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Ichiroという名の素晴らしい選手がまだそこに居なかったころ

専門学校の授業の一環として、語学研修の体験というものがあり、米国シアトルでの三週間のホームステイプログラムに参加することができました。私も初めての米国、両親にお願いして行かせてもらいました。初飛行機、アメリカンエアライン。
機内にはすでにアメリカの空気が漂っていました。期待と興奮でいっぱいにいなり、ろくに機内で眠れませんでした。
現地に到着し、入国審査を終えました。空港の中は、地下鉄の駅のようにもなったおり、空港の別地点に移動するときの様子は、さながら未来都市のような感じだったと記憶しています。

空港の外に大きな観光バスが待機しており、私たち学生は目をきょろきょろさせながら乗車しました。 大きなバスが滑るようにスタート。道も日本と比較にならないほど道幅が広く、どこまでもまっすぐに伸びていました。あれれ、そうか、道も日本と逆で右側通行なんですね。
ホームステイ先のある、地域の教会の駐車場に到着。そして、初めて、ステイ先のホストマザーと対面しました。ジェフリーさん。大柄で、メガネをかけた優しそうなご婦人です。普段看護婦さんをしているそうな。 
挨拶をし、みんな解散して、それぞれの家に行きました。
庭が広く、広々としたつくりの家、半地下に食料や雑貨の貯蔵庫のスペースがあり、それこそドラマで観たような、ザ・アメリカという感じでした。
じきに、その家の娘さん、ドナが帰宅しました。私より2つ上のお姉さん。大学生で近所の男の子のベビーシッティングをしており、その日も彼を連れてきました。
デレク。金髪碧眼の、天使の様に愛らしい男の子で。4歳くらいだったかな。その日から、私に興味津々で私のそばを離れませんでした。

ご主人も帰宅。ご主人も穏やかな方。何度も私の前でチュッチュするので、日本人の私としてはなんだか目が慣れず、照れていました。(笑)
隣町で中古の家具やソファなどをリメイクするお仕事をされていました。初日の夕飯は、ごっついビーフの煮込みにグレービーソースをかけたもの。付け合わせのマッシュポテトも美味しかったです。お酒を飲まない敬虔なクリスチャンのご家庭でした。

翌日から早速、授業開始。教会の広々した会議室をお借りして勉強をしました。授業のブレイクに、現地の世話役さんが用意してくださった焼き立てのソフトクッキーやコーヒーでリフレッシュしました。ランチはマザーが持たせてくれたサンドウィッチ。紙バッグに、小さなリンゴも一緒に入っていました。ドナは放課後には、お友達の家に連れて行ってくれることもありました。ジェフリー家の別荘に行き、一緒にイチゴ摘みをし、そのイチゴでドナはイチゴパイを作ってくれました。確かそのイチゴは加工向きという感じで、生で食べても、日本のもののように甘くはなかった記憶があります。

レイニア山にも遠足しにいきました。ふもとは寒くなかったのに、山の上の方は雪が降っていました。それもそのはず、標高が4,392mあるとのこと。
珍しい鹿も見ました。ロッジのような山小屋のスペースで、名物のレイニア山のコーヒーで温まりました。
コストコにも連れて行ってもらいました。今から38年前になります。まだまだ日本には導入前でしたね。とにかく巨大な倉庫という感じでした。
写真付きの会員クレジットカードは、今でこそ珍しくはないですが、当時の私には色々と衝撃でした。私の滞在中、近所のスーパーに行ったのは見たことがありません。三人家族のジェフリー家はもっぱらコストコ頼みなのかな。まとめて大きなカートに様々なものをバサバサと投げ込んでいました。

また別の日には、夕方、シアトル球場に野球観戦に連れて行ってもらいました。マリナーズは当時、ほぼ最下位に近い弱小球団だとかジェフリーさんは解説していましたが、それでも地元の球団だからと、愛をこめてマリナーズを応援していました。
だいぶ後に、日本からイチローという名の素晴らしい選手が助けに行きますから、と私に予知能力があれば、教えてあげ、きっとホストファーザーに喜んでもらえたに違いないと、今の私は思ったりするのです。 
まぁ、私は野球のルールもよくわからなかったですが、球場に来ている人たちの雰囲気を見るだけで充分楽しめました。

そして、滞在中、二度ほどですが、和風の料理をふるまいました。火加減とかが慣れず苦労しましたが、喜んでもらえました。 ほかの友達は、ホストファミリーとうまく行かず、別のファミリーのほうに移動したとかいう話もあったようですが、
私は、お陰様で大変貴重な体験をさせていただくことができました。    
つづく


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