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医療教

【ついに立ち上がる医師たち…その1】
いわゆる「専門家」でもない私は、もう1年数か月前から「○ロナの伝道者」の如く、新型○ロナに関する啓発活動を続けてきました。
そのなかでいつも抱いてきたのは、いったい医療関係者や専門家たちは何をやっているのか、という思いでした。
やはりそうではないかと思っていましたが、最近確認されたのは、こと新型○ロナに関していえば、多くのお医者さんたちは不勉強だということ。
本当に知りません。
確かに、目前の患者への対応に大童な方々ですから、新型○ロナのような新しい現象に関する世界中の最先端の研究情報を仕入れる時間はなかなかないのでしょう。
○ロナ感染症に関する誤った知識や認識がこれだけメディアから流され続け、国民には○ロナの真相が全く伝わっておらず、緊急事態宣言とか人流抑制などといった失策が、これだけ国民の犠牲を大きくしている。
・・・
(松田 学先生 7/26 FB記事より 一部改変)

○ロナのおかげで、今まで半信半疑だったことが、本当だったということが分かったし、ぶったまげるような事実も知った。

例えば、パスツールは死ぬ前に「細菌理論は間違っていた」と言ったそうだ。https://kakuyomu.jp/works/1177354054881040030/episodes/1177354054881084864

「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏は亡くなる前に、「ADHDは作られた病気の典型的な例である」と言ったという話と同じじゃん!

https://gigazine.net/news/20130529-adhd-is-made-by-industry/

仮説で儲けるって、精神医療だけじゃなく、現代医療の屋台骨もそうだったのか!

歴史もね、・・・なるほど、そういうことでしたかと。こちらも屋台骨級のお話。


また、様々なことが可視化された。

その一番は、この茶番に対する人々の反応について。これだけ分かりやすいのだから、いくら何でも気づく人は多いだろうと思っていた。しかし、私はインボー論にはまった困ったヤツと見られている。つまり、少数派だということ。子どものころから、バカだから賢くなりたいと思って、それなりに努力してきた。でも、正直、分からなくなってきた。努力の末、私が賢くなったのではなく、みんな、・・・なのか?

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⑴ 医者の不勉強

医者は分かっていないというのも、今回の騒ぎで可視化された。医療者が先行して打ち始めたときに、打ったお医者さんもいるようなので、正直驚いた。もし分かっていて打ったとしたら、雇用のためなのかな。雇用と天秤にかけても、私なら受けないね。死んだら、雇用も何もないから。

この騒ぎの前から医者を信用してはいけないと思っていた。子どもを医療被害に遭わせたから。自分の処方する薬の作用も知らないんだもん。それが、市の教育委員会御用達の医師だから。行政も信用できない。精神科だけかと思えば、他の医療も。現行の医療は戦場の医療と言われるから、救急は別としてね。

医者は、添付文書を見るのではなく、製薬会社の営業(MR)が持ってくる、カラーの美しいパンフレットを見て、薬の知識を得ているというのを、前に聞いたことがある。

薬って、あめ玉じゃない。添付文書は、ネットで公開されているから、少なくともそれを見てから薬を飲むべき。医者は読んでいないと思ったほうがいい。自分や大切な人の大事な身体だから、医者任せにしてはいけない。私は、読んだら、飲みたくなくなることのほうが多いし、読むのがめんどくさいので、できるだけ病院には行かないことにしている。

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⑵専門家とは

子どもを被害に遭わせてから、「専門家」って何だろうというのも考え続けた。専門家になるには、もちろん本人の努力もあるけれど、煎じ詰めれば、「お金」だと思う。教員免許と医師免許じゃ、大変さも格も違いすぎるけれど、私はお金を積んで、資格を得たと思っている。

また、最近、どっかの大臣が「医師免許を持っているにもかかわらず、デマを流す人もいます」と言った。国家資格を持っているなら、国家の意向に従うべき、「権力の手下」である自覚を持てということだろうか。

「お金」と「権力の手下」を具現化したのが「専門家」。もちろん、個人個人の思いがあるとは思うけれど、制度としてね。

「お金」と「権力の手下」の権化を、人々は崇拝する。ありがたいお言葉とおふだ(処方箋)をいただいて。医療教の神官のようなものかな。だから、私のような素人が、「気をつけてね」と心配すると、激昂され、罵倒される。

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・・・ここに述べたことは、一貫して、 そのまま世界の主要な宗教についてもあてはまります。それらはみな、共通の基盤の上に成り立つものであり、どの宗教もひとしく、すぐれた聖者たちを輩出させています。
・・・わたしたちは、あらゆる人にたいして――高徳の人にたいすると同様、邪(よこしま)な人にたいしでも、また敬虔な人にたいすると同様、不信心な人にたいしても ――ひとしく敬意をいだかなければなりませんが、 だからといって、 無宗教にたいして寛容であってはなりません。
(ガンディー 『獄中からの手紙』 10寛容即宗教の平等(一) p71)

宗教間の絶え間ない争いに悩んでいたガンディー。ガンディー自身は熱心なヒンドゥー教徒だが、イスラーム、キリスト教など他宗教についてもよく勉強していたと言う。キリスト教については、「イエス・キリストは好きだが、クリスチャンは嫌いだ」と言ったとか。私も同じだ。歴史の数々を見ればそうだし、子どもを被害に遭わせたあの心療内科の壁に聖句が貼られていたなど、色々ある。

ちょうど一本の樹は幹は一つですが、枝葉が無数にあるように、真の完全な宗教は一つですが、それが人間という媒体をとおして表わされるときには多となるのです。(前掲 p70)

話が逸れたが、彼はメタ宗教とも言えるようなものを考えていた。どんな宗教も不完全だが、目指しているところは同じだということ。

が、「無宗教にたいして寛容であってはなりません。」と、「無宗教」については否定している。

人間は強くない。信じるものがなければ、生きていけないと思う。無宗教のすきまに、邪(よこしま)なものが忍び込んでくる。それが、分かっていたのだろうな。これは、そのまま、この国の姿だと思う。

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医療教って、どこに繋がるのだろう?

お金と権力って、どこに繋がるのだろう?

そういうことを考える人は、あまりいないのだろう。だから、騙される。

リアル界で私は、オウム真理教か何かのカルトにはまっているように思われているようだ。それを、「意見の相違」という耳障りのよい言葉に置き換える。

上から目線だ。

戦争が終わって、ナチスの悪行が白日の下に晒された。今回は、人がバタバタ死んで、「おかしい!」と言う人もいなくなって、ようやく収束するように思う。だから、あちらもこれほど強気だと思う。

私のほうが“カルト”で死んでも、「意見の相違」と言っている人たちが、生き残ってほしい。私より若い人たちだから。


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