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こっち側とあっち側

カウンセリングの勉強をしたことがある。その時にとてもお世話になった心理学の先生がいた。その先生がよくこんな図を書いていた。

「崖の上からではなく、クライアントと同じ立ち位置になって話を聴け」ということだ。その後、カウンセリングも心理学も遠ざけてしまったから、教えていただいたことについて、今となってはどうなのかとは思う。

カウンセリングの仕事をしたことはないが、それでも他人と話すときはいつもこの図がベースにあった。私が自分の意見を言うときでも、相手の考えていることを想像しながら話すのが基本だ。

「医療の嘘」について話すときもそうだった。

でも、「あなたの話ばかりで、私の話を聴かない!」と叱られる。相手から質問されたことについて、誠意を持って答えているだけなんだけれど。あなたの話を聴いて”やっている”、いつまでやらせるつもりなのか!てめぇのほうで、さっさと話を切り替えろよ!ということだろう。

そりゃあ、現行医療の信者さんだから、”専門家”という神官でもない人間の話など聴く価値などない。私とすれば、関係が壊れるのは覚悟の上だ。あなたが大事な人だから、言わなきゃと思うから言っているだけだ。

それでも、相手と同じ目線に立とうとしているから、ある程度は相手の考えていることが分かっていると思っていた。

だから、この茶番でも「○ロナ脳の人」が何を考えているのかを理解しようとした。

以前、どこかに書いたように、この茶番が始まったとき、私は喜んだ。これだけ分かりやすい茶番だから、「医療の嘘」に多くの人が気づくだろうと。

結果はご覧のとおりだ。少なくとも私の周囲は、娘と夫以外はオール・○ロナ脳。知的レベルが高いと言われる人たちなのに(だから?)、まだ分からないらしい。それこそ、私の理解を超えている。

もう、身内であっても、「○ロナ脳の人」を理解しようとするのはやめることにした。あの図も破棄する。考えてみたら、「驕り」だよね。神でもないのに、相手の見ている世界、考えていることが分かるって。そりゃ、あちら側が作った学問だから、そういうことになるのだろう。



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去年、液体注入が始まったころ、「もう、別々の電車に乗ってしまったんだということを理解せよ」ということを何人かの人が言っていた。私もそうだとは思ったけれど、感情レベルで理解したくなかった。

あっち側の電車に乗った人の姿がまだ見えていたのだろう。

ようやく、感情レベルで「むかう先の違う電車に乗っているんだ」ということを理解した。そうしたら、あっち側の電車に乗っている人が見ているであろう世界に合わせて対応するのが、とてつもなく不愉快になった。


こっち側の電車に乗り換えようとする人は大歓迎だ。


でも、あっち側の電車に迷いなく乗り続けている人と積極的に関わるのはやめる。自分が見ている世界と同じ世界が見えている前提で来られるから、お付き合いするのがとてもめんどくさい。言ったら悪いけれど、合わせる時間が長くなればなるほど、害になる気がする。必要があるなら、あっち側の人が私にコンタクトを取り、私に合わせてくれたらいい。それ以外はお断りだ。それで私のほうが特に困ることはない。

これからは、こっち側の人、つまり”生き残る人”のために奉仕することに力を注ぐことにした。




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