トイぺで結んだ百合の花
「おつなかでしたー」
私は配信を切ると、一つ伸びをしてから防音室を出た。ソファーに腰掛けスマホを見ると、愛しの嫁である裟々羅冥から連絡が来ていた。
『本当にピンチだから、トイレットペーパー今から取りに行ってもいいですか?』
私はそれを見てすぐに「いいですよ。大量にあるんで、なんならケースでお渡しするんで、軽トラで来てください」と、運転免許を持っていない冥さんにそう返信した。
「……本当に来るのかな、冥土から」
私は急いで部屋を片付け始める。
脱ぎ散らしてるわけではない、洗濯済みの衣類をきちんとジャンル分けされているチェストに詰めて行ったり、アウター類はハンガーに引っ掛けてクローゼットにしまう。
なんとか、冥さんが来るまでに足の踏み場を確保できたことに安堵していると、サーカスの寮の呼び鈴が鳴る。
「はーい」
きっと冥さんだと思い、インターホンのカメラで外の様子を伺おうとするが、真っ暗だ。
もしかして隣の部屋の音だったりして? とも思ったが、呼び出しのランプはやかましいくらい点滅している。
もう時間も0時過ぎ、正直女性一人で出歩くには怖い時間だ。もしかしたら幽霊……つまり、冥さん……なのか?
私は恐る恐る、玄関のドアの覗き窓を覗いた。
「ひゃっ!」
誰かが覗こうと、外側から、こちらを見ていた。
私は、ホラーが苦手だ……。震える手と脚。文字通りガクブル状態になっていた。
「あ、あ、あ、あのっ……ど、どちら様ですか……?」
「私だよ……?」
「へっ……だ、誰?」
「そっか……わからないか……」
ドアが壊れるくらい叩かれる。ホラゲ配信を寝坊でぶっ飛ばした罰ゲームか何かか?
「か、帰ってください!間に合ってますから!」
自分でも、何が間に合っているのかわからないが、とにかくセールスだったりを撃退するのはこのワードは必須だ。
しかし、怪異の類いにそんな言葉が通じるとも思えない……。
「開けて……早く!」
低音の効いた女性の声。まるでそれはゾンビ映画の女ゾンビのようだ。
玄関付近の寒さも相まって、私は震えが止まらなかった。
「ごめんなさい、なかみさん!本当に、もう……悪ふざけしたことは謝るから!」
「え……私の……名前??」
私は一つ唾を飲み込み、深く呼吸をして気持ちを落ち着けてもう一度覗き穴を見る。
「な……なかみさん……もう、漏れちゃう……」
「め、冥さん!」
私は急いで扉を開くと、冥さんの肩に扉がぶつかるが、冥さんはそれどころじゃなさそうだ。
私は冥さんを招き入れ、トイレへ案内すると、冥さんはものすごい形相でトイレへ駆け込んだ。
「ふう……あ、ちゃんと手は洗いましたよ? というか、すみません、取り乱しちゃって。いやー寒くて急に催しちゃって……」
私は、本物の冥さんが目の前にいることに感動していた。冥土から現世にやって来ても、いつもの冥さん(17歳+n)だった。
ローテーブルの上に、温かいミルクティーを置くと、冥さんは有り難そうにそのマグカップを両手で包むようにして暖を取っていた。
「それで……まさか本当に来るとは……」
「ただでさえとっ散らかってるなかみさんの家が、トイレットペーパーで埋め尽くされそうって聞いて、居ても立っても居られなくなって」
「別になんとか手配して配送したのに……」
私はさらっと馬鹿にされたような気がしたが、気付かないフリをして、ミルクティーを飲む。すると、玄関の方から何やら物音が聞こえ、私は慄いた。
「えっ!?まさか、またネズミ……!?」
私がそう慄いていると「私、見て来ますね」と、冥さんは立ち上がり玄関の方へ向かった。
私も物陰から恐る恐るそちらを見ていた。
あゝ、冥さん、なんてカッコいいんだ……。
「玄関の外から……あっ!」
冥さんは何かを思い出したかの様に玄関を開けた。
「え、ちょっと冥さん!?」
てくてくと、3羽のカカポチャンが入ってくる。カカポチャン達はこちらを見ると、わざわざ翼を広げて一礼をしてくれた。
「あー!カカポチャンだ!」
私はカカポチャン達を見るや否や駆け寄ったが、カカポチャン達は驚いて逃げてしまった。
「こら!カカポチャン、人の家で走り回っちゃダメでしょ!」
「いいよいいよ。私が急に近づいたのが悪いし」
「カカポチャンは甘やかすとすぐ調子に乗るからなー」
冥さんはカカポチャン達を整列させて玄関の土間に待機させた。
「……というか、なんでカカポチャンを?」
「運搬係で連れて来たんです。ほら、大八車を用意してきた」
冥さんの発想は斜め上を行った。冗談で軽トラと言ったが、まさかそう来るとは……。
私達は気を取り直して少しの時間お茶をすることにした。
「思ったより片付いてるね。トイレットペーパーのお礼にお片付けでもって思ってたんだけど……」
そりゃ、冥さんが来るってなると、急いで片付けますよ。
「そう言えば、ネズミってあれから……」
「ネズミってワード、ここでは言わないでください!!!」
私は冥さんにそう怒鳴ってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
冥さんは「でもさっき自分で言ってたよね?」と呟いた。
少し気まずい空気が流れ、冥さんがその沈黙を破った。
「まあ、早速積み込もうかな」
冥さんとカカポチャン達は、せっせとトイレットペーパーを大八車に積み込む……が、カカポチャンはずっと冥さんの足元をついて回ってるだけだ……。何のために来たんだ……カカポチャン。
「それじゃあ、なかみさん。今度は冥土に遊びに来てね……ってそれ死なないとダメやないかーい!ってね……」
私はその寒い冥土ギャグよりも、折角会えた冥さんが帰ることに、胸が少しキュッと締め付けられる感覚に襲われる。それは、淋しさというか、切なさというか……。
「め、冥しゃん!」
あ……こんなところで噛むだなんて。
私は何も考えずに、とりあえず冥さんを引き留めた。
「なかみさん?」
冥さんは恥ずかしさに俯いた私の顔を覗き込む。
「わ、私のここは、まだ片付いてない!だから……」
私は自分の胸に手を当ててそう言った。
「……やっぱり胸が大きいと凝るんだ……そっちも」
「ち、違う!内側のこと!気持ちというか……ああ、もう!全部言わせないでよ……冥さんの……意地悪」
私は赤面ながらまた俯いた。
すると冥さんは少し声を出して微笑むと、私を抱きしめた。
「こうして欲しいなら、ちゃんと言わなきゃ……」
「うぅ……」
冥さんの体温、そして心音が私に伝わる。
「冥さん、もうちょっとだけ一緒に居て欲しいな……」
「もう、仕方ないな……カカポチャン、ちゃんと帰れる?」
冥さんが赤いスカーフを巻いたカカポチャンにそう訊ねると、カカポチャンは全力で首を縦に振って冥土に帰っていった。
私達はリビングに戻ると、ソファーに腰掛けた。
天井裏から聞こえる動物の足音に、私は怯えると、冥さんは私の頭を撫でた。
「これが噂の……どうする、壁叩く?」
「え……いや、それよりずっとそばに居て欲しいな」
私は冥さんの手を握る。指と指を絡めて手を繋いだ。
「あわわわ」
冥さんは抱擁は照れずにできる癖に、恋人繋ぎをするとやたらに慌て出した。
「ふふっ……可愛い」
今度は私が冥さんの頭を撫でると、冥さんは猫のように私に甘えてきた。
顎の下を指で擽ると、可愛い声で鳴いてくれる。
「ね、冥さん……今日泊まっていく? もう遅いし」
「……そうね。というかそのつもりだったんでしょ? じゃあ一緒にお風呂入る?」
私達は一緒に入浴した後、私の寝巻きを冥さんに貸すと、少し胸元が伸びており、冥さんには緩かった。
憤怒する冥さんを宥めて、私達はベッドに入る。
私はまるで彼氏がやるように冥さんに腕枕をしてあげた。
「なかみさん……」
潤んだ目で冥さんが私を見てくる。
「冥さん……」
お互いの体温を伝えながら、そしてお互いの愛を汲み取りながら、私達は眠りに就き、朝を迎えた。
「じゃあ、私帰るね」
メイド服に着替えた冥さんを見送るが、正直まだまだ一緒に居たい……。
「冥さん、ちょっと待って……」
振り向いた冥さんと唇を重ねると、冥さんは目を丸くしていた。
「な、なか……」
冥さんの口を塞ぐ様にまた私は唇を重ねた。
荒くなる冥さんの息、熱くなる私の身体。
火照りを冷ます為に、寝巻きのシャツを脱いだ。
「冥さんも脱いで……」
「ダメ……着替えたばかりだし」
私は冥さんのメイド服の隙間から手を入れ、その柔らかい素肌に触れる。
「冥さん、冷たいね」
「なかみさんの体温が高いんじゃない?」
「そうかも」
私は閉じられていたボタンを開けると、冥さんの控えめな二つの丘に触れる。
「言うほど小さくない」
「でしょ?」
ただ、冥さんは私の胸をいやらしい手付きで触る。
「はぁ……」
「寝てる時、ずっと胸に頬当ててたじゃない」
「気付かれてたか……何ならちょっとだけ吸ったりしたけど」
私は冥さんの肌から手を離した。
「なかみさん?」
「これ以上は……我慢できなくなっちゃうから」
私は冥さんの乱れた服を整えてから、シャツを着直した。
「それじゃあ……冥土に帰るね」
「うん……お給仕、頑張ってね。冥さん」
冥さんは外に出るとスッと姿を消した。
私は途端に寂しさを覚えたが、冥さんに貸した寝巻きの匂いを嗅ぎながら、もう一度寝直した。
「あー冥さん……冥さん……」
私は抱き枕にそれを被せると、それを抱きながら寝ていた。
夢の中で冥さんに会えた気がする。けど、やっぱり本物の方がいいやと、どうにかもう一度来てもらう口実を作れないかと思案する。
『冥さん、トイレットペーパーありますか?』
そう問いかけてももちろん『貰ったばかりだから、もちろん、ありますよ』と返ってくるだけだった。
『冥さん、またネズミの足音が……』
『大丈夫ですよ!うちではカカポチャンがドテドテうるさいです』
次にまた冥さんに逢える時を夢に見ながら、私はサーカスの仕事に出掛けて行った。