通じない楽しさ

わかるようになりたい。

今、森毅先生の『まちがったっていいじゃないか』という本を読んでいる。

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これ。いろんな視点から考えさせられる本。

頭が凝り固まったSNS世代こそ、是非読んで欲しい。

自分の生き方をもっと自由にさせてくれる、解放させてくれる本。

最近は本当に生きづらい。他人の目がどこまでもついてくる。お陰で、直接話せば少しでも言葉が通じないと苛立つし、意見が食い違うとなんとも言えない空気が漂う。これこそコミュ障なんじゃないの。

そんな性格になりたくない。こんなんひねくれJDどころか、頑固婆さんやないかい。

祖父母の家は居心地がいい。美味しいご飯。滅多なことがないと怒られないし、頼りにされる。

ただ、


晩酌するとながーい祖母の話のなかで意見が食い違う。

言葉は食い違っていてこそ議論の対象であり、面白い。

私がここに辿り着くのはいつなのか。そもそも私は他人の意見をあんまり聞かない。よく言えば、流されない。悪く言えば頑固。

ただ、これで自己嫌悪に陥るのも違う。自己分析できてるだけ良しとしよう。くらいの心の余裕を持ってないと、ずっと寝込んだり、洗い物が二日分溜まったり、3食蕎麦になったり、洗濯物を溜めるわけだ。

言葉の流動性に面白さを感じれるようになるのはいつだろう。ワクワクしながら待つことにしよう。とこの本を読みながら思っている。

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