野球用品専門店の社員になり始めて買ったグラブとの思い出
2012年4月 僕は福岡の私立大学を卒業し愛知県の野球用品専門店に就職した。
僕の野球歴は10年間。昔から野球をすることよりも野球道具が好きだった。試合開始の両チームの集合時には相手チームのスパイクやグラブを見て、あっ、コイツ久保田スラッガーのグラブ使ってる…守備が上手そうだなとかそんなことばかり考えてた。
実際の野球人生と言えば成績的にはあまりいい思い出はない。
中学校校の時も高校時代も早く部活引退したいとばかり思ってた。
多分そんなことを思うようになったのは少年野球時代の苦い思い出からだと思う。
小学5年生の時、少年野球クラブへ入った。野球などほとんどやったことも無く好きでも無かったが両親が巨人ファンであったからと理由で野球を始めた。
運動神経はそこそこで足も早かった僕は走塁の面では重宝された。けどまるっきりセンスがなかった。
試合では三振ばかり。外野を守っていたがボールが飛んでくると恐怖でしかなかった。
ある日僕は試合で四三振した。
コーチから、バカにされた。
それから練習に行くのも嫌になった。
何度も仮病を使って休んだことか。練習日朝起きて咳をしまくる。親に猛烈にアピールをする。さすがの親も監督に休むと連絡してくれていた。
でも多分、親は気付いていたんだと思う。 ありがとう。
そんな感じだったけど高校野球まで続けた。その理由はよく分からない。それしか選択肢が無かったからだろう。
中学校に入ると、憧れの先輩が久保田スラッガーのキャッチャーミットを使っていて、そのミットがとてつもなくカッコよく見えた。
そこから僕の道具熱が加速していった。
毎日毎日ネットでグラブを見ていた。あーこれはダサいなー、とか俺の方がカッコいいグラブ作れるんじゃね⁈とか…ほんとに毎日毎日見てた。
その頃の僕の夢はグラブ職人だった。
高校を卒業し大学へ進学した。大学野球はしなかった。とてもじゃないけどそんなレベルじゃない。4年間レギュラーにならずに終わるぐらいなら大学生活を謳歌しようじゃないかと思い、気の合う仲間とのくだらないけど楽しい生活を送っていた。
それでもスポーツは好きだった僕。でも団体競技はしたく無かった。
野球時代のミスったときの周りに対する目の恐怖心が何より嫌いだったから。
そんなこんなでバイト先のスポーツジムのお客さんと始めたトライアスロンにハマった。そこで思ったのがやっぱり僕は個人競技の方が向いていたということ。
そして大学3年生になり就職活動が始まる。
大学時代は野球とは、ほぼ縁のない生活をしておりグラブをネットで見ることも無くなっていた。
就活ではまず自己分析を行い、自分が何をしたいのかの研究をする。
何故か僕にはグラブのことしか思いつかなかった。他にやりたいことも無く、グラブと関わりたいと思った。だからメーカーで働きたいと思った。ミズノ やゼットSSKといった野球の王手メーカーだ。
けど一つの疑問が生まれる。
メーカーだとそこのグラブとしか関わりが持てないということだ。
そんなつまらないじゃんと思った。
それで候補として出たのが専門店で働くということ。
この選択肢は、ほんとにやりたいことなのか正直信じられなかったので色んな業界の面接も行った。
けどやっぱり心は専門店しか求めていなかった。
マイナビやリクナビに野球用品専門店の求人なんかまず無い。
だからハローワークで調べてみた。そしたら愛知県の転職用求人がある。調べてみると愛知県で最大級の店ということが分かり、そこのHPを見るととてつもない量のグラブがあった。ここしかないと思った。
直接電話をかけ新卒で御社に就職したいということを伝えて、面接に行き見事採用となった。
入社後は、どちらかと言うと大変なことが多いかった。辛いとは思わなかった。やっぱり好きだったから。グラブに囲まれて仕事するのはやっぱり気持ちよかった。その気持ちはずっと続いた。
仕事内容は多岐に渡った。
接客販売が主だが、グラブやスパイクの修理、在庫フォロー、店内レイアウト、売上管理、SNS運営、少年野球大会の企画、野球ユニフォームのマーク作り。
休みも極端に少なかった。その点は辛かったけど色んなお客様に出会い大好きなグラブに囲まれた仕事は今思えば遊びの延長線みたいだった。
今はその業界に対して未来が見えなくなり辞めてしまったが今では最高の思い出になった。
そんな僕だが入社して初めて買ったグラブが玉澤の店舗オリジナル別注のグラブだった。しかも先輩の型付け済みのグラブ。
まだまだ型付けの仕方なんて分からなかった僕だったがはめた瞬間、うわっすげっと思った。説明するのが難しいけど抜群にボールを捕った時の感触が良かった。素手でとっているような感覚。この出来事から僕は自分に合ったグラブが欲しいという思いが爆発する色んなメーカーのオーダーグラブを作りまくった。
合計15個は作った。けど結局玉澤のグラブが1番自分にとって愛したグラブだった。
グラブを愛したという気持ちは、他人から見れば気持ち悪いと思うだろうがマニアの人なら分かってくれると思う。
そんな玉澤のグラブは草野球でのメインのグラブとなった。面白いようにボールが入ってくれるグラブだった。
バックにもグラブ袋にも入れず必ず、必ず手で持って行っていた。形崩れするのが嫌だったから。ある意味での僕の愛情表現である。
そんな僕は4年間その野球用品店で働き今は地元の九州に辞めて戻ったきた、
愛知県での僕の4年間はこの玉澤のグラブと共にあった。言い過ぎかもしれないが、1番僕の事を分かっているのもこのグラブかもしれない。
このグラブ以外の他のものは全て売ってしまった。
けどこのグラブだけは一生持ち続けたい。ある意味での親友だからである。
僕は今九州で工業系の営業マンとして働いている。お金の為に働いているといっても過言ではないような生活だ。ただもうこのまま生活することに限界を感じている。
このまま一生が終わると思うとゾッとする。
自分に何ができるのか何をしたいのか。
そんなことをひたすら考えた。
そして辿りついたグラブだと…。そしてもう一つのことを思った。
僕のように親友と呼べるグラブとの思い出がこの世界には沢山あるのではないかと。
そんな思い出をみんなに知ってもらいたいと思った。
だから僕は決めた。
全国を飛び回り野球人にインタビューしグラブとの思い出を記事にして、1人ひとりの思い出を伝えたいと…
今日決心し、note の存在を知り書いてみました。
上手くいくかは分からないし、需要があるのかも分からない。
けど今僕ができることはそれだけ。
今僕がやりたいのはそれだけ。
資金も何もないけどやってみる。
こんな僕の応援の為に支援してくれると幸いです。
これまでにはない
グラブ×人=? という記事を全力で書いていきます。
読んでくれてありがとう。
あなただけのグラブとのストーリーを…
僕が伝えます。
以上!
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