見出し画像

現代社会のユーロビート

作 東道海馬

◆無意識空間のパノプティコン
「あの人が、亡くなった」
 急な知らせでございます。その日私は普段通り、縁側にて煙管を吹かせながら茫然と中庭を眺めている所でございました、するとそこに水を差すように、確かにその人の死が舞い込んできたのでございます……それのなんとまぁ唐突たるや。すぐさま煙管を放り投げ、ベランダの錠を閉めるのさえ忘れ、私はすぐさまあの人のもとへ、駆け出すのでした。いえ、決して知らせをくれた若者に対して非難するつもりはありません…ましてや急逝したその人に対しては猶更です―そう、すべては私の責任なのです。
 とはいっても、決して人を殺めたりだとか、暴言を浴びせて追い込んだとか、非人道的なことは一切しておりません。しかしあの人が死んだ原因が少なからず私にある、これはあらゆる可能性を考慮したうえでも確実なのであります。最も生前、あの人と私との間には何かしらの関係がありました…とはいってもお互い何か特別な感情があるわけでもなく。俗にいう腐れ縁に近しいものがあったのかもしれません―
 しかし私は今回の件に関しては極力、無関係でありたいのであります。先ほど私がその人の死に関係があると記述しましたが、それでもなお、私は素知らぬふりを通していたいのでございます。いえ、決して彼の死の責任から逃れるつもりは毛頭ありません。しかし、私の内奥でその日から何か、不吉なざわめきを感じるのでございます。負のレッテル貼り、世間からのバッシング、腫れ物扱い、村八分…いえそれよりも更に恐ろしい、言語化できないほど類を見ないようなものが、今後私を覆いつくす気がしてならないのでございます。あの人が死に、私がその要因の一部として存在していること、これはまごうことなき真実です。しかしそれを認め、永遠にこの世間体で存在できないというあまりにも重たすぎる十字架を背負い続けるなど、今の私には到底決断しがたいことでありました…ああ恐ろしい!
 ―そう思ったのもつかの間、私の身体は既に、外界へ、放り出されていたのでした。あれほど恐れていた、自身がもう平穏に暮らせないほどの圧をかけようと企む、あの外界に。あの人と私を繋ぎとめようとする混沌の渦に。自らの身を投げ―そのまま中心へと吸い寄せられていくのでした。気でも違っていたのか?―いいえ、私は確かに正常で何も問題はなく、今自身に立ちはだかる問題と対話し、確実に解放へ向かっていたのですが……こうなった以上は手の施しようがありません。
 私があの人の訃報を聞かなければ?そもそも知り合わなければ?いずれにせよ遅すぎます。無制限に深淵から湧き出る後悔の念を、頭中に張り巡らせながら、私の身体はゆっくりと確実に、世界の中心に向かって沈みゆくのでした。
◆カラスの目玉を持ち去る
 その目玉の向く先は 彼方へ 目視できぬ方向に
◆歯ブラシ動物園
 その日、動物園はやけに静かだった。
 元々動物園自体が都市部から大分離れたところに位置しているのもあるが、それでも普段は家族連れやお年寄りなんかが暇つぶしで来園するような、まさに町の憩いの場みたいな雰囲気を醸し出していた。
 そんな動物園が今日来た時には馬鹿に静まり返っているのである。それも施設のリニューアルや撤去の知らせが何もないのに、だ。先述の通り、町の憩いの場として皆から愛されている(かはしらないが)動物園ならばより一層施設全体に関わる知らせがないと町全体が混乱するだろうし、これはそもそも施設としての役割を放棄することに等しい。では、動物が何らかの感染症に一斉にかかったのかというとそうでもなく、動物たちは以前変わりなく。まるで世間体を気にしないかのように、檻の中でそれぞれの生の営みを全うしていた。それでは一体動物園に何があったのか? 答えはすぐに分かった。


  『はぶらし』。恐らくは私たちの生活上言葉の意味のまま捉えるのが正解なのだろうが、しかし以前から落書きで書かれていたのを見逃していただけだろうか―その四文字はあたかも昔からそこに印字されているような顔をして座っていた。だが、言葉の意味のままとして、果たしてこれが動物園に誰も来ない理由になるのだろうか? 
 その矢印の方向に従い、足を進めていくと、確かに『はぶらし』は柵の真ん中に置いてあった。一本。何食わぬ顔で。まるでそこに元から暮らし、生きているかの如く。これは果たして大人が軽はずみでやったいたずらなのか?それとも好奇心と思い込みによる単なる事故なのか?
 その翌日から三十九年後の閉園まで、その解が出ることはなかった。
◆しこり
 私の身体にできたそれは 或る時は体内を蝕み
 また或る時は私の負の感情を捨て去る
◆月のもようのはなし
 「お月さまにはうさぎがいるよ」
 「ちがうよ、笛を吹いている男のひとがいるんだ」
 「いやワニだよ、ぼくらをいつか食べようとじっとみつめてるんだ」
 「あれはきっと、神さまがひまをもてあましてかいたらくがきだ。うさぎでも男でもワニでもなんでもない」
 「たぶんこのもようはお月さまがながいことわたしたちを見守っているかていで生まれた、えいえんになおらないなんだとおもうよ」
◆蛍光灯奇譚
 ある朝のことだった。おれはいつも通りに電車に乗り、そのまま町はずれの古ぼけたデパートに入っていった。そのデパートはもうできてから数十年にもなり。ありとあらゆる所が使い古され、黄ばみ、そして閑散としていた―なぜ今この時代にあるのかが分からないほどに。当然客はそこら辺のアパートや住宅街から来た老いぼれや世間知らずな家族ばかりで、おれのようにわざわざ遠くからやってくる人間は誰一人としていなかった、しかしおれはその状況を、むしろ喜ばしいことだと思っていた―確かに今日までは。
 蛍光灯が盗まれたのだ。とはいっても諸君の殆どは強盗か何かが入ってきて、このちんけなデパートが気に食わなかったのだろう、蛍光灯を全部盗んで業務妨害しようと企んだと思っているに違いないが、今回の事件はそんなちゃちなものではない。
蛍光灯の中の人間が、
「人間だけがきれいさっぱり盗まれた」。
 元来……おれはこいつが嫌いだった。嫌いで嫌いで仕方なかったのだ―というのも、おれが目の前を通っても、挨拶をしても、あいつはおれを認識せず、いや認識しないなのかも知らないが―とにかく逃げ回っていた。扇情なのか。侮辱なのか。おれは気づいたらこいつにむかっ腹を立てていた。二階へ行く階段を上った先。明らかに広すぎるフロアーを何とか埋めようとする商品の羅列。自販機の。このすべてを、あいつは平然と台無しにしてきた。そのうえここにしかいないというのも一層、おれの癪に障った。
 しかし今、ここにこいつはいない。あの煽ってくるような眼差しも、おれを視認しようとしない態度も、今日の朝に来てみればすっかりなくなっていた。
 果たしてこれは本当に祝福すべきことだろうか?
 黄ばんだ白。方向を示す矢印。緑の扉。
 そして決して埋まることのない虚。
◆寝覚め
 エロティックな甘い汁をすすった後
 余韻に浸るまでもなく
 やりようのない不吉さが
 無慈悲にもわたしを襲い
 そして去っていった
 …………
本日はこれでおしまい。
◆よだれ
 ねばりけのあるなにかがくちのなかでからまって。 じめんにぽたり。
 かがやきをのこし。 うちがわににじがひかった。
◆美術館で起こった、凄惨で巧妙な、恐ろしい殺人。
 L県M市YY田美術館にて。
 午後三時八分頃、或る女(三十八歳・住所不定)が死体で発見された。警察の調べによると女は今日の午前九時にYY田美術館へ入場後、暫くして行方が分からなくなっていたという。女は発見時両眼と頭蓋、下腹部が何者かによって抉られた状態だったものの、血痕等は現在まで確認されておらず、証拠隠滅のため何者かが拭き取った可能性が高いとされている。また死体のそばにパレットナイフが床に刺さっているのを発見。警察は事件に何らかの関係性があるとしてこれを押収、引き続き捜査を進めていくという。
 なお事件が起こったYY田美術館は今日まで『特別展・コガネムシ』を開催する予定だったが本事件を受け、今日開催される部を全て中止。チケットの返金対応に関しては今後本展ホームページにて対応していく予定だという。
(M新聞二千四十六年七月九日夕刊より抜粋)
◆猫と壁のおはなし
 下水道を歩いていた 一匹の猫が 無残にも壁に吸い込まれ。
 やがて搾りかすと 血液が混じった。
◆暗黙の了解
 くたびれた黒いヘアゴム………拾わないように。
 青色のカモシカ…………………触らないように。
 廃墟の町…………………………行かないように。
 ダイアモンド……………………目を逸らすように。
 見せかけのぶどう酒……………飲み込まないように。
 唐辛子……………………………見捨てるように。
 足が欠けた椅子…………………黙視するように。
 しわくちゃの皮膚片……………覚えておくように。
 甘美な死骸………………………放棄しないように。
 今後のあなたのために。みんなの未来のために。
◆ギター男が来る
 「ギター男が来るぞ!」
 「ギター男って何」
「ギターを小脇に抱えて無機質な世界を尻目に鼻を鳴らす、生意気なあの男のことさ」
「そう」
「一度君も会ってみなよ」
「別に今の情報を聞く限り会いに行こうとは特段に思わないけど」
「でも会いに行くべきだよ」
「それは何故」
「実は彼、ギターを弾かないのさ」
「じゃあギター男じゃなくてただの男じゃないか」
「しかも肝心のギターを持っていない」
「それじゃあ君にはいったい何をそいつに見出したというんだ」
「刺激さ」
「刺激?」
「あいつは立体感を持った重厚な刺激をおれたちの脳の中枢に送り込むことができるのさ!」
◆不機嫌な野良猫、ジーザス
 やっとこさ一仕事終えたところなのに
 …………ヤレヤレ。
 安眠できるのは まだまだ先になりそうかニャァ。
◆果てしなきハイウェイ・オアシス
午後五時三十七分 タイムカードを切る。
午後五時四十分 支度完了。そのままバイト先を出る。
午後五時四十一分 バイクのエンジン掛けに手こずる。
午後五時四十二分 およそ一分二十七秒かけ、エンジンの作動に成功。
午後六時一分 高速道路に乗る。
午後六時十三分 左車線側にパチンコ屋を確認。この時、時速五十七キロ。
午後六時十五分 太陽の日差しが右頬を強く叩くのが分かる。
午後六時二十三分 この時、時速五十九キロ。
午後六時二十四分 トンネルに入る。時速六十キロ。
午後六時二十五分 該当トンネルを通過、この時丁度逆走事故が発生。
午後六時二十八分 サイレンの音が聞こえる。
午後六時二十八分 あたりが暗くなり始める。
午後六時二十八分 排ガスの灰色と鼻毛が絡まりあい、不快。
午後六時二十九分 微かに林間学校のサイレンが聞こえる。
午後六時三十二分 分岐。敢えて普段通らない真ん中の道を通る。

 その道はかつて高度経済成長期に開通される予定だった、いわゆる都市開発の一環を担う道路になるはず―だったが、援助をしていた知事の税金未納問題の発覚や団地を施工する会社の倒産により開通工事が中断。その後幾多の不景気を耐えつつ、近年のインフラ整備や未来都市プロジェクトの成功により今やブラックホール型自治体とまで呼ばれるようになったO府B市に繋がる幹線道路がこうして通れるようになるには実に三十五年もの時間を要した。とはいってもコンクリートが全体的に引き締まっている以外にはこれといった特別な要素は無く、周囲の背景も一面に隆起した緑、あるいは一時期話題になって以来そのままになってしまったテーマパークの残骸が見えるのみである。
 そんな道をただひたすらバイクで走っていく…繰り返される一寸先の闇めがけて。一心不乱に何かを求めるように。だがその先に彼の自宅は無かった―しかし彼は止まらない、まるでベルトコンベアーに載せられた玩具のように、彼はただ次々に暗闇から現れる灰色の無機質な道を進んでいった。
随分先のことを言うと、彼はこの後B市に差し掛かって高速を降りた後即座にUターンし、家路へと着く。これは決して彼の望む物がB市に無かったわけではない、むしろ逆で、市内はまさに彼の描く理想郷そのものであったのだ……にもかかわらず彼はその理想郷を程なくして去ってしまう。いつもの普遍とした、日常の一部へ戻っていく。根本的な何かが足りていない、虚構を残した空間の中へ―。
 だが彼は全くそのことを気にしないだろう。いや、そもそもそのことを認識する必要性などないのかもしれない。なぜなら彼は道を走ること、ただそれだけに価値観を見出しているのだ。無機質で閑散とした、ただ都会に向かって真っすぐ伸びている道を、自身のペースで走ることに意味があったのだ。最も自身の安全を考えたうえで臨むことこの上ないが。
◆顔の左半分にタイヤ痕のある男に関する供述
 そいつがっていうんだけどね。あいつったら変なのよ。
 なんたって昼夜逆転に加えてグスコーブドリは実在すると言ってやまないんだからね。
 この前なんか蛾の羽を目の前で毟って瓶に入れて
「ホラ、ティンカー・ベルは今まさに僕の手中に居る!」
ってやってたんだから。なんかの薬物やってんのか知らないけれど大概にしてほしいわよね全く。
 ねぇ聞いて。この前デパートでさ…あっデパートってあの並木通り近くの舗道の方よ…最近できたやつ、で、そこで私買い物していたのよ、ア~今日は息子の誕生日ですき焼きパーティーだから一層精を入れなくちゃあってね。そしたらね、いたのよ。あいつが。レジの人混みの中に、しかも白昼堂々と。でよくよく見ると誰かに怒鳴っているみたいで。まさかと思って聞き耳立ててたんだけど。その内容がまあ…想像通りだったわけで。なんともアイツ、風水に嫌われたらしいのよ。ほらあれって元々自身がいる土地を基に環境を整えていって運気を上げていきましょうっていうやつじゃない、それをアイツは何勘違いしたんだか、
「全く、西日が眩しいじゃないか!僕の士気が失われていく!!なぜ君たちは人の不幸をこんなにも無下にするのか!」
的なことずうっと店員さんに向かって怒鳴ってたのよ、まったく…まずは自身の気ちがいじみた言動を改めるべく、環境を一から整えることね。幸い彼はまだ十九歳という唯一の救いがあるんだし、これから治していけば彼も本当の意味で幸福になれるはずだわ―
 それより、ねぇ、最近新しくできた骨董屋もう行った?あそこにオーナーおすすめの輸入品の置物があるんだけれど………
◆高所恐怖症
 あらゆる、物事が、平衡感覚を、失いつつ、ある。
◆涙を流すキツネ
 自然学校の四日目のことだった。今日でこの施設に泊まれるのも最後ということでぼくはこっそりと消灯時間に部屋を抜け出し、施設の様々なところを見て回った。夜の施設は驚くほど静かで、しかも山間部にあるからか余計に静寂さが際立って見えた。早速色んな設備や部屋を見て回る。二日目にワークショップをした会議室。こっそりとカップ麺を買おうとして怒られた自販機スペース。友達がゲロを吐いた給湯室。キッチン。食堂。ボイラー室。あらかじめ組まれたプログラム上では決していくことのできないであろう設備を、ぼくはくまなく探検して回った。途中まるで自分が未開の島を探索している冒険家のような気がしてならず、この時ばかりは自分が暗所恐怖症であることも忘れ思いっきり施設内を駆け回った。
 およそ三十分かけてロビーに戻ってきた。自然学校用の施設とはいえ、こうして見てみるとかなり立派に作られていることが分かる。ふと見上げた天井はとても遠く、ずっと見つめていると今にも吸い込まれそうで少し恐ろしかった。気も済んだことだし、自室に帰ろうと思った―その時、ぼくはまだ心残りがあったのだろうか、非常用に備えられている裏口の方に目をやった。
 そこにきつねがいた。こんな山奥なんだからいて当たり前だと思っていたが……そのきつねはまるでぼくに見つけてもらえるのを待っていたかのようにじっとおとなしく座っていた。
 (ひょっとするときつねはかつてぼくと縁があった何者かの作った像なのかもしれない―)
 こんな小洒落たことを思う年頃でもないが―でも確かに当時はそう直感的に感じた―ぼくはそのままきつねのほうに向かっていった。
  すると突然きつねは泣き始めた―これは擬人法とかちゃちなものではない、ちゃんとした嗚咽がガラス越しにぼくの鼓膜を。心を。貫いた。ぼくは始めこそは、自然を破壊した人間への怨恨であると思っていたが―やがて無意識に心当たりを見つけたのか、全身を激しい後悔の念が襲った。ぼくは…酷く損をしたのだ。まだ生を授かってから少ししか経たないこの期間で、ぼくは人生最大の損をしたのだ―――

 気づいたら自室の二段ベッドの中、時計は六時二十五分。みんなが起き上がる中でぼくは一人だけ、ぼやけたレンズ越しの幻想を見ていた。あの後件の場所へ行ったがきつねはおらず、ただあるのはガラス張りの扉、そして全体をくまなく照らす白い凶器のような光沢のみだった。

 様々な破片が五臓六腑に埋まったまま、ぼくの四泊五日の自然学校はこうして幕を閉じた。

◆視覚と思考の同期について
 結論から申し上げますと、こればかりはどうしようもないことなのです。
と言いますのも元来私の持つ感覚は万人とはちと異なるようで。したがって私の見える世界とその他大勢の人が見ている世界とでは同じように見えて多少のずれが生じるのでございます。
 またお恥ずかしい話、近頃私の頭の中から、沸々と、ヴィジョンが現実世界めがけて、私の手元の方へ、やってくるようなのでございます。長年創作に身を置いた我が身からすればこんなことは初めてのことであり、周知のとおりこの現象はありがたく出迎えてあげるべきなのでございますが―どうもその調子のおかげでここ数日間、日の光と月の光さえ区別もできず、その上執筆の原稿作業ものし上がったと来たらまぁ―!
 そのため寝ぼけ眼で文を紡いでおりますことを、また暫くは執筆からは一旦身を引くことを、どうかご了承くださいまし。いつかきっと、帰ってきます。

 それではみなさん、どうかまたの機会まで、お元気で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?