やさしいモジャ

どうしようもなくモヤモヤして、何をしても違う気がする日がたまにある。
友達と会う予定をこなして、家族団欒も一通り過ぎ、猫を触り、母の買い物を手伝った。充実した日だったとは思うんだけど。

ぼーっとSNSを見ていたら昔優しくしてくれた人を思い出す漫画が目に入り、ぼーっと読み切った後でnoteを開いているのだけど、なんか私もそんな人がいてくれたのをふと思い出した。

漫画の中では作者の親戚に当たる人のお話だったけど、私の場合は母の友達。一回しか会ったことがない人。パーマ風の地毛が面白くてモジャと呼んでいた。

私の親戚には私より年上の子供はいなかった。兄も姉もいない私はとにかくお兄ちゃんやお姉ちゃんに憧れがあった。そんな幼少期の唯一の兄の記憶が「もじゃ」だ。
もじゃは子供が好きなお兄さんだった。何をしても怒らないし、今では申し訳ないと思うような失礼な発言も笑ってくれた。プロレスも上手かったし、なにより笑顔が優しかった。理想のお兄ちゃんだった。黒のコートがよく似合う、スラッとした好青年、という感じで。

よほどモジャとの時間が楽しかったのか、私は何度も母に「モジャに会いたい」と言った記憶がある。まあきっと大人は忙しいからなかなか都合がつかなかったのだろう、次に会うことはなかった。
最後に母の口からもじゃの名前が出たのは、亡くなった知らせだった。
元々モジャは持病があり、後で薬を飲むと言って風呂場で転倒、打ちどころが悪くそのまま亡くなった。

なんとも言えない。私の知らないモジャ。というか、そもそも何も知らなかったのだけど。
1日、たった数時間遊んでもらっただけ。それなのに20をだいぶすぎた今でも忘れられないのはなぜなのかわからない。ほんとのモジャの名前も知らないけど、顔も思い出せないけど、笑顔の皺だけは思い出せる気がする。全部知ってる気がする。

ありがとうという気持ちはもちろんある、唯一のおにいちゃんだからね
だけどありがとうと言うにはまだ何もしてもらってないというか、誰に言ってるのかわからないくらいモジャに言ってる感覚がない。伝わらないくらいに知らない人なのだ。まだ遊ぶ時間足りてないんじゃないの?モジャ、大きくなったよわたし。

夜な夜なnoteにこんな気持ちを書いたら天国のモジャはびっくりしてるだろうな。でも優しいからあの笑顔で読んでくれるかな、なんか笑顔が鮮明になる。もう私の思い描く架空のモジャなんだけどね〜

モジャ、ありがとう。うれしかったよ。

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