『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこさん

「差別はいけません。やめましょう。」「多様性を認めましょう」日常生活の中で最近よく聞くフレーズだなと感じる。よく聞くフレーズだから、自分自身も「そうだよね」とあまり考えずにうなずいてきたと思う。
でも、これってすごく難しいことなんじゃないだろうか。

今まで20年ちょっと生きてきた中でも数えきれないくらいたくさんの差別や偏見に出くわしているし、自分自身を偏った視点から見られて決めつけられたり、あまり意識せずに誰かを偏った視点で見て傷つけたりしてきた。
国籍や言語、人種など母数が大きいものは世界的に問題視されることもあるけれど、小さいことでも「違い」があれば差別や偏見の対象になる。
生活水準、学歴職歴、性別、服装、体型、年齢…。差別と偏見の種はそこらじゅうに溢れている。

「差別のない世の中」って不可能じゃない?と思っているのは私だけではないと思う。

この本に登場する作者とその家族は、「日本人」が差別対象になりうる世界で生きている。日本に住んでいる自分は「日本人だから」という理由で差別を受けることはないし、想像もできない。でも、一歩外に出ると、私たちが「外国人?」と物珍しい目で見るように、自分たちも見られる。
そんな生活の中で交わされる家族の会話がこの本に詰まっている。

「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

この言葉が私はすごく好きだ。「知らない」ものや人への不信感や警戒心はすごく強い。そして、たくさんある差別や偏見の中に、「知らないから嫌だ」という気持ちは少なからず絡んでいると思う。全部を認めるのは難しい。実際のところ、無理なのかもしれない。でも、「知っている」上で「反対」することと「知らない」から「嫌だ」というのは違う。


思ったことを簡単に発信できるようになった社会で、みんなが分かったふり、知ったふりができるようになった中で、誰かの偏った見方や考え方がたくさんの人に届くようになった。
自由に意見を言えるようになったのかもしれないけれど、ハードルが下がったことで善意と悪意の境界線も分かりにくくなった。本当に「知っている」人の「意見」なのか、「知らない」人の「偏見」なのか、判断が難しくなっていると思う。突然、顔も知らない誰かに傷つけられることもある。逆に自分の発信でどこかの誰かが傷ついていることだってある。

この本はそんな世の中で「人を型にはめて捉える」ことが間違っているということを教えてくれる。「あの人は○○人だから」「あの人は○○学校に通っているから」。でも、それはその人を構成する一つの要素でしかない。
人種・性別が一緒でも、その人を形成している要素は他に山ほどある。


「日本人のここがダメだ」「外国人はこうだ」っていう決めつけは、無意識に刷り込まれていて、よく耳にしたり口にしたりするかもしれない。
でも、そうやって一つの要素でまとめ上げた人たちへのレッテル貼りは情報としてあまり役に立たない。だから、今自分の目の前にいる相手を見て、話を聞いて、知って理解する必要があるんだと思うし、その人たちの間に作られる絆があるのだと思う。

自分が人の話をするとき、ちゃんと考えたい。
主語が大きくなりすぎていないか、勝手な偏見でグループ化して人を見ていないか、その人自身と向き合っているか。
今までの自分を振り返る時間とこれからの自分について考える時間をくれる1冊。


(読了日:2021年10月17日)


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