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ゼノブレイド3感想:ゼノブレを超えられるのはゼノブレだけ。

 正直に言うと。
 2022年の『ニンテンドーダイレクト2.10』内でゼノブレイド3が発表された際、私はさほど喜びはしなかった。「早くないか?」というのが率直な感想だった。(と思っていたが前作ゼノブレイド2は2017年発売。ほぼ5年前なので続編発表としては妥当と言うか、遅いほうかもしれない。スマブラSPへの参戦やゼノブレDEの発売もあり話題にことかかなかったために、早いと感じたのかもしれない)。
 上記ダイレクト内で9月発売と発表されたがのちに7月29日へと前倒しされた。ゲームで発売日の前倒しはなかなかまれ――というかほとんど見たことがない(1週間程度の前倒しはあることだが)。
 それが不安に拍車をかけた。もっと練らなくても良いのだろうか、と。
 正直に言って、ゼノブレ2に満足していなかったのが事実……というか、ゼノブレ1に感動しすぎた。あれこそ10年に1つの傑作。2体の巨大な神の身体の上に人々が暮らしているという、分かりやすくてインパクトの強い世界観設定に、当時一発で心をわしづかみにされた。
 2010年6月10日にWiiより発売されたRPG『ゼノブレイド』。発表された当初は「Monado(仮)」というタイトルだったと記憶しており、おなじタイミングで発表されていた『ラスト・ストーリー』と比較され、その下馬評は高いものではなかった。
 しかし今となってはどこ吹く風。任天堂だけでなく日本を代表しても差し支えないほどのJRPGのAAAタイトルとして大成長した。
 その勢いのままにゼノブレイド2を購入・プレイしたのだが--仕方ないといえば仕方ないのだが--初代を超えるほどの感動は得られなかった。雰囲気をポップ寄りにして、ターゲットユーザーを下げたように感じたのが自分の琴線に触れなかった要因かもしれない。
 そんな理由もあって、3が発表されたときもたぎることがなかったのかもしれない(単に歳を取っただけという説が濃厚かもしれないが)。だから私のなかでは、それほどのワクワクもなくプレイを始めた。
 そしてクリア。大満足である。
 久々にゲームを遊んですさまじい読後感を得られた。間違いなく2022年ベストゲームである。
 まさかこの時代に、いわゆる”王道”のRPGが遊べるとは思ってもみなかった。システム、ストーリー、キャラクターすべてがRPGの正中線。

 というわけで感動冷めやらぬままにゼノブレイド3の感想を書き連ねたいと思う。

システム:

 初代ゼノブレイドのころから継承しているバトルシステム。シームレスに戦闘に突入して、オートアタックの合間にアーツ(必殺技)を繰り出してダメージを与えるのは全シリーズおおむね同じであるが、細かくチューニングされている。初代だと、少し先の未来を視ることのできる剣・モナドの力による「未来視ビジョン」。これこそ初代が名作となり、シリーズを決定づけたシステムである。少し先の致命的結末(ゲームオーバー級)の攻撃が残りn秒でやってくることをせて、それまでに敵を倒したり、敵のターゲットをずらすなどの回避策を取ることで戦闘に緊張感を与える。おおまかに言えばマザー2のドラムロール式HPと同じかもしれない(説明略)。が、この「未来視ビジョン」システムの素晴らしいところは世界観と密接にリンクした設定だということだ。もう何度も書いているが昨今のゲームでは世界観(ストーリー)とシステムが乖離しているものが少なくない。もっと言えばゲーム進行とストーリーが乖離しているのも目立ってきた。つまりバトルやダンジョン攻略などの操作ではストーリーが進行せず、目的地到着やボス討伐後のムービーでしかストーリーが進行しないような演出である(例えば、ボスを倒したバトルではそのボスはやられておらず、直後のムービーで正式に退治される、などだ)。これはもうムービー当たり前の時代では当たり前のことだろう。それはゼノブレイドもご多分に漏れない。というかゼノブレイド――もっと言えばゼノシリーズ(というのはファンが勝手に言っているだけで正式のものではない)こそ、ムービー至上主義の本丸にいるゲームのひとつであるといっても過言ではない。
 本作・ゼノブレイド3だって終盤になればなるほどムービームービーだが、最終盤での・・・・・・と全然システムの話ではなくなってしまったので話を戻す。

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 本作の戦闘システムの特徴は7人パーティという点だ。1・2は3人パーティだったのだが、本作はキャラクター6人(+ゲストメンバー1名)全員が戦闘に参加する。スターオーシャン5でも同様のシステムだったが、本作をプレイしてみて改めてこのシステムの凄さを感じた。
 それは全員がバトル中もストーリーもずっと出ずっぱりになることで、プレイヤーの思い入れが偏らない=バトルとストーリーでのプレイヤーの感情移入がシームレスになるのである。固定のメンバーしか使わないと(それはそれで思い出となるのだが)、どうしてもバトルに出してなかったキャラクターがストーリーでメインで登場することで、バトルはバトル、ストーリーはストーリーと没入感に空隙が生まれてしまう懸念がある。(ゲーム慣れしている人はそれでもなんの問題もないだろうが。)本作は全員参加とすることでバトルとストーリーでの、プレイヤーの感情の境目をなくすことに成功している。
 さらに本作は過去作よりもロール(キャラクターのジョブのようなもの)が大切になっている。過去作でもディフェンダーやアタッカーなどは、キャラクターそのものの特性や、武器の特徴などで別れていたが、それは防御力が高い、攻撃力が高いというものであり明確なものではなかった。しかし本作はロールそれぞれの能力値が極端に差をつけられており、明確に分かれているのだ。例えば戦闘不能の仲間を復活させられるのはヒーラーだけである。

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 ヒーラーのほかアタッカーとディフェンダーの3種類がロールである。キャラクター一人ひとりのジョブは様々なものがあるが、それらを大別するものがロールである。6人の主人公のほか、たくさんのゲストキャラクターにも固有のジョブがあり、ロールが割り当てられている。6人のメンバーはそれぞれのジョブにチェンジすることができ、ロールレベルを上げていき強化することができる。ジョブチェンジすることができるの6人だけである。そしてその説明をわざわざストーリーのムービーのひとつで説明しているのだ! きちんと声も入れてるし、どうして6人だけがジョブチェンジできるのかの設定も、世界観にしっかりと当てはめているのだ! まさにシステムとストーリーの融合!!
 こんなストーリームービーは近年なかなか見られない。というか今まで見たことないかもしれない。いきなりキャラクターが「Xボタンを押してメニュー画面を開こう」なんて言い出すゲームがありふれた昨今で、ここまで丁寧な作り方をするのかと舌を巻いた。

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 役割ロールを明確にすることで6人戦闘であろうとも戦略性のある戦闘を実現している。チーム編成による戦略性を高めたのとは逆に個々のアーツ設定などは過去作とくらべて淡白に感じた。2と比べて連続攻撃もあっさりしたものだ。それは2がブレイドを切り替えてどんどん連携していくのにたいして3が6人ものメンバーで一斉に攻撃を繰り出すため、ダメージ量などでの調整の結果なのだろう。3人やられたらゲームオーバーではなく6人やられたら、という状況は難易度にも影響を与えており、過去作とくらべて難しさは小さくなったように感じて、遊びやすいものだった。

ストーリーとキャラクター:

 アイオニオンと呼ばれているその世界の人々は、ケヴェスとアグヌスという二つの勢力に別れて日々戦争を繰り広げている。主人公の6人はそれぞれの勢力の3人づつで構成されている。出会いは戦闘によるものだったが世界の真実を知るため、さらにはそれぞれの勢力から追われる身となったため6人は結託して「シティー」と呼ばれる地を目指すことになった。
 そのロードムービーである。過去作同様、彼の地を目指すというメインストーリー(縦軸)に、広大なフィールドに点在する寄り道(横軸)をちりばめられている。オープンワールドと呼ばれてはいるが、初代も2と同様に地域ごとに読み込みが発生するため、狭義のオープンワールドではないのかもしれない。そう考えるとゼノクロこそきちんとオープンワールドなのかもしれない。

 道中、最初は敵同士だった彼らが、協力しながら反発しながら絆をふかめていく王道の展開。だが、思っていたよりも「反発」の部分が弱かったと思った。屁理屈をいう頭脳派キャラが一人いて皮肉屋っぽい発言をチラホラするのだが悪態をついたりすることはない。見た目もスマート。それに反発する肉体派キャラもいるのだが、爆発的衝突まではならない。雨降って地固まるレベルのいざこざは起きず、どうもマイルドな口喧嘩レベルで収拾がついているように感じた。これはおそらく時代の雰囲気に合わせたのだろう。今だと感情をぶつけあう風潮は嫌われるのは確実だ。そのためなのか、どうも、ちぐはぐな感じを受けた。殺し合っていた二つの勢力のメンバーが組んでいるパーティなのだ。もっとドロドロの感情がぶつかり合っても良かったのかもしれない。が今の時代、そんなものは見たくないのだろう。
 時代に合わせた、といえばもう一つ。キャラクターのひとりが戦闘終了後に話す「もっと褒めてくれよな」というセリフに最初は違和感を覚えた。普通自分から自分のことを褒めてなんて恥ずかしくて言わない・・・と、いにしえのおっさんおばさんは感じるはずだが、ここも時代に合わせたのだろう。そう考えると、まあそんなものか、と納得できた。その上でこのセリフが全然嫌味に聞こえなかったのは、声優さんの技量だろう。
 本作は、過去作に劣らず声優さんの演技が素晴らしかった。私が、初代にほれ込んだ理由の一つに、フィオルンの声優の演技に驚いたのがあった。一人だけずば抜けていた感じがしたのだ。
 本作ゼノブレイド3は、その声優の演技力がほぼ全員に凄味を感じた。メインキャラクターはもとよりヒーローやサブキャラにいたるまで単調ではないものを感じたのだ(スタッフロールで演技指導をしていたのが千葉繁さんと分かって納得した)。

 個人的にゼノブレイドのストーリーの良さは「予定調和ではない展開」である。サブクエストでサブキャラが死ぬこともあるし、選択肢しだいでは仲違いのまま終了するクエストだってある。それを許したり許されなかったり様々な結末が用意されていることで、物語の多様性を感じることができた。
 さらに本作はモブキャラの掘り下げが深い。そもそもゼノブレイドシリーズ(というかゼノシリーズ)はモブキャラひとりひとりに名前がある。そしてゼノブレイドシリーズには「キズナグラム」と呼ばれるシステムがあり、モブキャラたちの関係性が相関図的に表現される。そのキャラクターたちと会話したり、クエストをクリアしたりすることで関係性が変わっていく。そうやって世界観や人物設定が多層的になって、物語により深く没頭できた。本作3ではその部分がより深く感じられるなと思った。それはたくさんのクエストやヒーロークエストで様々なモブキャラと関わるためだろう。主人公たちは世界中のキャラクターと親睦を深めていく。昔からのなじみのように話しかけ、問題を解決していくため、バンバンコミュニケーションをとりまくっている。こいつらコミュ力お化けか? コミュ障性格な主人公だったら話が進みにくそうなので当然ではあるのだが・・・

これぞ王道:

 とにかく王道。二つの対立する勢力が協力し、第三勢力である真の敵との戦い。世界の存亡が主人公たちにゆだねられるJRPGお決まりの展開。
 かつては蔑称だったJRPGという呼称はここにきて古典芸能にまで昇華した気さえしており、その先頭にいるのが本作ゼノブレイド3だといっても過言ではないだろう。他作品のあとを追っているのではなく最先端を進んでいる。その結果の安定的なJRPG。強いて言えばゼノブレイドの後を追っているのがゼノブレイド3。ゼノブレイドを超えられるのはゼノブレイドだけ。
 こんな作品をこの時代に遊べる喜びをかみしめて次回作へと期待します。作っていただきありがとうございました。

最後に気になったこと・気に入ったことを列挙(ネタバレあり):

  • ミオがノアを中盤まで(FFXみたいに)「君」呼びしており、途中から名前で呼ぶ演出となっているのだが、よくよく見れば最初に名前で呼んだのはこのミオじゃないのだが。そしてノアも「やっと名前で呼んでくれた」と感慨にふけているが、それ呼んでいるのはおまえのミオじゃないのだが。。

  • ラスボスが弱い。バトルで弱いのではなく悪役として弱い。過去作やゼノシリーズ同様、最終ボスが「上位存在」という一貫性はあるのだが、その上位存在が存在する理由や、牙を剥く理由があいまいだ。毎度毎度ラスボスは同じ理由で戦っていることになる。結局ラスボスは自分の内側だ! となるのは、収まりは良いが安直すぎる気もした。とはいえ、エックスとワイがそれぞれ性染色体を現し、最後のゼットとともにこの世の人間の存在全てを表現しているのは納得いくものではあった。

  • そんなこともありストーリーのところどころは投げっぱなしではあるが、他のゼノシリーズでもおなじような展開はあるため悪いわけではない。
    そもそも操作やサイドストーリーやストーリーの山谷演出が面白いし素晴らしいので、そんな些末なところは気にならないのもゼノブレイドシリーズの凄さではある。

  • いわゆる「ゼノブレジャンプ」しなくなった。空中でうねうね横移動できる、代名詞とも言っても差し支えない1と2で見せた癖の強いジャンプはなくなり、ごく自然なジャンプをするようになった。さらに歩行・走行モーションも主人公6名は使いまわしのない専用モーションになっている。尻をふりふりするあの歩き方はもう見られないのか・・・と思ったらモブやヒーロー見せつけてくれたので一安心(?)。しかしゼノブレジャンプはなくなった。。

  • いわゆる「ゼノブレオープニング」がなくなった(と思う)。これは1・クロス・2すべてにあった演出であり、主人公たちが視界の遮られた狭い細道から、一気に開けた広大な平野に出る、というこれからの大冒険の始まりを否が応でも盛り上げてくれる私が大好きな演出だ。ゼノブレイド1のガウル平原に初めてでたときのあの演出。開けた視界とともに躍動するBGMが流れ出す。様々なモンスターや巨大なユニークエネミーが闊歩するガウル平原に一発で心を奪われた。おなじようにゼノクロでも、細道を進んでいくと開けた原初の荒野が現れて、その視界の中心にはNLAが斜めにたたずんでいた。そしてゼノブレイド2ではグーラ領である。では3ではどんな演出だろう、とワクワクしていたのだが、自分としては、これかあ! と感じるような場面はなかったように思える。最初の「不治ヶ原」は荒廃していて青空に合う爽快感はなかった。そう考えると不治ヶ原からコロニー9へ向かった道を抜けた先の「イザナ平原」がそれであろうか? しかし過去作にくらべてそんな感じは受けなかった。それはおそらくイザナ平原にランドマークがなかったせいだと思う。1だとガウル平原の上空には肋骨のように突きだした大地が広がっていた(これは発明であった。以降、他メーカーのオープンワールドにも同じようなオブジェクトを置いたりしていたし、ゼノクロでも継承された)。ゼノブレイド2ではなくなったが、高いところに目をむけてしまう物体として、グーラの動く頭部が同じような意味合いに感じられた。だが3では、私の見た感じでは、同じような役目のオブジェクトは見受けられなかった(コロニー9はすぐ近くにあり、あそこを目指そう、という感じではなかった)。

  • 主人公のノアのキャラ付けが、かなりの没個性的だと感じた。それは後半の熱い性格を際立たせるための演出かもしれないが、私はゲームの操作キャラクターとしての側面もあるのではと思った。昔のRPGみたいに主人公=プレイヤーで、一切しゃべらないが成立するのはもはやゼルダの伝説だけとなったと言っても言い過ぎではないだろう。しかしゲームである以上、操作キャラの主人公が出しゃばり続けるのは毒にも薬にもなる一種の博打でもあるはず(しかしロールプレイングゲームはその名の通り役割ロール演じるプレイイングするゲームであり、主人公がどのような性格だろうともその主人公になることができるのが楽しさの一つであるのは確か)。操作していて邪魔しないが、ストーリー的に主人公的重みをもつ――ノアはその絶妙なバランスの性格を持っていた。終盤の熱血も感情移入するには十分だ。あとは個性の強いメンバーのMC的役割もになっているのかも。

  • ウロボロスになった瞬間(=火時計が壊れた瞬間)から性が目覚め、ストーリー進行に合わせて徐々に恥じらいや恋愛感情などが、直接表現なしに進んでいくのは見事中の見事。スーファミの時代によく見られた、直接的ではない恋愛描写に近い感じがして、妙な懐かしさを覚えた。

  • 操作する部分(システム)と視聴する部分(ストーリー)は、それぞれが別で存在できるため次元が異なるものである。操作する部分はアプリケーションやトランプ・花札などと同じであり、視聴する部分はアニメ・漫画・映画と同じである。この二つを一体にしたのがゲームである。が、ただ一つの箱に収めただけで別々に存在しても問題ない作品が少なくないのも確か。しかし本作は、きちんとシステムとストーリーがインタラクティブに補完されている(ロールの仕組みしかり、コレペディアカードしかり)。やはり昔からゲームを作っている人は勘所がすごい。

  • スクウェアのムービーゲー時代のDNAを受け継いでいるモノリスソフト(愛ある偏見)で、本作もムービームービーだったが、昔みたいに専用のムービーではなく、ゲームモデリングに演技をさせるタイプのムービーとなってきたのはムービーとゲームプレイの映像差がなくなってきた、技術の進歩の正しい使い方だと思う。そんななかで本作のラストダンジョンでメビウスエックスとメビウスワイとの戦闘の演出は最高だった。今までさんざんメビウス戦では倒したあとの演出バリバリ見せていたのに、この重要なメビウス二人に関しては、ムービーで倒さなかったのだ! 戦闘が終了したらシームレスにその場で、断末魔とともに雲散霧消していく。最終決戦で、しかも最重要なメビウスにも関わらず、この演出。思わず叫んだよ。これでいこうとOKしたその胆力に拍手!

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