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Never forget me / Amnesia

大阪から帰ってきました。
ちゃんと向き合った昨夜の話はまた改めて話すことにしたい。

ただ、忘れられない、忘れたくない景色がまた一つ増えました。


「ナイトダイバーズ」のMVが公開されました。なので今日はナイトダイバーズでも良かったんだけど、「でもやっぱりあの曲のことは最後に書きたいな~」と思ったので曲順通りに話していけたらと思います。

そう、今日は「Amnesia」という曲について。少し長くなりそうだな。


始まりは2020年の秋ごろのこと。夜中に家でフッとメロディとコードが浮かび、急いでパソコンに向かって骨組みを作った。そのままスルスル流れるようにCメロまで出来てきてあっという間に最初のデモが完成しました。
「やばい、めちゃめちゃ良い曲が生まれた気がする!」とかなり手ごたえを感じてバンドに持っていきました。

そこでメンバーから返ってきたのは「普通」「なんだか味気ない」「アレンジがシンプルすぎてつまらない」などと非難の嵐で、、、ああ今も思い出すとちょっとムカついてくるな!
そこでヒラノと(活動中唯一といっていいほどの)口論になったという話は、今回させてもらったいくつかのインタビューの中でも話しましたけど、ほんとにキツかった笑。
バンドは誰も意見を言えなくなったら解散するしかないので、そんな僕らは健全だったわけでなにも悪いことなどないのだけれどね。
だからみんなも別に心配しないでね笑

そのあと僕は、メンバーみんなが納得するような方向にこの曲を持っていければ、絶対にこいつは良くなる。と信じてしばらく寝かしてました。そう丸1年半くらいかな。
そして今回の制作期間でアレンジを付け直した。最初にデモを持って行ったあとスタジオでみんなでアレンジをいじった第2バージョンをもとに、もともとあった最後のAメロを削ってみたり、アウトロを長くしてみたり、、
こうして出来た新しいデモを聴かせるとなんとまあ手のひらを反すように皆絶賛の嵐。「ナンダヨサイショカライイキョクダッタジャネカヨー」ってちょっと思ったよね。

でもみんなもいろんな音楽を聴いてて、昔は好きだった曲がそうじゃなくなったり、その逆もあったりするでしょう?きっとタイミングってあるんだよね。だからこの曲がKamisadoというバンドに溶け込むまでに「流れるべき時間」というものが必要だったんだろうね。
レコーディングが終わってミキシングも終わったとき、「苦節2年半ようやくここまで、、」とみんなで浸ったのは良い思い出です。


歌詞は、僕の中にある「記憶」のことがテーマになっています。
いつか忘れられてしまう、忘れてしまうことへの僕なりの葛藤を
2つの意味が重なるように言葉を連ねて書き上げました。


「HELLO, NEW WORLD」の話をしたときに、14歳くらいのころの僕は教室の隅に追いやられるような青春を過ごしたと書きました。恵まれたことに僕は誰一人話してくれなかったわけではなく、そんな孤立した僕と話してくれる友達は少しだけいました。
みんなそれぞれ自分の生活や環境に悩みや問題を抱えていて、僕らは火をくべあうようにして冬の季節を過ごした。
放課後はみんな帰りながらふざけあったり、学校が休みの日にはカラオケ行ったり。なんとか楽しみはある学生生活を迎えさせてくれました。本当にありがとう。生き延びれていたよ。

だけど卒業して10年も経ってしまうと、お互いに会う機会も減っていってしまって。あの頃はあんなに心を通わせることができていたのに、今あったらすれ違うことばかりな気がして会う気になれない。
今はそりゃみんなそれぞれの幸せを見つけることができているのかもしれないし、それは祝福すべきことだから。止まったままの時計はそのままにしておいたほうが、安らかなこともあるかもしれないよね。分かるかなあ。
彼らが僕と過ごした青の時を忘れてしまったとしても、僕はずっと大切にしていたい。

まだ僕は若くて、この歌を本当の意味で歌い上げることができるのはもっと先のような気がするなあ。ライブでは大切に歌っていきたい曲がまた増えました。

















もう一つの「記憶」の話。

大阪には父親の実家があって祖父母が今も住んでいる。
70代の祖父、彼はいわゆる認知障害が始まっているらしい。
僕は両親よりも祖父によく似てると言われて育ち、外見も内面もよく似た僕を彼はよく可愛がってくれた。
昔から僕の歌う歌が好きで、よく彼の好きな曲を歌ってあげた。それはよくある家族団らんというものの一つであっただろうが、人前で歌う楽しさを僕に教えてくれていた。
恵まれた家庭で育った僕をいろんな意味で支えてきた人だ。

最近は会話をしていると同じことを訪ねてくるようになっているし、口ぶりもすっかりたどたどしくなってしまった彼を見ると「時間の流れ」はあまりに残酷だと感じる。会うたびにその瞳は光を失っていっているような気がする。
月並みな表現だがいつかは僕のことも忘れてしまうのかもしれない。

8月に大阪に行ったときに祖父母の家を訪問した。
まだまだ身体のほうは元気そうだったし、会話もしていられる。次会いに行けるのはいつになるかな。と別れ際、昔のように彼の好きな歌を歌ってあげた。彼は一緒に口ずさんでくれる。若かりし頃何十回と聴いた曲なのだろう。その曲の歌詞は一言一句間違えずに口ずさんでいた。

いつかすべてを忘れてしまったとしても、そんな風にフッと思い出してくれよ、と僕は思った。


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