学校英語教育の目的とは

名だけのグローバル化

「グローバル化」という言葉が広まり長い時が経ちました。おかげて日常的な用語としてすでに定着していると言えるでしょう。この言葉は英語教育にも多大な影響を与えています。「外国語教育=英語学習=グローバル化への対応」この関係は多くの人にとって馴染みのある考え方なのではないでしょうか。
しかし、グローバル化によって日本人は英語をたくさん使うようになり、必要な元となっているのでしょうか。答えは限りなく「NO」に近いでしょう。寺沢(2015)によれば、「年に数回」というとても限られた英語使用者も含めて2割弱(働いている人に対する割合であるため、より広い日本人ではもっと少なくなる)だそうです。冷静に考えると、確かに周りで英語を使っている人は少ないですね、、。

英語教育の目的

もし英語教育の目的が英検やTOEICのような偏った「実用面」のみを育てるのであれば英語を使用する一部の「エリート」を育てるためのものとなってしまいます。小学校や中学校という公教育と言われる期間に対してこれはあまりにも不適切と私は感じてしまいます。もし実用面のみを追求するならば、体育もオリンピックで活躍できる人を増やすために努力することが求められるのでしょうか。なぜか英語だけは学校教育(公教育)という文脈を抜きに話が進んでしまうように感じます。もう一度公教育の役割を考え、その中で英語教育の目的を再定義する必要があるのではないでしょうか。
もちろん、英語を使えるようになることは重要ですし、英語教育でもそのスキルを育てていくことは求められるでしょう。しかし、学校英語教育では更なる役割を担っているのです。それが相手の文化や考えを受け入れ、自国のそれらを改めて捉え直し、平和的な態度を育てることです。つまり教養的(教育的)価値です。

いつになるかは分かりませんが、実用的価値と教養的価値についてまたまとめたいと思います!

参考文献
寺沢拓敬 (2015).『「日本人と英語」の社会学:なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』研究社.


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