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孔雀を見に行ったはなし

 今週、死んでしまった従弟の誕生日があった。
 毎年その日は「誕生日おめでとう」とメッセージを送っていた。返事の来ないメッセージを送って気持ちをなだめたいけど、それすらできない。送り先がなくなってしまったから。

 ぽんつと取り残されたような気持ちの置き所が、まだよくわからない。

 命日よりも誕生日の方がなんとなく、胸を重たくさせる。毎年祝っていたから。もう歳を取ることがなくなってしまったから。一緒に夏休みを何度も過ごしたから。理由はいくらでもある。

 小学生の夏。慎重派な性格で冒険を好まなかった従弟を、一緒に過ごす夏休みの青森で「孔雀を見に行こう」と自転車の冒険に誘った。いつもは一緒の弟を置いて、二人で。チェーンもギアもボロボロで、漕いでも漕いでもなかなか前に進まない自転車で山の中にある温泉を目指した。

 今はもうない山の中にあるラジウム温泉には、広い庭園と神社があり、二匹の孔雀がいた。綺麗な長い尾羽があったから、どちらも雄。片方は白い孔雀だった。もしかしたら雉だと思い込んでしまっているだけで、雌の孔雀もいたのかもしれない。尾羽を扇のように広げているところを見たことがあったから。

 今Googleマップで調べてみると、青森の祖父母宅から温泉のあった所まで徒歩で一時間しない。距離にして三キロちょっと。いつも車の中から眺める風景の中をペダルがスカスカの自転車と、坂道だらけの山の中を車に除けてもらいながら進む。体感では一時間ほど。何も言わずに出てきたので、帰って叱られないかちらっと気にかかる。でも、この冒険は従弟にとって必要なものだと信じて誘った。

 三年前、従弟に弟が生まれた。
 歳も少し離れていて、手のかかる子だったので大人の目がそちらに向いてしまう。下の従弟がすることを、全部「お兄ちゃんだから」という理由で我慢しなければならず、もともと慎重で我慢強い性格だったのがさらにその色を濃くしていた。悪く言えば何に対しても消極的になっていた。本来、この上の従弟はとても賢く、五つ年の離れた自分と三つ年の離れた弟と三人でよく遊んでいた。五つ、三つ年上と遊ぶことができる程度に物分かりがよく、ルール理解し守れる子だった。
 その得難い賢さや落ち着きを、大人の目が評価しなくなって叱られてばかりになってしまっていた。それはまだ小学生だったじぶんの目にも明らかで、不憫でならなかった。
 だからせめて、一緒に過ごせる夏休みの青森では、この子にしっかり目を向けて接したい。ちゃんと見ている人がいるし、できなかったことができたらうれしいし、うまく行っても行かなくてもチャレンジすることは楽しい。
 そんな風に思ってほしくて、二人で出かけることにした。

 弟は行動が奇抜だった。
 口数は少なく、言葉でのコミュニケーションが得意ではなかった。女子が嫌いで、でも学校の休み時間に男子とつるむわけでもなく、一人でいるのを好む。でも友達はいた。
 肌が特別弱く、些細な怪我が化膿して発熱する。なのにいつも怪我が多かった。自転車で坂を下りきった先の塀に激突したり、自転車で曲がり切れずに金属製のフェンスに突っ込んだり、他人のお墓の囲いに登って滑り落ちて頭を切ったり、坂道で転んでそのまま転がり側溝に嵌って止まったら頭を切っていたり、階段の一番上からジャンプして複雑骨折をしていておかしくない状況で捻挫で済んだことも。怪我の話には事欠かない。
 弟が怪我をするたび、親に連絡をしたり手当をしたりするのはじぶんの役目だった。手当も一日二日では済まない。肌が弱く治りにくいので、二週間はかかる。
 怪我をしないよう見張ったり、聞く耳を持たないけど声かけをしない訳にもいかない。そんな訳で弟がいると従弟に十分に目を向けられなくなってしまうので置いてきた。

 従弟が赤ちゃんの時の様子で印象的なことがいくつかある。
 カーテンに隠れて踏ん張り、顔を真っ赤にしてうんちをしていた。機嫌悪くむずがったり、かまってほしくて泣いてしまうといったことない穏やかで我慢強い子だった。かまわれるとよろこび、言葉の習得が早く、よく食べる。でも、笑顔をあまり覚えていない。

 だから笑わせたかった。自信を持たせたかった。お前は気づいてないかもしれないけど、得難い我慢強さと賢さのある子なんだよって。大人の反応にに、兄弟への配慮に、つぶされるな。そんな思い。

 途中、疲れたと言って泣く従弟をなだめて自転車を押した。泣いている姿を見たとき、まだ連れてくるのは早かっただろうかと逡巡した。でもそんな迷いも、ラジウム温泉に着くと晴れた。
「本当に孔雀がいる!」
「こんな遠いところに自分だけで来れるなんて思ってなかった」
「頑張ってよかった」
 お昼ご飯に間に合うように帰らないと大捜索が始まってしまうので、奥の庭園までは歩いて回れなかった。体力的にも動けるうちに帰らないと。
「また来ようね」
 その言葉を叶えることができなかったんだなぁ、と今これを書きながら振り返る。

 帰りは山からの下り。行きの半分以下の時間で帰れた気がする。山の中のひんやりした空気が、山を出たとたんサッと引いて思わず振り返ってしまう。木に覆われた、トトロが出てきそうな少し薄暗い日陰の道だった。そんな風に心に紐づいてしまったので、映画を見るたびこの日のことを思い出す。

 帰宅後、ラジウム温泉に二人で孔雀を見に行った話をすると、大人はとても驚いていた。でも怒られはしなかった。なぜ連れ出したのか察してくれたようだった。

 あの夏をずっと覚えている。
 大人になってから二人でご飯がてら飲んだ時、この話をしたことがあった。覚えていてくれた。悪いように受け取っておらず、楽しかったと言ってくれて、胸をなでおろした。
 休みを合わせて、弟や親、祖父母も一緒に十和田湖に行って、奥入瀬にも行った。こんな風に一緒に出掛けることがこれからもあるんだろうと思っていた。思っていたんだけれど。

 ときどき息子に、従弟の面影を感じることがある。我慢強く、穏やか、慎重、よく食べる。でもぜんぜん違うとも感じる。いつも楽しそうでニコニコ機嫌がいい。この子と向き合うことで、従弟へのもっと何かしてやれたんじゃないかという思いが解けていくといい。まだ揺れる後悔が胸にある。亡くなった直後のような、鋭利で熱を持った痛みはもう感じない。悼む思いは時間とともに、波に削られる石のように形を変え丸くなっていくはず。
 痛いのは、悲しいのは、後悔しているのは、大事だった証拠に違いない。

「生きて大人になって、年取っておじいさんになってね」
 だから息子にかける言葉が思いがけず重くなってしまうのも、仕方ない。

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