″昔”と”今”での違いを確信した出来事

こんにちは、ぽあこです。

あっという間に5月後半になってしまいましたね。
実は前職を辞めてから今の職に就くまで少し空白期間があり、ある意味ニート同然の生活だったため更新しませんでした。
その分書くので長めです。一応公開日記だし。

さて、私のプロフィールを読んでくださった方ならお分かりかと思いますが、13歳で私は一度死んでます。
そりゃあ、小中虐めに遭いながら家で虐待されてたらね、心も折れるよ。だって心身を休める暇がないんだもの。初めて”死にたい”と明確に思ったのは11歳の時だし。想像つきますか?ただ友達とくだらないことやって無邪気に遊ぶような小学生がカッターナイフを握って死のうとする姿が。
それだけ現実がクソで記憶もないほど病んだ中で「高校に行きたい」と思えるほど心が回復したのは、本当に支えがあったからです。
ほんとうに、泣いてお礼を言いたいほど感謝している人については、また別で書くとして(1人じゃないから長くなっちゃう)。

その支えてくれたうちの一人は、不登校の時から今日までの約7年間、まるで背中からふわっとお布団に包まれるような、カウンセリングのように「先生と患者」という隔てに緊張するのとは違う”心強いあたたかさ”で悩みや不安を解消する手伝いをしてくれていて、おかげで−100だった自己肯定感が−20くらいにまでなったんですが……

私めっちゃ本読むんですよ。
誇れるほどじゃないけど、休みの日は紙の小説読んだりWeb小説を読んだり、まだ書籍化されない漫画を読み漁ってみたり。
ジャンルはさまざまで、特にSFが好きだけど、ミステリーも恋愛もホラーもシリアスもファンタジーも、何ならティーンズラブ・ボーイズラブも二次創作も素人の小説も読むんです。笑

ただ、自己肯定感がどれだけ上がっても当然ながら男性嫌悪と自分が関わる性的なものに対しての嫌悪は強いから処女で、それでも創作物はそういう描写があっても平気(むしろ好みだし書く側としても興味がある)だったんです。

でもとある作品(2冊)を読んで複雑になりました。
ひとつは村田沙耶香さんの『殺人出産』。
いくつか作品が詰まった短編集なんですが、読了後、吐き気が込み上げるような感情と何とも言えない後味の悪さが残ったんです。
文章はとても読みやすくて頭に入りやすい…だからこそ、この作品では性を生々しく嫌気がさすほど描写されすぎていて私には重かった。

ふたつ目は、大好きだったタイプの二次創作の小説。
これで本当に自分にショックを受けた。
素人の方なのに情景が分かりやすく誰でも読みやすい、キャラクターも好き、しかも普通に愛し合ってて好感しかないのにだんだんモヤモヤと嫌悪が頭を擡げてきて、思わずページを閉じた。

実はこの2つの作品には共通点があります。
違いはあれど、どちらも「性描写が生々しく描かれていて女性視点で物語が進む」ということ。
まず殺人出産のほうは粘着質な描写(褒めてます)。
タイトルのインパクトもさながら真夏のじっとりと肌に纏わりつくような不快感。読めば分かる。性が引くほど嫌になるから。絵も何もないただの文字の羅列でこんな感覚にさせるって凄い。
もうひとつの二次創作のほうは、行為中の描写が細かい。
漫画のコマ割りをそのまま文章にしたような、一つひとつの行動・感情・状況を細かく書いていて、容易に想像できてしまった。
主人公が私と同じ21歳なのに性の経験がそれなりにあって、ワンナイトラブも受け入れられちゃうのが”私”とのギャップに風邪を引きそうでダメでした。
なんか、世の中にはこんな21歳像があるのに、トラウマ地雷だらけの私って何なんだろうって思っちゃって。

私だって普通に恋愛したかったし、少女漫画に憧れてたし。後に私の何らかの糧になるならワンナイトラブも悪くないと思う。
けれどどんなに恋愛対象が男性でも性的な目を向けられたら”蛙”に見えてしまう。
頭を過ぎるんです、父親に夜な夜な性的な扱いをされた時のことが。
どんなに好きな人でも、それが頭に過ぎった瞬間、蛙に思えてしまう。好きな人が蛙になる瞬間なんて私もできれば見たくないですよ。
こんなトラウマを抱えることになるなら女に生まれたくなかったな。
男だったら性的な目で見られなかったし、今より力も強くて少しは暴力に抵抗できただろうし、家族も自分も守れたのに。
11歳だったら男でも結果は同じかなあ。

……なんて、トラウマを想起するたび自己嫌悪に入ってしまうようになったんですよね。前は創作物で想起することはなかったのに。

多分、私の20代の課題はこのトラウマの解除もあるんでしょう。
10代はきっと、その課題に向き合うための前準備期間だったんだろうな。
解除されたら半分くらいトラウマなくなるから、すごく大きな課題ですね。
解放される時は来るのかなあ。


こじらせないように頑張ります。
次は今の私をつくったとも言える、支えになってくれた人とその必要性(私にとっての役割)について書いてみようと思います。

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