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平凡な日常に、『I Don`t Want To Miss A Thing』を添えて

「ママ! ママ!」

大人でも見上げるほどの棚に、あふれんばかりのおもちゃが並んでいる。ハッピーを絵に描いたようなカラフルな店内にそぐわない、涙交じりの声が棚の向こう側を右から左へと通り抜けて行った。回り込んで見てみると、小さな女の子が、キョロキョロとあたりを見渡しながら小走りに進んでいる。見るからに迷子だ。どんどん足取りが早くなっていく。そうして歩き回るうちに、どんどんはぐれてしまうと聞いたことがある。 

「ママ!!」

駆け出した小さな肩を思わず引き留めた。

「ママ、いなくなっちゃったの? おばちゃん、一緒に探してあげるから一緒においで」

知らない人にはついていっちゃいけないと教わっているだろうに。差し伸べた手を、思いもよらないほど強くぎゅっと握り返してきた。小さな握りこぶしの硬さが、この子の抱えていた不安の強さを物語っていた。

「大丈夫だよ、ママ、すぐ見つかるよ」

 小さな手が私だけを頼り、トボトボと横をついて来る。頼られていることが、嬉しくてたまらない。使命感が燃えてくる。この感じ、既視感がある。

私の大好きな映画『アルマゲドン』が思い浮かぶ。

 地球に衝突しつつある小惑星を爆破するため、主人公ハリー・スタンパー(ブルース・ウィルス)率いるポンコツ石油採掘男たちが次第に一致団結し、愛する人を守るため、小惑星に核弾頭を仕掛けに行くという話。クライマックスシーンでは、エアロスミスのステーブン・タイラーが『I Don`t Want To Miss A Thing』を歌い上げ、気分が高ぶらずにはいられない、あの作品である。

 チビッ子を保護し、サービスカウンターへ向かう私の頭の中では、この『I Don`t Want To Miss A Thing』が鳴っていた。歩みはスローモーションで、瞳からあふれそうになった涙、小さな子どもの手がクローズアップされる。逆光に輝くサービスカウンター、その前で両手を広げる係の人、右の方からは、遠目に娘を見つけた母親が安堵の表情を浮かべ、コートを翻しながら走って来るのが見える。子どもの手のぬくもりが、母を求めて離れていく。そのことにホッとする……。

不意に手にした“心動かす出来事”は、私を幸せな気持ちにさせてくれた。それは、日々の中にも散りばめられてはいないだろうか。

 私が働いているのは、デイサービスだ。そこには一日平均19名の高齢者が集まり、時を共にする。体操をしたり、工作をしたり。そして、手と手を取り合う機会も多い。

 例えば、おばあさん同士が手を握り合ってお喋りをしていることがある。会話の内容は、お互いの手のシワやむくみのこと、若かりし頃、機械に挟んで指を欠損した話なんかが多いのだけれど、和む。

 「あんたの手、シワが少ないね」

「何言っとるの、お互いおばあさんだがね」

笑い合いながら手取り合って、共鳴し合っているようにも見える。なんとも可愛らしい。

私たち職員がご利用者様の手を取る時は、足取りのおぼつかないご利用者様を支えために、そうしていることが多い。だが、時にはご利用者様の気持ちに寄り添うために、手を添えることもある。

 この日、私の手を握りしめていた手の主は、マサヨさん(仮名)、92歳。午前中は機嫌よく過ごしていたのに、食後のうたたねから目覚め、豹変した。

「そろそろ子どもが帰ってくる。ご飯も作らんと。こんなとこに居ちゃおれん」

それがほんとなら急いで帰らなきゃいけない。が、マサヨさんの息子さんは、とっくの昔に定年退職を迎え、今やシルバー人材センターの重鎮だ。ご飯を作って待つのはお嫁さんの役目で、マサヨさんの出番はもう何十年もない。

 マサヨさんの中でだけで飛んだ時間を、どうにか穏やかに巻き戻すことはできないかと思案しながら、グイグイ手を引っ張られ歩く。玄関を抜けて外へ出たマサヨさんは、ついに、送迎用の青い軽自動車のドアを開けようとした。

「あれ? 開かないじゃん」

「(小芝居を打つ)あ、鍵、忘れてきちゃいました」

「ドジだなぁ」

「すいません。一緒に取りに戻ってもらっていいですか?」

「一緒に? しょうがないなぁ」

配役は、鍵を忘れた私、着いて来てくれるマサヨさんに変化した。玄関に戻れば他の職員が、阿吽の呼吸でこう迎えてくれる。

「おかえりなさい、マサヨさん。あったかいお茶でもどう?」

マサヨさんは妄想から手を離し、緩やかに現実にもどっていく。席に着いたのを見て職員一同ホッとする。ここまで来れば、きっと穏やかな笑顔でお茶をすすってくれることだろう。

 映画『アルマゲドン』ほどの激しさはないけれど、ここには、日々、あたたかなミッションがあり、ちょっとした使命感と高揚感がふんわり漂う。

そして、あんなに力強かったマサヨさんの手も、今はもう握り返すことはできない。

天使たちに手を取られ、旅立ってしまったから。

だからこそ、小さな幸せを日々重ねたいと思うのだ。

 

そして、また私の頭の中には、あの曲が鳴っている。

『I Don`t Want To Miss A Thing』

 

≪終わり≫

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