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幸せを感じる看取りに向けて

無事に自宅に戻ってきました。

介護タクシーはストレッチャーで依頼したのに、リクライニング車椅子で来られたので焦りましたが、リクライニング車椅子でなんとか帰れました。

体の向きを変えてとか、しんどいとか言わずに、夢の中と現実の狭間を行き来しているようで、時々寝て、時々起きて車の窓から外を眺めていました。

正直言うと昨日の夜は眠れませんでした。
自宅で介護できるという環境が作れたという感謝の気持ち、母の側に居られるという喜び、お別れが近いという現実に切なくなったり
ちょっぴり涙も出ました。
切ないんだけど、私は幸せだなと思う気持ちが勝ってます。


自宅に戻ると、兄、姉、親戚、ケアマネジャーさんが出迎えてくれました。ストレッチャー→リクライニング車椅子→リフトで縁側に上がってベットへが計画だったけど、結局みんなで抱えてベットまで移動しました。
すごくほっとしました。

家に帰ってきたよというと手を合わせて感謝しています。

でも 寝て起きると「ここはどこの家?」と質問してきます。
だから家だよとまた答えます。

そして家に帰るのが遅くなってごめんねと言うとまた手を合わせていました。

私たち家族の幸せな看取りの始まりです。



1,死ぬ前の身体の変化を理解しておく


母は1週間前から目が見えにくいと言っていました。
当てはまるかどうかわかりませんが
死期が迫ってくると少しずつ体が変化してきます。

①お腹が空かなくなる。
②喉が渇かなくなる。
③言葉が話せなくなる。
④目が見えなくなる。
⑤耳が聞こえなくなる。
⑥触られた感覚がなくなる。


基本的に脳は少しでも延命を図るために重要度の低いものからゆっくりと機能停止していくのです。

今日の母は朝ご飯を一口、帰宅しおはぎを1口食べました。

お茶は200ml/日、寝ている事が多いですが話せます。
目は先ほど書いたようにぼんやりとだけ見えるそうです。耳はもともと難聴ですが大きな声なら聞こえます。

そして私を心配してくれます。「どこに寝るの?布団は?寒くない?早く寝なさいね。」
どんな時も子供が優先です。母さんありがとう。


2,救急車を要請することの意味を理解する


今日は訪問看護師と訪問診療医の先生も来てくださいました。

在宅看取りの意向に変わりはないか確認され、お別れが近づいているときの様子を説明してある文書を渡してくださいました。

私が看護師なので具体的な説明はありませんでしたが
慌てないように家族で読み合わせをするようにと。

そして医師からは怖くなって救急車を呼ぶことだけは避けましょうねと言われました。

穏やかな看取りが出来なくなります。
それはどういう意味かというと救急車を要請すると心肺蘇生が始まり、病院へ搬送されたら人工呼吸器を装着するということになりかねません。

また警察沙汰になるケースもあるからです。
上記のリンクの内容を引用しています。

在宅看取りの予定であったが終末期患者さんの急変時に慌てた家族や近所の人が119番し、救急隊による心肺蘇生が開始されたという話をときどき聞く。119番という行為は、「心肺停止であれば蘇生処置を開始してくれ」という意思表示でもある。救急隊には救急救命処置を行う法的義務が課せられている。蘇生処置を行わない場合、後のメディカルコントロールの検証により処罰される可能性すらある。蘇生処置に反応せず死亡を確認した場合、警察に連絡されるケースもある。通報を受けた警察は事情聴取や現場検証を行う。このように在宅看取りのはずが警察沙汰になった、という話をよく聞く。そうなると家族は何か悪いことをしたのでは、という錯覚に陥る。大きなトラウマとなり悩み続ける人もいる。筆者がこれまで1300件以上の在宅看取りを行ってきた中でも数件、苦い経験をした。警察沙汰になればせっかくの在宅医療も後味が悪い。

家族が慌てて119番することだけが原因ではないようです。
数年後には多死社会となる日本、在宅医療の統一した理解と対応も課題のように感じます。

原因はいくつかある。市民が在宅看取り寸前に119番することの意味を理解していない。在宅医が緊急対応をしていない。多くの医師が看取りの法律である医師法20条を正しく理解していない、ないし誤解している。医師法20条と殺人疑い死体の警察届け出を定めた医師法21条を混同している医師は多い。筆者は、「看取り搬送」後の「在宅医の霊安室往診」を是正するため、病院の医師に看取りの法律の説明をしているが多くの時間と労力を要する。救急隊との連携不足も大きな問題だ。


3,残された時間を有効的に活用する


ご家族がご本人とどのように過ごしていきたいか、どのように関わりたいか
それは日々の介護をする事で表れているようにも感じますが
今まで言えなかった思いを伝えてみたり、ただ一緒に過ごしてみたり
思い出話をするのもよいですね。

ご本人はどのように思ってらっしゃるのでしょうか。
傍にいて下さるだけで幸せかもしれません。

私は早速言えなかった気持ちを伝えました。
何度も何度も伝えました。
施設では相談員さんがメッセンジャーとして入って下さるので
実は照れくさかったのです。


4,終わりに


大切な人との別れの過程を幸せだと表現するのは不謹慎かもしれません。
でも一人の人を思う気持ちが沢山集まる空間はとても温かです。
私と同じようにご家族との別れを控えておられる方もいらっしゃるかと思います。
症状や体の変化も理解しておくことは大切ですが
一瞬や一言や空間をも共有し大切に過ごされてくださいね。

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