『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉さん

テツコとギフ。徹子と義父。

同じ読み方。同じ意味。
でも不思議と「テツコとギフ」の関係はこの本の中にしかないと感じる。
彼らだけのものな気がする。

この本は九つの物語の詰め合わせだ。それぞれの視点から、時間軸から、話が進んでいく。共通しているのは、物語の背景に「大切な人との別れ」があること。悲しさや寂しさが残る中で、みんな生きている。

全部の中心にあるのは夫を亡くしたテツコと息子を亡くしたギフの共同生活。一緒に住んでいるからこそ干渉しすぎない適度な距離感が心地いい。
そしてテツコとギフの周りを取り巻く人たち。みんないろんな事情を抱えて、でも他人の前では素知らぬ顔で生活している。
何の事情も知らない人が自分の人生に飛び入り参加してきて、勝手にくつろいで出ていく。その繰り返し。

この本を読んでると、人生って本当にままならないなと思う。
どう頑張っても避けられない現実に容赦なく殴られるし、そんなときに限って他人に自分の中を踏み荒らされる。正直やってられない。
打ちひしがれた感情はちっとも元には戻らなくて、前を向いたふりをしていても気づいたら自分の中の奥底から溢れてくる。
振り切ったと思っても、どこか囚われてしまって、頑なになる。
そんな現実からいつだって逃げたいと思ってしまう。
でも、それでも生きていけるんだとも思う。

この本の中で心に残っている言葉がある。

「生きてるって、本当はあんな感じかもしれないね。本当は殺伐としてんだよ。みんな、それ、わかってるから、きれいに着飾ったり、御馳走食べたり、笑い合ったりする日をつくっているのかもしれないな。無駄ってものがなかったなら、人は辛くて寂しくて、やってられないのかもしれない」

あぁ、そうだなと思う。わずらわしくて無駄なことがないとやってられないなんてどんな設計ミスだよとも思うけど、実際のところそうなのだ。
何かを失っても明日は当たり前のようにやってくる。
だから、食べて眠って誰かと会ってを繰り返す。
たぶんそれが生きるってことなんだと思う。


(読了日:2021年12月19日)

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