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想いと時と感謝をこめて、あなたへ。

こんにちは。昨日の大学での滞在時間はわずか30分だったのに、その間に落とし物をかましていたことが発覚しました、みうです。
悲しい。見つかったから良かったし安心したけれど、自分の行いが悲しい。昔からよく物を失くす質だったけれど、このレベルまでくると悲しい。その一言に尽きます。

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特別の象徴、手紙

突然ですが、皆さん、手紙って書きますか?
手紙と言っても色々ありますが、私は手紙が大好きです。

読み手としては、なんだか相手の本心が書かれているように感じるから好きなんですよね。
手書きであるだけで特別感のあるこのご時世、しかもその文字が「自分宛」だなんて、ちょっと大袈裟かもしれませんが素敵なことだと思います。

一方、書き手の目線で考えると、本当は言いたくても恥ずかしさなどから面と向かって素直に伝えられない言葉を綴ることもできるし、頭の整理をして、話すときより分かりやすく伝えることもできます。
あとは、いい意味で「自分の思いの丈をひたすらに聞いてほしい」時にも手紙は有効的でしょうか。

そして何よりも手紙の特徴は、相手のことを考える時間が増えること
読み手としては、読む時間はもちろんのこと、その人がどんな気持ちでその言葉を選び、文章を組み立て、文字に起こし、封筒に封をしたのか、そんなことを考えている間も、ずっと贈り主のことを考えているはずです。
書き手もまた同様に、どんな言葉で伝えたらいいだろうかと考えたり、これを受け取った相手のことを考えたりするうちに時間は過ぎていきます。

私にとっては、手紙特有の「即時性の薄いコミュニケーション」がこの上ない安心材料でもあります。口頭やチャットって、即座に返事を求められることが多いので少し苦手に感じる時もあります。
早く話さないと思って焦ると、自分の言いたいことがすぐ出てこないこともしばしば。
その点、手紙はゆったり時間をとって書けますから、自分の思いを丁寧に綴ることができます。

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そういうわけで手紙は自分の性格に合っているし、だからこそ大好きです。書くのも、もちろん受け取るのも。

昔はあまりそんなに考えたことがなかったものの、そういう理由からでしょうか、私は昔から節目ごとに手紙を贈ることを習慣にしていました。

何かお世話になった人に、その人との節目ごとに手紙を贈っていました。
特に別れの時には欠かさず。

先日紹介した、中学時代の同級生にも。特別お世話になった先生にも。

やはり、手紙を書いていた自分の背中を思い返すと、その頃のことが鮮明に蘇ってきます。
自分が贈った手紙は当然手元にはないわけですが。

相手から貰った手紙を見るとなおのこと思い出すことが多くなります。
それは時に恥ずかしさや涙を伴って。

自分がこんなふうに思い出すように、相手も思い出してくれているのかな、なんて考えると感慨深いですね。
そう感じる度に、手紙を書く時の言葉選びはもっと時間を要するようになっていきます。もちろんいいことだと思います。

自分の言葉はあの人にどんなふうに届いたのかな。
そう考えるだけで心があたたかくなります。

淵を作る

ここから、書き手側の立場として書いていきます。
相手のことを思う時間が増えるというのは単純に時間だけが増えていくのではありません。
その深さがどんどんと増していくのが自分でも分かります。

手紙を書いていると、何ともいえぬ感覚にとらわれがちです。
これを、なんとなく思いついたので感情の淵とでも呼びましょうか。

いつもその相手とやりとりをしている時、あるいは手紙を書かないけれどその相手のことを考えている時のような感情とは、何か次元の違うような。

決して日常を悪くいうつもりはありませんが、日常で相手に抱く感情の周りを取り巻く、自分とその相手以外の物事を一つずつ丁寧に取り除いていくと、やがてその感情は自分と相手の間だけに存在する純粋な何かになって。

手紙に書く内容を考える、あるいは手紙を書き進めていくことが「取り除く作業」であり、その取り除いていく作業をしていくと純粋なものばかりが積もっていって。

いくらか時間が経ってその純粋なものがたくさん集まると、そこには、しんと静まった淵ができて。
その感情の淵を覗き込むと、いつもより相手のことを身近に感じるような気がするのです。
自然と顔がほころんで、心にあたたかいものが広がって……。

私はその感情の淵を覗き込んだ時の感情が大好きです。
その人と会えて良かったなあ。そんな思いがただ純粋なものとして自分の心に改めて浮かんでくるのです。

その気持ちをどう言葉にするかを考えるのもまた楽しくて。

きっと言葉にはできないものなのでしょうけれど。
それをなんとしてでも伝えたいと願うほどに、私は手紙を贈る相手を慕う、そんな人間なのでした。

手紙を書かせてくれて、ありがとう。

熱狂的な手紙信者(?)だからこそ、手紙をそう頻繁には書かないわけです。
本当に贈りたいと思った人にしか書かないし、書けないものですから。

そうなると、手紙を書くに至るほどに自分に何かを与えてくれたことに関する感謝が必ず湧いてきます。

人との関わり合いにおいて、本音での付き合いができること、信頼を寄せることに格別の価値を見出す自分にとって、手紙を書いて贈れるような存在をもつことは本当に有難いことです。

手紙を書く中でその感謝の気持ちも溢れてしまって仕方がなくて。
たかが手紙一つ、なんて思うかもしれませんが、私にとって手紙はそれだけの価値を以ってして書くものです。

いつ見返しても当時のことを思い出させてくれるような手紙を書ける、そんな心を大切にしていたいと思います。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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明日でnoteでの活動を始めて100日になります。ということで明日はこれまでのnoteでの活動を振り返ってのことを書きます!
明日も読んでくだされば幸いです。