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キルミーベイベーの「とりあえずの友達」概念に深みを与えてくれたきらファンへ感謝を

「とりあえずの友達であれば、ただ笑い返すけど……」

キルミーのベイベー! /やすなとソーニャ

この度きららファンタジアがサービス終了することとなった。きらファンそのものについて物思うところはあるのだがそれはここにおいては些事に過ぎない。
ここではきらファンがキルミーベイベーのオタクに与えた光について感謝を述べる場とする。

キルミーベイベーのオタクとしてきらファンに対して感謝を述べねばならぬことが大いにある。特筆したいことは2つ。

1つはあぎりさんに新しい声優を付けてくれたこと。これによりいつでもアニメ2期をやれるようになった。それに声も前任者を似ているところを選んでくれたので頭が上がらない。

もう1つ。むしろこちらがメインだ。やすなとソーニャが本編で絶対に見せてくれなかった顔を見せてくれたこと、キルミーベイベーじゃない日常を見せてくれたことだ。これについて特筆する。
やすなのいないソーニャ、そしてソーニャのいない時のやすな。それらがどのような実態かキルミーベイベー本編中では知ることはできない。だがキルミー本編はそれがいい、そこがいい。キルミーベイベーは揺るがないキルミーベイベーだから最高なのだから。

その根底には光の象徴こと【キルミーのベイベー!】最強の歌詞である【とりあえずの友達であれば、ただ笑い返すけど…】がある。この歌詞の素晴らしさをまざまざと思い知るばかりだ。
とりあえずの友達とかなんなのか、ただ笑い返すとはどういうことなのか。オタクの妄想に過ぎなかったそれらのアンサーがきらファンには詰まりに詰まっていた。

きらファンではものすごく穏やかな笑顔でクールなソーニャと、元気アホかわいいやすなが見れるのだ。
きらファンにおける特定の状況において、ソーニャは安易に暴力を振るわない。むしろ全然手を出さないし暴言も吐かない。優しい微笑みも見せる。やすなだってそうだ、全然人を煽るような素振りを見せない、罠にハメようなどともしない。
その状況とはなにか、それは2人が一緒にいない時だ。やすなと絡まず、普通にきららキャラと友達として触れ合うソーニャは驚くほど穏やかな人間だ。やすなも普通の元気な一般的なアホキャラに過ぎない。本編のような過激さは見れない。

つまり、ソーニャは誰に対してもやすなへのように塩対応で邪険に扱い暴力を振るうわけではないのだ。やすなも同じ。お互いに他のキャラの前では本編のようなバイオレンスさをかざすことはない。
本来は逆なのだ。普通は特別な関係であればあるほど笑顔が増えるはずだ。だがその特別はキルミーベイベーには当てはまらない。とりあえずの友達だからこそ、笑い返すのだから。だからキルミーベイベーは美しいのだ。ここにこそ特別な関係性、広義なベストフレンドの真髄が存在する。

これらは本編では知ることのできなかった情報だ。あの2人が他のきららキャラに対して本編では考えられないような態度を取る度に、あの2人の関係性がいかに特別なものかを思い知る。
つまるところ、あの2人にとってきらファン内で絡んだ他のきららキャラは「とりあえずの友達」であったに過ぎないということだ。やすなにとって「Baby,please kill me」とおちょくれる存在はソーニャだけなのだ。そして同じくソーニャはその挑発に対してただ笑い返していなすのではなく、やすなにだけしっかりと怒る。本編ではいつもそこにある変わらぬ景色が2人だけの特別の世界であることをきらファンはしっかりと見せつけてくれた。本編中でしばしばやすながあぎりに対して見せる常識人ぽさの延長がここにある。

これはキルミーのオタクとしてはあまりにも光が強すぎた。キルミーベイベー本編は基本的にやすなソーニャあぎりの3人、時折刺客やクリーチャーが絡む程度で一般的なきらら的やり取りはあまり存在しない。きらファンにおいて、やすな相手に暴力を振るうソーニャにドン引くきららキャラは強めの幻覚が過ぎた。

その温度差、特にやすなの方のギャップが本当に凄まじい。その力を知ることができたのは間違いなくきらファンのおかげだ。
特に2018年8月の水着イベで見られたやすなは非常に衝撃的であった。このイベではやすなはソーニャと共に行動していない。その為テンション高めのアホかわいいくらいの女であった。まずそこが凄まじい。特に誰も煽らないしイタズラもしない。そしてもう事あるごとにソーニャの名を出す。

本編よりも明るく正統派元気美少女なのにいつもの調子が出ていないように見える、いつものキレがない。そこにソーニャがいないから
これがあまりにも強火すぎる。ことキルミーに関しては何か強烈に直接的な燃料がきらファンであった訳では無い。だがこういった間接的に圧倒的な火力を叩き出す要素が多かった。
確かに大人の都合だとかメタ的なことを考えれば作品の垣根を超えて他のきららキャラへ暴力を振るったり煽り散らかしたりというのはできない、だから当たり触りのないようになるのも分かる。だがそれこそがキルミーベイベーという作品へ深みを与えているのだ。
本編は非日常的で過激だが、きららオールスターという場でその牙をもがれたことが魅力の損失へ繋がらない。むしろそれが本編へ力を与える。これは間違いなくキルミーベイベーという作品の素晴らしさの成せる技だ。

そういった意味で本来のノリを全力で出せないからこそ、本編で見れない掘り下げを見れるという点できらファンとキルミーベイベーは相性が良かった。
2018年11月の「Yell for All」にも特筆せざるを得ない点がある。

これはソーニャが明確に一般人との線引きをしていることが分かるシーン。このソーニャのラインを軽々と踏み越えられる一般人は"ヤツ"しかいない。
この質問を待っていた。そしてこの返し、100点。キルミーベイベーのなんたるかがここに詰まっている。一番やばいのは虫より刺客よりも本物のバカ

このようにきらファンでしか見られない距離感の深掘りが多く存在していた。
最初こそ、それこそ2017年のクリスマスイベでのソーニャなど強い違和感があった。なんか大人しいぞと。すごく無難な人間になっているがこれ原作と違くねと感じた。
だがそれで良かった。それがやすながいない時のソーニャのデフォルトだと気付くのに時間は要さなかった。そういうことなのかと。この温度差こそが「とりあえずの友達」への対応なのだな、と。
ああ、かくもキルミーベイベーは美しい。2人の常識的な、日常的な姿が見えれば見えるほど本編中における過激で苛烈な世界が煌めきを増す。この2人だから、お互いが特別だからこのノリができるのだ。

本来であればこういったキャラの性格とは本編ノリと離れれば批判の対象となるのだがキルミーのオタクは心のどこかでそれを求めていた。いや、答え合わせをしたかった。
本当に「ただ笑い返す」のか。そこにこそ大いなる神秘がある。キルミー公式からのメッセージの答えをキルミー本編から接種できることはない。その需要を満たしてくれたのだ。
ことキルミーに関してきらファンは概ね不満なく良質なものをそれなりのスパンで供給してくれていたと感じる。ゲームそのもののあり方はともかく、キルミー絡みの点に関しては素直に感謝を述べたい。
メインストーリー2章で登場するかと思われていたキルミーベイベー編はついぞ実装されなかったが。メイン2章特有の絆の断ち切りというテーマを特殊極まりないキルミー世界でどう表現するのかを楽しみにしていたのだが世に出なかったものは仕方ない。

今回きらファンは終わるがキルミーベイベー本編は続いているし続いていく。アニメの2期も必ずやる。君は輝ける人生の、その一歩を、再び踏み出す時が来たんだ。

残された時間は短い。今ならまだサ終前特有の闇鍋ガチャでキルミーキャラを引き、育成して特別なセリフなどを回収する時間はある。どうするかこうするかなど言うまでもないであろう。


答えは、お前の中にある。

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