仕事は毎日楽しかったけれど
楽しかったシアトルでのホームステイも終わり、帰国して、いよいよ就職活動。
貿易関係の仕事に就きたかった私は、船会社に就職が決まりました。その頃は、バブルがはじけた直後の頃。まだ、当時ははじけたとはいっても、バブル期のきらきらしたムードが残っていました。
外国の商船の仕事で、営業部に配属となった私は、毎日たくさんの電話を受けていました。商船の会社なので、お客さんは船会社に船のスペースをブッキングしてきます。船荷証券というお客さんの荷物の情報が載った有価の預かり票を発行する仕事もしていました。そのあと、船のオペレーションの部署の仕事もするようになりました。
海外の船会社の代理店も請け負っている船会社だったため、駐在員が常駐していました。多言語話せる人もいたため、英語、フランス語、韓国語、スペイン語、イスラム語、スロベニア語、中国語、会社の中で色々な国の言語が飛び交っていました。
社員たちの仲も良く、パーティも年に2回ほど、また、房総あたりへの旅行会などもありました。銀座に飲みに出たり、六本木に移動してディスコで踊ったり、イタリアンでボージョレ・ヌーヴォーを飲んだり、屋形船に乗ったり、ほんとにみんなで仕事も一生懸命したけど、とにかく色々と遊んでましたね。ただ、その当時はセクハラ・パワハラ・モラハラなんて概念がゼロで、今の若いひとたちが知ったらびっくりするようなことも色々とありましたね。
仕事は充実していて毎日楽しかったけれど、それでも、彼氏はいなくて、寂しかったので、実家を出て一人暮らしする計画を立て始めました。
そして23歳のクリスマスイブになりました。
専門学校時代の友達の一人、えっちゃんが、「クリスマスイブに、男女で集まって食事しない?」と誘ってきたので、とりあえず乗りました。えっちゃんは向こう側の連絡人、玉川くんのことが好きなのだという情報もその時に聞きました。はい、イブに予定がない(ステディさんがいない男女が8人ということになります)
男女4名ずつ。新宿のハワイアンレストラン。はす向かいに座る、村井くん、何というのか、ぱっと見はかっこいいんだけど、あまりピンときませんでした。その反対側に座る菅野くん。正直言って、最初は、あまりどうとも思わなかったのです。後は、玉川くん、そして、蟹江くん。
玉川くんのことを、えっちゃんはずっとハートマークな目で追いかけ、必死で相槌をうっていました。(えっちゃん、がんばれ)
ただ、蟹江くんに至っては、私の正面に座っていたのに、何だか古くさいメガネをかけているなという印象くらいで、大人しいし、ほとんどその日は記憶にも残っていませんでした。
帰り道、菅野くんと同じ方向で二人で話しながら帰ったのですが、にぎやかなタイプではなく、落ち着いていて知的な会話ができる人。
そして、なんと彼と私は一つ隣の駅。彼は一足先に電車を降りましたが、彼の暖かな笑顔は妙に記憶に残りました。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?