突然の別れ
「お兄ちゃんが死んじゃった...」
2023年9月16日 7:09
一通の電話で私は目覚めた。
実は昨夜23時頃に家から着信が入っていた。
気付いた時にはもう日付けが変わっていたので
起きたら電話を掛けようと思っていたが、
おばあちゃんはいつもなら寝ている時間。
いやな胸騒ぎがした...
「え、嘘でしょ...どうして...」
その電話で一気に目が覚め外に飛び出した。
嫌な予感は的中していたのだ。
私は突然の訃報を受け止められなかった。
現実味がないと思いながら頬は濡れていた。
電話を終えてもしばらく涙は止まらなかった。
今日は、友達とイベントをやる日だった。
どうしよう。。。
幸い帰るのは明日の夜までで良かった。
自分が言い出した事だから最後までやろう。
そう、決めてイベントに挑んだ。
思った以上に盛況でオープンからずっと忙しく、
兄のことを考える隙もなかったので救われた。
誰にも言わないと決めていたのに
お酒が入った私は数人に零してしまった。
楽しいお酒の場が一瞬凍った、そりゃそうだ。
なんとかイベントは、最後までやり切ることができて。正直複雑な精神状態だったがやって良かったと心から思った。何より参加してくれた人が楽しんでくれてとても嬉しかった。
そんな楽しい時間は終わり。
現実と向き合わなければ行けない時がきた。
少し仮眠を取り実家に向かった。明日は葬儀だ。
日曜の夜に、朝が来なければいいのにと思う事はよくあるが、そんなの比にならないほど朝が来なければいいのにと願った。現実と向き合うことが怖かった。
何もしてないと常に考えてしまうし
目をつぶったら朝になってしまう
そう思いお酒に逃げた。
事情を察してくれた女友達とスペースをした。
ただただ酔っ払いくだらない話をして、いつも通り接してくれたことに救われた。
結局寝たのは外が明るくなり出した頃だった。
その夜のツイート。
顔をみた。
私たち兄妹は4人なのに何故そこにいるの??
なんで横にいないんだろう??
お兄ちゃんが骨になった。
なんで骨になってるんだろう??
心が追いつかなかった。
悲しいとかよりも不思議だった。
突然に別れが来ると気持ちが追いつかず
そういう感覚になるのが普通らしい。
初めての自叙伝にも少し生い立ちを書いたが、
私は静岡の片田舎に曽祖母、祖父母、両親と4兄妹と犬の大家族のもとで育った。
今家にいるのは、祖母と母親と長男だけだ。
母親は自分がやりたいことを好き勝手にやってるのでほとんど家にいない。
子供の頃から、家のことも子育ても面倒を見てくれていたのはおばあちゃんだった。
そんな大好きなおばあちゃんが弱った。
次男は、兄妹の誰よりも
素直で頑張り屋で性格が良かった。
ただ人より少し知能やコミュニケーション能力が足りなかった。身なりにも無頓着だった。
だらしがないと距離をとった時もあった。
だけど、しょうがなかったのだ、
人より能力が劣っていることが認められた。
母親がもっと子供に向き合っていればもっと早く気づけたのかもしれない...
兄は一年ほど仕事に就くことができなかった。
やっと、専門のコースで働き口が見つかりそうな光が見え始めた頃だった。
死因は、熱中症だった。
毎年ニュースで聞くがどこか人ごとだった。
祖母の実家で稲刈りの手伝いに連日行っていた。
人に「ありがとう」と感謝されること程、嬉しいことはない。兄にとっては1年ぶりの労働だった。最初は嫌がってたらしいが、3日目にもなると活き活きとして出かけて行ったらしい。
珍しく母親もその姿を見に行ったときいた。
9月中旬日中は炎天下、車で休憩していて
そのままかえらぬ人となった。
普通の人ならこれはヤバいと思うが、その判断能力もなかったし体力も尽きていたのかもしれない。
その日から常に兄のことが頭に浮かぶようになった、突然涙が溢れて止まらなくなった、だけど関東に帰ってきてからの生活は何も変わらなかったから、考えないようにして過ごすこともできる。でもそれじゃダメだ。毎日いろんな気持ちと葛藤した。
兄の死は私たち家族に色んな気づきをくれた。
今でも悔やみきれないけど、最後に人に感謝されて喜んで生涯を終えることができて良かった。本人もきっと嬉しかったと思う。
別れはいつも突然だ
いなくなってから後悔しても遅い
絶対同じ思いを抱きたくない
相手がいた
私は中学生の時に反抗期でグレていた。
そのまま高校から家を出ているので
もう15年になる。
「帰ってこようかな...」
何となくポツリとつぶやいた言葉だった。
少し前から私は転職をしようと考えていた。
だけど何か身が入らなくて、でも人生の転換期なのは感じていた。自分の発言に腑に落ちた。
全部を捨てても守りたいと思える
だからそう決めた。
自己犠牲的な考えの時もあったけど
そうじゃない
私がそうしたいからそうする。
裏垢ももともとやめようとは思ってた。
明確な理由がなかったけど進路は決まった。
残り3ヶ月、私の関東の生活は横浜から始まった。
たくさんの出会いがあった。
死にたい日々もあった。
毎日愚痴を聞いてくれた人。
真正面から私にぶつかって来た人。
愛するということを教えてくれた人。
残りの時間は感謝を伝えて生きたい。
もう冗談でも死にたいなんて言わない
生きたかった人の分まで生きなきゃ
私たちは何でもできるんだから
来世は、裕福な家庭に健康な体に生まれて好きなことを思いっきりして幸せな人生になりますように。お兄ちゃん生まれてきてくれてありがとう。
おわり。
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