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仕事

「仕事」という言葉についていろいろと考えるのは、私が社会の落伍者だからだと思う。

「仕事だから」と言うと「この紋所が目に入らぬか!」と言っているようなもので、万能の言い訳だ。一昔前の女性であれば、夫にこれを言われると、「くやしい!キーッ」と思いながらも、黙るしかなかったのかもしれない。それで、夫が楽しいことをやっていた(少なくともそう見えた)から、あの思想団体が跋扈することになったのだろう。全ての男性がそうだとは思わないけれど。

これを、今は女性も言う。「私は仕事があるから、仕事をしていないヒマなあなたがやっておいて!」とは、さすがに言われなかったが、結果としてそうなる。お人好しの私は引き受け続けてしまったのだけれど、仕事(=お金儲け)をするもしないも個人の都合でしょ?と、いつも思っていた。PTAや町内のことだけではなく、子どもにも「仕事だから」と言っている人は多いかもしれない。

子どもが不登校もどきになったとき、不登校の子を多く受け入れている全寮制の学校を見に行ったことがある。自然が豊かな場所で、先生達もとても親身になってくれるとのことだった。でも、寮費、学費がバカ高くて、わが家にはとても出せない金額だったし、バスが1日1便しか走らないものすごく辺鄙な場所にあった。私は、お金を使って、穏便に子どもを捨てる場所のように感じた。子どもは通っていた学校からも住んでいる地域からも離れたいと言っていたが、ここはイヤだと言った。そこの生徒は、学校の先生の子どもが多いとのことだった。

もちろん、私がそう感じただけだし、今時、両親ともに仕事をしている家庭のほうが多いし、その学校の保護者が子どもより仕事優先だと考えている人ばかりじゃないと思う。

ただ、仕事が、全てに優先させるべきスバラシイことなのかと疑問に思うきっかけにはなった。

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さて、〔「職業」を意味する〕ドイ ツ語の「ベルーフ」》Beruf《という語のうちに、また同じ意味合いをもつ英語の「コーリング」》calling《という語のうちにも一層明瞭に、ある宗教的な―神からあたえられた使命(Aufgabe)という―観念がともにこめられており、個々の場合にこの語に力点をおけばおくほど、それが顕著になってくることは見落としえぬ事実だ。しかも、この語を歴史的にかつさまざまな文化国民の言語にわたって追究してみると、まず知りうるのは、カトリック教徒が優勢な諸民族にも、また古典古代の場合にも、われわれが〔世俗的な職業、すなわち〕生活上の地位、一定の労働領域という意味合いをもこめて使っていうBeruf 「天職」という語と類似の語調をもつような表現を見出すことができないのに、プロテスタントの優勢な諸民族の場合にはかならずそれが存在する、ということだ。・・・この語とそれがもつ現在の意味合いは聖書の翻訳に由来しており、それも原文の精神ではなく、翻訳者の精神に由来しているということだ。(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』「三 ルッターの天職観念ー研究の課題」p95より)

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引用しておいて言うのもナンだけれど、この本は注釈がとても多くて読みにくいが、ここの部分とその前後と注釈は何度も読んだ。というか、この本で覚えているところは、ここだけだ。

引用した部分を乱暴にまとめたら、

生活を支えるような世俗的仕事は価値がないと思われていたが、ルターは、それを神から与えらた尊い仕事だという意味に翻訳をした

ということだ。

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宗教改革を行ったルターの一つの大きな功績として、『聖書』を誰にでも読むことができるように”翻訳した”ことがある。それまでは、『聖書』はラテン語で書かれていて、聖職者の独占書物だった。一般人は聖書の内容を知らないから、「このお札(ふだ)〔=贖宥状〕を買えば、天国に行けまっせ」とお札の販売があったり、「この戦いに行けば天国に行けまっせ」というから、庶民が十字軍に参加した。ちなみに、贖宥状は期限付きもあった。「期限が切れたらまた買ってね♡」って。なんか、現代のあの液体と似ていない?

ルターが誰にでも『聖書』を読めるようにした功績は大きいけれど、翻訳には意味のずれが起きるのは必然。イスラームの聖典『クルアン(コーラン)』は、絶対にアラビア語だ。日本語訳など他の言語に翻訳したものは注釈書扱いだ。なぜなら、神はアラビア語で啓示をしたから。

ルターにはルターの考えがあったし、当時としてはそれは好ましいことだったと思う。だけれど、言葉が思わぬ方向に一人歩きをすることはよくあること。「お金儲け=聖」が広がった一つの原因として、ルターの翻訳があるだろう。現に、今もプロテスタントの多い国のほうが、経済的に豊だしね。


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でも、私は「お金儲け=聖」とは考えない。少なくともお金は目的ではない

自分が求めるというより、「仕事」は天から降ってくるもの。クリスチャン風に言うと、神がお与えになったもの。仏教風に言うと、ご縁があるもの。

で、私は基本的に「仕事」が好きだ。専業主婦だけどね。きっと超マイノリティ~~

また、新しい「仕事」が舞い込む気配がある。ありがたいことだと思う。と言って、来年の春以降だけれど。

まあ、それまでの仕事は、家族からの長電話のお相手をすることと、移住に向けての片付け・そうじと、「聖書」の勉強だな。おっと、Noteに作文を書くこともそうかもしれない。

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