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夜 10 時の吸血鬼さん

おいさん作
ある日、町の中、吸血鬼に、出会った。 
花咲く森の道ではなく、歩道橋のふもとで、出会った。 
*** 
塾から家への帰り道は二種類ある。 
1、明るくて遠回りのルート。 
2、暗くて近道のルート。 
その日の私はそろそろ家、学校、塾の「 真夏の大三角か!」とツッコミを入れたくなる三 点周回の生活にいいかげんにうんざりしてきていたのと、(ギリギリ自転車通学が許可され 
ない距離)+(学校から塾までの距離)=を教科書が詰まったカバンを担ぎつつ歩いて帰るの 
がダルかったのと、意味もなく開放的かつ無謀な気を抱かせてくる、流行りの歌で言う所の  夏の魔物」とやらに誘われて(?)、普段は通らない2のルートへ足を踏み入れた。 これは幹線道路脇の道で、この幹線道路というやつが塾と家までの道を完全に分断してし まっている。言ってしまうとこいつさえなければむしろ塾は学校よりも家に近い。こいつの せいで私はわざわざこの暑い中、遠回りして帰る羽目になっている。道路脇には古い街灯が オレンジかかった光を一定間隔で道路に灯火している以外には何もなく、あとはいつ開い ているのか分からない新聞屋と、入居者がいるのか分からない木造アパート、それと、幹線 道路の上にかかっている錆び付いて塗装が剥がれかけた古い歩道橋しかない。親が口酸っぱ く あの道を通って帰らないこと」 あの歩道橋は使わないこと」と言ってくるのも頷ける 不気味さ、そしてボロさだが、 やるな」と言われると俄然やりたくなるのが人間であり、 反抗期というものなのだ。 
真夏の夜の風は生ぬるく、いかにも何か出そうな空気を演出している。脇の植え込みから 聞こえる虫の声がさらに雰囲気に拍車をかけていた。あいにくのおぼろ月で、街灯は幹線道 路を照らすことに特化しているので、歩道側にはほんのりとした光しかくれない。だからこ の道は自分の足元すらシルエットになって見える程暗かった。昔友達とふざけて入った、非 常ランプの明かりを頼りに進んだお化け屋敷を思い出し、ちらりと明るい方へ振り返ってみ る。が、ここで引き返すのもなんだかダサい。譲歩した結果ちょっと駆け足で歩道橋まで向 かうことにした。 
ここに引っ越してきた頃に一度見に行ったきり今まで登った事の無い歩道橋は、まず見え るだけの範囲で階段の端の滑り止めが劣化で反りあがり、下段に至っては足を乗せる面の端 が朽ちて穴が開き、隙間から細い雑草がたくましく生えていた。薄緑の塗装と錆びのコント ラストがオレンジの街灯に照らされ、都市伝説の1つや2つは作られていそうなほどの雰 囲気を醸し出していた。手すりに手をかけると塗装が錆びごとポロポロ剥げて手に纏わりつ き、段に足を乗せると浮き上がった滑り止めが沈む感覚が伝わる。
これ早く取り壊すか何かした方がいいんじゃないかな。 
頭の中で(自分の体重)+(教科書の重さ)=を計算しながら「 しまった、最近暑いからっ 
てアイスばっかり食べなければ良かった」と何とか階段を上り、標識についた蜘蛛の巣を横 目に天辺を小走りで渡り、上りと同じように手すりに頼らず階段を下って一安心した矢先、 目の前に人がいることに気づいた。 
普段来ないので知らなかったことだが、この歩道橋のこちら側のふもとには自販機があ った。古くて錆びた歩道橋とは対照的に最新式らしいその自販機は、きっぱりとした LED で中の商品と、自分に寄りかかっている人物を、“真夏に黒いコートをフードまですっぽり 被って着ている人間”を暗闇に浮かび上がらせていた。 
真夏、長袖黒コート、夜 10 時。頭の中に「 不審者」という単語が出てくるのと、家に帰 るにはこの不審者(仮)の前を横切らなければいけないという事実に打ちのめされるのと、 数 10 分前の自分の考えを激しく後悔するのが次々と襲い掛かってきた。そういや最近近所 に不審者が目撃されたって全体集会で言ってなかったっけ、あれはもう捕まったんだっけ、 
こんなことなら校長の話をちゃんと聞いておくんだった。とぐるぐるどうでもいいことを 考えているとその人物は急に自販機を指さしてこう言った。 
 ココアってどれ?」 
*** 
 そうか、夏になるとココアは青いところにいくのか」 
 冷えたココアが売られてるなんて私も知らなかった」 
 近所でここしか売ってないんだ。でも俺夜しか動けないからさ」 
私が教えたボタンを押し、取り出し口から出てきた「つつめたいい ココアを手の中で転が すその顔が自販機の LED に照らされている。ここで初めて、彼が顔の半分近くを覆うほど 大きなサングラスをかけていることに気づいた。白色の光に浮かんだ真っ白な顔に、大きな 蝙蝠が止まっているような、飴色がかった大きなサングラス。 
 目が悪いの」 
 いや、光がダメなんだ」 
彼は古い映画の女優さんがやるようにサングラスのツルを指でつまむと下に押し下げた。 隙間から見えた目は、青でも緑でも、ましてや見慣れた黒や茶色でもない、血のような赤だ。  …あんた何者?」 
 吸血鬼」 
*** 
吸血鬼。またの名をバンパイア、蝙蝠を従え空を飛び、夜な夜な少女の生き血を飲む。弱 点は日光と銀、あとニンニクだっけ。オカルトに疎い私でもそれくらいは知っている。そん な怪物だと目の前の彼は言っている。 
 正気?」
 少なくとも俺自身はそう思ってるけど」 
ココア缶のプルタブをカリカリと引っ掻きながら彼は答える。なんとなく、吸血鬼は爪が 長いというイメージがあった私はそれを見ながら爪切ってんのかい吸血鬼のくせに、と良く 分からないツッコミをしたくなった。これは父方の関西の血だ。私はここに引っ越してくる 前、関西に住んでいた。父親の仕事の都合で今は関東のこの夏は暑く冬は寒い片田舎に住ん でいるが、かつてはテレビをつければお笑いを、小学校の発表会では必ず漫才を、休日お昼 には新喜劇をやっている日常だったため、ボケ「(と私が判断したもの)にはツッコむ、とい う条件反射が染みついてしまった。転入先ではなんとか関西弁は封印できたものの、ボケ、 
ツッコミが通じないコミュニケーションに苦労したことまで思い出し、吸血鬼の前で自分 の血筋を思い返すとはこれいかに、いや、こいつが吸血鬼だと決まったわけじゃないし、で もあの目の色は何なんだ、まさか本当におるんか、この現代に、吸血鬼が__と考える私の 目の前にちょっとぬるくなったであろうココアが差し出された。 
 ついでで悪いんだけど、これ開けてくれないか」 
 貧弱か!!!」 
その日家に帰った時間は、結局1のルート使用時と対して変わらず、というかむしろ遅く、 母には買い食いでもしてきたのかこの受験期に、と大変叱られた。 
吸血鬼にココア缶のプルタップ開けてあげるボランティアしてました、とはさすがに言えな かった。 
*** 
それからというものの、 吸血鬼」さんは毎夜歩道橋の下に現れた。相変わらず炎天下の 名残を引きずる暑さの中、長袖黒コートのフードを被っていて、顔には蝙蝠サングラス、そ していつもココアを飲んでいた。そしてたまにカフェオレやコーヒーをくれた。(頑なにコ コアはくれなかった)そして色々な話をした。といっても時間の問題で、1質問に対し1回 答が限界だったが。 
昼間は動けない、というのは本当のようで、彼は私の日中の行動をとにかく聞きたがった。  学校ってどんな感じ?」 
 どんな、って言っても。勉強したり友達と話したりするだけ。テストあるししんどいよ」 
 部活動は?」 
 吹奏楽。体育祭の入場行進やんなきゃいけないんだけど暑いし眩しいし良いことない よ、絶対先生らの自己満足」 
 トランペット吹いてるの聞きたい」 
 近所迷惑って言葉知ってる?」 
*** 
ある日、町の中、吸血鬼に出会った。
歩道橋のふもとじゃなくて、病院の中で。 
体育大会の演奏で、酸欠と熱中症で倒れて運ばれた私は、病院の無機質な廊下で彼を見た。 白い髪で、白い肌で、赤い目をサングラスで覆った彼。 
アルビノ、という四文字が頭の中に浮かんで溶けて、中から弱視、日光過敏、皮膚がん、 とう言葉が出てきた。 
 吸血鬼じゃなかったんかい」 
 だって日光に当たったら死んじゃうだろ」 
 私もさっき殺されかけた」


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