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争われる光州事件、歴史は誰が語るのか


光州事件:5月18日、光州市で大学を封鎖した陸軍部隊と民主化を叫ぶ学生が衝突し、19日には学生と市民は軍の武器を奪って抵抗した。戒厳軍が投入され10日間にわたって内戦の様相を呈した光州事件は多くの死傷者を出して鎮圧された。

NHKニュース https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030171_00000

歴史は誰が語るのか。
過去が歴史となる瞬間。教科書に載り、記念館が建てられてしまえばそれを覆すのは難しい。私にはそんな不思議な思い込みがあった。

光州事件を除いて韓国の民主化運動が語れないように、光州に一歩立ち入った瞬間、5月18日に残された爪痕を感じないことはできない。
毎日17時18分に市庁舎の前の鐘が奏でる임을위한행진곡(日:あなたのための行進曲)、5.18平和記念館を訪れる子どもたち。
あぁ、こうやって平和への願いが紡がれていくのだろうとそっと胸を撫で下ろしかけた。

「노무현、홍어 맛있어?」

一緒に行った韓国オンニが怒りの表情を見せた。
노무현はリベラル派で知られる盧武鉉元大統領、홍어は盧武鉉の出身地である光州の名物料理。イルべ(일베)と呼ばれる韓国の2ちゃんねるにおいては食べ物の名前で呼ぶことが一つのミームになっている。セウォル号事件の犠牲者をオムッ(어묵)と呼ぶ、と聞けばそのニュアンスはよくわかる。

イルべを超えてインターネット上で、似たような言葉がよく囁かれている。それだけではない。複数の保守政治家が光州事件を「北の工作員」によるものだとして国家の関与を否定している。

この政治闘争の中心地となっているのが全日ビル245である。戒厳令のなか、市民は軍を結成し全羅南道庁に集結していた。その近くに位置しているのがこのビルである。光州事件当時、戒厳軍はヘリコプターから機銃掃射を行い245発の弾痕をビルに残している。

その掃射にヘリコプターが使われているか、否か。

戒厳軍による一方的な虐殺か、暴徒化した市民の鎮圧か、リベラル派と保守派は事件直後から論争を繰り返してきた。全日ビルは、国家権力によって上空からの狙撃が行われている、すなわち市民が抵抗できないのにも関わらず一方的に虐殺が行われたという何よりの象徴となった。
言うまでもなく、複数回韓国国内において事件の検証が行われ、弾道からもヘリコプターが使われたことが明らかになっている。地上においても、その攻撃の規模や血に染まった物的証拠は軍の虐殺という事実をまっすぐ示している。

長年軍部や政治家によって繰り返し行われてきたフェイクニュースの歴史は、全日ビルに深く刻まれている。もっとも新しい日付は2019年、光州事件時の大統領であった全斗煥が市民が行った証言を否定した一件が壁に描かれている。2023年に死去した全元大統領は、最期までその姿勢を覆すことはなかった

市民が感じた痛みは政争の道具ではない。
かつて無視され、踏み躙られた人々は今なお苦しめられている。イルべによって、政治家によって、そしてインターネットで習った言葉を使いたくてたまらない光州の中学生によって。
だが、これは人権の問題である。国家が市民を虐殺してはならない、国家が市民の名誉を虚偽の証言によって謗ってはならない。そこに議論の余地が発生しては、国家の存在意義そのものが疑われる。

言葉を紡がなくてはならない。
記憶を継がなくてはならない。
光州という土地から感じたのはそんな真摯で切実な祈りであった。

もはや、歴史は誰が語るのか、という問い自体が誤謬である。
歴史を語り継ぐのは誰か、人を中心とした歴史観が平和の構築には求められているのかもしれない。

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