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これは全員の問題なんだってば。

歴史に刻み込まれた「違い」の代償を払い続ける世界に生きる私たちはどうしたらお互いを人間として認め合える世界を築くことができるのだろう、とずっと考え続けている。争わなければいけない、叫ばなければ届かない、存在すらを認めてもらえない世界に囚われた人たちの怒りと悲しみと絶望は時間を超えて私たちの肩にのしかかっている。暴力や怒りや叫びではないちがった方法で問題が解決できればいいのにって思うのと同時に歴史とその思想によって築かれた社会のシステムに沈黙され、飲み込まれ、いなくなっていった人たちの数と悔しさと悲しみを思うとそんなことを簡単に口に出すべきではないとも思う。

社会という仕組みは私たちを狭い枠に押し込んで一握りの人間が力を持てるようにお互いに矛先を向けさせ長い年月をかけて争いをつくりあげていった。でもね、その人たちがわざわざそんな風にして争いを仕向けるように誘導しないといけないってことはつまりそれがなかったら私たちは逆にいかにしてお互いと上手くやっていけるかっていうのを模索する方に進んでいっ他のかな?って思ってみたりもする。

今、そんなユートピアを想像するんじゃなくて現実にするときじゃない?たくさんの間違いを犯してきたのは消せない事実でそこにある悲しみと消えていった命と恐怖と怒りは確かに存在していたし今もそこにある。その世界で今、この瞬間に生きている私たちにできることってなんだろう。その世界にはあなたも生きている。今は黙るときでもないし、無関心でいる選択はない。知識を得ること。募金をすること。歴史を知ること。手を差し伸べること。私たちにはたくさんできることがあって未来を変えていけるっていう言葉は幻想ではなくて今この世界に、この時代に生きている特権と力であるということ。

これは全員の問題なんだってば。

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