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ヘルプマーク導入で見た世の中の諸々

MSを患い1年が経過したわたくし、手足の不調と非常に疲れやすいという症状が残っているので通勤の電車移動時にずっと立っているとかなりしんどい感じになります。
手の感覚異常と共に握力と筋力がだいぶ弱っているので腕を上げ続けていられず、吊革に掴まっていると手が痺れてきて掴んでいられなくなります。なので可能な限り吊り革ではなく手すりに掴まる。足はうっかり油断をすると膝がカックンと力が抜けてソロ膝カックンになるので足幅は極力広く立つ。
ですが乗り換え時の移動もあるので、ずっと立ったままでの通勤を経て勤務先の最寄駅に到着する頃には疲労困憊、会社に着く前に既に帰りたくなってしまうので(早)こりゃマズい、運良く座れるチャンスを増やそう。と思いたち、ヘルプマークを導入することにしました。

ヘルプマークとは…
東京都福祉保健局のサイト

ヘルプマークをつけて「もしよかったら席譲って★」と主張するわけですから、そりゃあ優先席付近に行くべきであろうと思うので、電車に乗る時は優先席のある場所から近いドアから乗り込みます。
ですが通勤時間帯の電車は当然優先席も埋まっています。
優先席に座っている人を立たせてまで座らせろぃ!という気持ちはないので、空いたら座ったろ。と思い優先席が見えるくらいの範囲で手すりに掴まれる場所に立つ。

すると、わざわざ立って、お席どうぞ!って言いに来てくださる仏様のような方が時々いらっしゃるのですよ…
ああいう人は本当に仏様とか神様の世を忍ぶ仮の姿なんじゃないのかと思います。

と、ここで私は声を大にして言いたい。

よくTVやネットなどのメディアで「優先席に座っているおじさんは知らん顔して絶対席譲ってくれない」みたいなご意見を見ますが、そうやってわざわざ立ってまで席を譲ってくださるのは、偶然かもしれませんが、いつもおじさんです。
スーツ姿の、ダサめの通勤バッグを持った、ぷっくりしたおじさん達です(いやシュッとしたおじさんの場合もあるけど)。
私だけじゃなく他のヘルプマークを着けた方、マタニティマークを着けた方が乗り合わせることももちろんありますが、すぐに気づいて優先席を譲るのは、大体おじさんです。
むしろTVやネットでは「おじさんと違って気付いて譲ってくれる」と言われている女性や若い男性に譲ってもらったことは、私は、一度もない。
逆に偶然優先席がいっこ空いてるからやったぜと思って座ろうとしたら後ろからシュッと割り込んでその席に座った若いメンズや女性に遭遇したことは何度もあります。
ちなみに今日も遭遇しました。

こちらは「できたら席譲ってくれよぉ」とお願いしてる立場なので偉そうなことを言うつもりはありませんが、世の中の「おじさんってほんと周りに気が回らなくて図々しいよね」みたいな風潮には激しく異議を申し立てたい。

おじさんはちゃんと周りを見ている。
おじさんは弱者を助ける強さと優しさを持っている。

もちろんヘルプマークを見て知らん顔をするおじさんもいます。
ヘルプマークに気付かないおじさんもいます。
でも、世の中でよく言われているようなほど多くはない。
そもそもそうでなきゃおじさんになるまでの長きにわたって社会に出て生きていけないと思いますよ。

別に私がおばさんだから同年代のおじさんを庇護するわけではないですよ?

本当ですよ!?

それはさて置き

自分がヘルプマークを着け始めて気付く、ヘルプマークユーザー達。
大体の方はそっと
ひっそりと
さりげなく着けていて
「できれば優先席座らせてね」
とされてらっしゃるのですが、何度か、「座席強盗」としか言えないような人を目撃した。

ヘルプマークを印籠のように振りかざし(比喩的表現ではなく本当に振り回して周りに見せていた)、優先席に座っている人々の目の前の

床に

座り込み、優先席に座っている人々をジロジロと睨み回す男性。ちなみにヘルプマークを着けて座っている私のことも睨んでました。

電車に乗り込むなりヘルプマークを前に突き出しながら、優先席に座っている人々に
「なんでオマエら優先席座ってんだよぉおおおおお!!!!」
と怒鳴り散らす男性。
ですが、偶然でしょうがこの時優先席に座っている人々は自分含めてほぼ全員ヘルプマークユーザーでしたので皆困惑の表情でした。

優先席に座っている人の足を傘でつつき回すヘルプマークを着けた女性。
傘を動かす反動で彼女の隣に立つ私に水が飛んでくるという二次被害。

ヘルプマークを着けた荷物を優先席に座った自分の
隣に
座らせている女性。
そこは座席であって荷物置き場じゃねえ。

これじゃあ日本の福祉意識が上がらないのも無理はない。
と言わざるを得ない。
何より、ヘルプマークを着けていることによりあれらの同類と思われてしまうのではないかと考え、恥ずかしくなってしまった。

でも、1時間超立ちっぱなしでの通勤は、正直辛い。
辛いというか、ぶっちゃけ限界を感じています。
最近では諸々の不調が顕著になっていて、通勤以前に「果たしていつまで働き続けていられるのか」という不安を感じています。
経済的にも精神的にも可能な限り働き続けてはいたいので、極力長い年月働き続けていられるように、減らせる負担は減らしていきたい。
なので、今日もヘルプマークを着けて電車に乗るのです。

だから頼む。

私も含め、社会的に「弱者」である側の人々よ。

人としての誇りを捨てるな。

少し前に炎上された車椅子ユーザーの方の言動も然り。
他人に配慮を求める人は、求めざるを得ない事情がそれぞれある。
私もある。
だからヘルプマークを着けている。
車椅子に乗っているあなたにもある。

でも、だからといって、そうでない人々に、「我々に配慮をして当然だ」と、人の情けを強請ってはいけない。
それは人の好意の、労力の、時間の、強奪だ。

物乞いですらない。

強奪だ。

私は、他者の持つものを無理に奪ってまで自分の都合を通したいとは思わない。
若干手足や記憶に不具合は出ているけど、だからといってそんな、傲慢な、恥知らずな真似をするくらいならば、いっそ床に倒れた方がマシだ。
そのくらい恥ずかしい、自分の人としての尊厳を損なう行為だ。

人として生きてゆく上で、誇りを失くしてはいけない。

弱者の側である人間は、世間に遠慮をして、小さく縮こまって生きてゆくべきだと言っているんじゃない。
他者より少し弱いからこそ、恥を忘れてはいけない。
誇りを失くしてはいけない。
他者に配慮を求める事情があるからこそ、優しさの手を差し伸べてもらった時に礼を通せるよう、胸を張って生きていなければいけない。

そう強く自分への戒めとなった、ヘルプマーク界隈でした。

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