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在り方、考え、言葉、行動

茨城のりこの『言の葉さやげ』を読んでいる。
とてもとても面白い。

また、読書記録を書こうと思っているけど、まだ読み切れていないので、またあとで。

とはいえ、ついつい書きたくなってしまったことがあるので、書いてみたいと思う。

茨城のりこは言葉を起点にして、人の在り方、生き方について考えている詩人だと思った。

方言の今、ジェンダーと言葉、詩の朗読、いろんな言葉の使い方から、人の在り方について分析をしている。

『自分の感受性くらい』が大好きだから、茨城のりこの本を読み始めた。

私は、
この人の言葉はどこからどこへ向けて出てきている?
相手に対して誠実である言葉とはどんな言葉を使ってどんな風に表現することを指すの?
言葉と発する人の関係とは?
とかいつも考えてしまう。

茨城のりこはそんなモヤモヤを鮮やかに明らかにしてくれていた。
(それは読書記録に譲りたい)

その明らかにする過程の中で、

在り方→考え→言葉→行動

という構図を思わずにはいられなかった。
私たちは奥底に在り方があって、考えとして広がりがあって、そこから言葉となって生じて、最終的に行動に繋がっていく。

言葉はその間にあること。
目に見えることにも、私たちの中に根深く眠っていることにも、
どちらにも影響を与えている。
言葉を分析することは、人の在り方に迫っていくことだと思った。

私たちは普段から何気なく言葉を使っていて、そこに自分の在り方があらわれているとは、とても思っていない。
コミュニケーションのツール程度にしか考えていない。
実際に言語はツールでしかないのだから、勉強して”使えるようになるべき”といった考え方もある。

けれど、言葉の奥には常に私の在り方がある。
どんな言葉の使い手で、どんな言葉を常に選択して、表現して、どんな声色で届けようとするのか。そのすべては私の在り方と常に相互に影響を与え合っている。

そんなことを思うと、やはり私は言葉に拘る人でありたいな、と心から思う。





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