父と私を繋ぐたったひとつの言葉【父親像】
なますて!
日刊書くメシU30'sマガジン火曜担当のYuri(@yuri_nkmr)です。
本日はマサラの香りと共にインドでカタカタ書いています。
さて、今回のテーマは【父親像】
私にとって、実はドキッとしたテーマでした。
というのも、私の父はすでに天国におり、
私が5歳の時にお別れをしています。
生前、父はいつも海外を飛び回っており、
ほとんど父と過ごした記憶すらありません。
この私に何が書けるだろう?と思いましたが
父が残してくれたある言葉をお伝えしたいと思います。
私と父を繋ぐ、大切な言葉です。
🖋目次
・お父さんってどんな人?
・父が残してくれたある言葉
・今、亡き父に想うこと
・最後に
■ お父さんってどんな人?
さらっと父の紹介を。
・20歳頃に起業(カーディーラーをしていたと聞いています)
ドイツからフランス、シンガポールなど世界を飛び回っていたそう
「仕事が命!」まさに仕事大好き人間でした
・ある日、店頭を訪れた母に一目ぼれ
毎日花束を手に熱烈なアプローチを続け、出会いから3か月後にスピード結婚!
・父と母と兄と私(当時5歳)の4人家族
・心臓病を患い、他界。享年28歳。
■父が残したある言葉
物心抱く前に父とさよならした事もあり、正直話した記憶すらありません。
ただ、ひとつだけ残っている言葉があります。
それは、私が社会人になり上京する時、母が私に伝えてくれたこの言葉。
【働くとは、人生をより文化的で高度でハッピーな生活を送るためのもの】
「お父さんの名言よ。仕事が辛くなったら思い出してね」と教えてくれた言葉です。生前、父はこの言葉をいつも母に言っていたそうです。
当時の私にはあまり理解が出来ませんでした。
しかし、社会人として経験を積み、結婚して家族ができた今、だんだんとこの言葉の意味が理解できるようになってきました。
「一家の大黒柱として、父はこう想いながら
私たち家族のために働いてくれていた。
働くことの本質をしっかりと見つめていた人だったんだ」
この言葉は社会人となった今、大切にしている言葉であり、父の人柄を知れる繋がりのような言葉でもあります。
■ 今、亡き父に想うこと
父は28歳で他界、改めて考えると早すぎるお別れだとしみじみ思います。
私は今29歳、いつの間にか父の年齢を追い越してしまいました。
正直、不思議な感覚です。
”お父さん”なのに、私より年下。
そして、これからずっと私が先輩(天国の父もきっと不思議な感覚かな?)
亡き父に何を思うか。
私の好きなアーティスト・かりゆし58の「さよなら」という曲のある歌詞が浮かびました。この曲を聞くと、自然と父を思い出します。
当たり前のように繰り返しの毎日
命は始まった時からゆっくり
終わっていくなんて信じない
ぼくが生きる今日はもっと生きたかった誰かの明日かもしれないから
この歌詞の言葉を借りると、
私にとって当たり前のように過ごす毎日は
父にとっては羨ましいほど生きたかった毎日。
仕事が生きがいだった父にとって、28歳なんて働き盛りでやり残したことばかりだったと悔いていることでしょう。
子供の成長もきっと見たかったはず。
もし父に伝えられるとしたら…
「私がそっちへ行く時、お土産話をたくさん持っていけるように
父さんの分まで生きて、色んな世界を見ていくね」
ガハハと笑って、ちょっぴり泣いて
しっかりと「今」を生きる事。
そして、父が愛した母を大切にすること。
それがきっと最高の父親孝行だと思うから。
■ 最後に…
このテーマで記事を書きながら、ふとある言葉が浮かびました。
「父親と似ている人を無意識に好きになる」
…あ、そうかも!とドキッとしました。
というのも、「尊敬する人」というテーマの回で旦那の事を書きましたが
”社長(起業家)”という生き方、”熱く真っすぐ”な情熱的な性格
人に優しい所など、母から聞いた父と旦那が、どうしても重なってしまうのです。
…やっぱり血は争えないですね(笑)
父との思い出はかすかな記憶だけですが、
父とちょっぴり重なる彼と
父と作れなかった想い出を作っていこう。
…天国の父にヤキモチ妬かせるくらいに😊
***
今回は少ししんみりとした記事になりましたが
素直に私の父親像を綴ってみました。
世界でたった一人のかけがえのないお父さん。
皆さんが受け取った大切な言葉は何ですか。
ぜひ、思い出してみて下さいね。
きっと心がほっこり温かくなると思います✨
最後までご覧頂きありがとうございました!
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