席もある素敵な昭和空間。
ランチタイムの約1時間半くらいしか営業していない。ほんとに僅か過ぎて中々入れない。
ふたりのおばさんが給仕してくださるのだが、ランチが不思議。例えば、生姜焼き定食を頼むとする。普通に十分なボリュームの豚生姜焼き定食がでてくるのだが、最後、サービスのコーヒーの付け合わせに「こちらもどうぞ!」とそこそこのボリュームの惣菜パン2個とか食パンとか.毎回結構な分量のパンを一緒に出してくれる。ランチの後半がモーニング、みたいなものだ。
オマケのインパクトが強い。さすがに惣菜パンが3つついた時は予めビニール袋に入って持ち帰りできるようになっていた。実はこのお店、2軒隣のパン屋と親戚で、売れ残ったパンをオマケにしてくれていたのだ。
一人暮らしの学生や夕方小腹が空いた時など、すっごく嬉しいプレゼント。
スマートでないバランス過剰な愛が、僕は大好きだった。
今パン屋さんの方は列ができる人気。こちらは大切に通いたい。
駒沢・喫茶アポロ 食後にパンが出るのは伝説になった。 | 怪猫ガイド / 猫好きが辿るグルメ地図

キャラ立ちすぎ プロお母さん

2軒目は、「居食処 いせや」。ここもすぐ近所。広い土間のようなスペースを客席にした古い日本家屋の居酒屋。
ここはおばさんのキャラが凄い。いつ行っても、元気、声がおっきい。トークも外見もただものじゃない。
通りに面した入り口のサッシの前を人らしきものが通る度でっかい声で「いらっしゃ〜ぁ〜い!!」。トラックが通っただけでも叫ぶからこちらがずっこけそうになる。
オープン当初はランチをやっていて、よく通わせてもらった。例えば、すき焼き定食。ほうれん草のおひたしや煮物など山盛りの手作り惣菜や味噌汁がついて「今日の牛肉は今半のお肉なのよ!」とか言いつつ1000円。お米など、ランチタイムに裏で精米してたり、器もよく見たらジノリだったり。
こだわりがすごくて、美味しくて、満足度はピカイチだった。

おばさんは「儲かんなくたっていい。皆んなが美味しい美味しいって言ってくれたら、それが一番。」と口癖のように言っていた。
ある日のランチタイム「おかわり用のご飯が終わっちゃったから、今ラーメン茹でてっから待ってて!」とか言って、時間のないランチタイムに店全員の客をおかわりのラーメン待ちにさせるとか、夜飲みに寄ると会計終わってから必ず何かをくれようとするんだけど、最初はリポビタンDとかだったのが、一度「今日はコレっきゃない」とかばんにしめじがワンパック入れられていたこととか、こちらも愛が過剰気味。
あと、とにかく僕の友人がおばさんの大のお気に入りで、彼と行くと他の客には「売り切れた」とずっと言ってた刺身の盛り合わせを、皆んなの前で勝手に出すから常連のお客さんから文句が出たら「アンタの食べる刺身は終わったンダよ。」と一喝。おばさんが買い物途中でも、お気に入りの友人と僕が歩いているのを見つけると、道路の向こうから大きく手を振って「ヤッホー!」と叫んだり。
100%可愛いお母さんだった。
僕は当時一人で会社をはじめたばかりで不安だらけだった頃だったこともあり、忙しい店を一人で切り盛りしているおばさんと話すことでとても励みになったし、いつも元気をもらっていた。
なのに、突然の閉店。
今は既に更地になってしまった。
「居食処 いせや」

ココにしかない味

そして三軒目は青山の「福蘭」。僕が大学生の頃にはあったのでかれこれ40年近くある料理店。
ここの看板メニューは餃子。その餃子は、他のどこにもない。揚げてるのか煮てるのか焼いてるのかもよくわからない独特の外見と食感。そしてニンニクいっぱいのタレをつけて食べると病みつきになりそうな美味しさ。家で真似して作ろうとしても全然違う。
さらに閉店まで「写真撮影禁止」の店だった。会社が近くにあった頃はよくテイクアウトさせていただいたが、帰りの電車内であまりのニンニク臭さに周りにいた女子高生に騒がれたことも。そのくらい匂う。臭う。
至ってシンプルな、キタナシュランにでてきそうな店構えで、営業時間は18時半から22時。けれど青山のキラー通りという場所柄、店内の雰囲気とは全く違うアパレル系が多いお洒落ピープルの店だ。昔友達が行った時は、隣の席にかのデザイナー川久保玲さんがいたそうだ。とにかくいつも「並ぶ店」だった。
すごく上品な姉妹でやられているのだが、僕は特にこのおふたりがオーダーの件などで静かに揉めたりしているのをカウンター越し見ながら、自分のオーダーを待つ時間が楽しくて嬉しかった。いわば「渡る世間は鬼ばかり」の実写版のよう。おふたりの雰囲気と店内や餃子のみた感じとのギャップがすごく魅力的に感じた。
「青山キラー通り福欄閉店!!」 

きっと「バランスの良さ」なんて求めていない
「お母さんの店」はどこもなんかバランスが悪かった。けれどどの店も愛情をいっぱい感じた。それは美しいデザインや映える料理でもなく、決してスマートではない流儀に戸惑いながらも、ちょっとした心のハードルを超えて味わった美味しい料理と素敵な時間だ。

お母さんたち、いつまでもお元気で!!
それはそれは寂しいけれど、
ありがとうございました!

これを「不便益」と考えるのは少し違うのかもしれないが、
「いつも同じサービス」「いつも同じ味」「程よいショップ環境」を求めるのならファミレスみたいなチェーン店の方がいいはずだ。
けれど僕はお母さんたちの店にもっと別の何かを求めていっていたことは確かだ。特に東京はどの駅で降りてもたいてい似たり寄ったりのチェーン店が多くて、刺激的なお店がどんどん減っている気がする。
そう、店に入るときの緊張感こそが、旅行の未知なる刺激と似ているのかもしれない。
「不便益」の僕なりの考察でした。

※「不便益」とは、文字通り「不便の益(不便から得られる益)」という意味。「便利にすること」を追求してきた時代から「AI生活では得られない人間らしい益」を考える点で、今僕が気になっているワードです。




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