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イアルの野(小説)

兄から電話がかかってきたのは、十月半ばの晴れた午後のことだった。手伝ってほしいことがあると言われた時点で、察しはついた。一ヶ月後に行われるクラフトのイベントに出店するので、作品の運搬と店番を手伝えというのだ。
「アートクラフトin市原」は、私が毎年楽しみにしているこの町のイベントの一つだ。木工やガラス工芸、革細工に陶芸など、百近くの店が公園内の遊歩道に立ち並び、様々な種類の手作り品を見たり買ったりして楽しむことができる。
案の定、兄の話はイベントについてだった。心の奥底ではこの電話を待っていた部分もあるのだが、それを読み取られるのは癪なので、小さくため息をついてから、
「まあ、いいけど。」
と返事をした。
「どうせ、ひまでしょ。他の店で買い物してもいいからさ。」
笑いながら兄はそう言って、電話を切った。
 見透かされていたことに軽いいらだちを感じながら手帳を開き、十一月のページに「アートクラフト」と書き込んだ。

 兄が初めて木を使って制作したのは、ギターだった。木工専門の雑誌を見ながら作り方を学び、自宅から二十キロほど先にある駅の近くで貸し工房を見つけ、時間を作り出しては通い詰めて、一本のギターを作り上げてしまった。
 兄は何でも、一人で決める。仕事を辞めることも、家を出ることも、家族にはなんの相談もなかった。いつの間にか会社を辞め、すぐに自然の豊かな地域へ引っ越して、ログハウスを建てはじめた。もちろん自分で。そしてどこからか木工の機械を買い付けて、工房を作ってしまった。父は子供の人生に干渉するタイプではないし、母は実の母ではないせいか、どこか私達に遠慮をしているようで、何も言わなかった。私は学生で発言権はなかったし、兄より五つ下の姉は、自分の人生は自分で決めればいいという主義だった。こうして兄の決断は静かに尊重され、彼は木と共に暮らす生活を始めた。

 週末、久しぶりに実家に行くと、姉が東京から戻ってきていた。両親はいなかった。姉は料理が上手い。今から帰ると連絡して一時間ほどで到着した時には、テーブルの上に、私のための遅めの昼食が並んでいた。鶏肉とキュウリの黒酢炒め、長芋とキュウリのネバネバサラダ、アサリとキュウリのコチュジャン和え、ジャガイモとニンジンの味噌汁。
「キュウリづくしね。カッパになった気分。」
と私が言うと、
「養老川で泳いできたら?」
と姉は笑った。
 養老川というのは、家の近くを流れる川で、河口は東京湾に続いている。私の実家周辺は、昔は遠浅の海岸だったらしく、海苔作りが盛んだったようだ。現在、海は埋め立てられ、臨海地域には工場が建ち並ぶ。小学校の時は、総合学習で手すき海苔作りの体験をした。地域の方と一緒に昔の道具を使って海苔をすいた。ケヤキを輪切りにしたたたき台の上でコトコト海苔を刻み、水を加えて木枠で海苔をすく。
 真冬の空の下、昼休みの運動場で天日干しされた海苔のそばに行くと、乾いていく時のチリリリという音が聞こえたものだ。

 テレビ台の横に、アートクラフト展のチラシがあった。
「お兄ちゃん、来たの?」
「来たよ。来たというか、ちょっと用事があって私が呼んだの。」
緑茶をいれる手を止めて、姉が言った。
「棚とテーブルを作ってもらおうと思って。」
驚いて私は尋ねた。
「棚とテーブル?どこに置くの?」
「新しいお店の入り口にね。」
私のコースターに湯飲みを乗せると、姉も向かいに座ってお茶を飲み始めた。
「お店?なんのお店?どこに?」
「市原に戻ろうと思って。また、ここで本屋をやりたいの。」
 湯気の向こうで、姉が笑った。

 姉は、三年前まで、小さな本屋を開いていた。大学時代にアルバイトをしていた書店にそのまま就職し、どういう流れがあったのか知らないが、店長になった。店は川沿いの旧道にあり、私は仕事帰りに時々寄った。店の中で、姉はまるで客のようにじっくり本棚を眺めていた。毎日本の背表紙を見て生活できるなんて、うらやましい仕事だと私は思っていた。「のんきでいいよね。」と私が言うたびに、棚の状況を見るのはも大事な仕事のひとつだと反論された。それでも私は、本に囲まれて過ごせるなんて、贅沢だと思っていた。ところが大型書店が近くにできた途端、あっさり経営難で廃業となった。姉は三年前に実家を出て、東京へ行った。本屋があった場所には今はアパートが建っている。かつての海と同じように、姉の書店は消え去った。
 川のある風景が好きだ。広い河原に丸い石がゴロゴロ転がり草が生い茂っている川も、石の壁に挟まれてビルの間を流れる川も。子供の頃も、一人暮らしの今も、川の近くに住んでいる。新しく住む場所を探す時、それは決して優先的な条件ではないけれど、地図の中で川を探している。

 他の職場がどうなのかはわからないが、私の職場は話し声より機
械音の方がよく聞こえる。私の仕事は、過去の保存だ。本のタイトルをデータとして入力すること、頼まれた新聞などの記事をコピーすること、写真資料のカード作成、古文書の目録作成などである。 世の中の人は、家に帰った後、どうやって職場の音を消しているのだろう。コピー機の音は牛の鳴き声。印刷機は猛ダッシュした後のライオンの息づかい。電話の音は熱帯に住む鳥の鳴き声そっくりで、キーボードを打つ音はウサギの穴掘りのリズムだ。職場のこれらの音は、帰宅してからも私の頭から離れない。眠りにつこうとしても動物達は暴れ続け、そうして私の眠りを妨げる。
 本当に、世の中の人は、どうやって毎日をリセットしているのだ
ろう。
 今夜もどうにも眠れず、とうとうベッドから起き上がり、お茶を
入れた。もう眠くなるまで起きていよう。そう思った。ふと、部屋の隅を見ると、一週間ほど前にインターネットで買ったランプシェードが目に入った。ラグビーボールのような形で、竹ひごの芯に細かくちぎった和紙が貼られている。中のLEDライトを点けると、明かりが淡く外に漏れる。柔らかい光で読書をしようと思い買ったのだが、本を読むには、その光は弱すぎた。
 ハリネズミ。それがこの商品の名前だった。どこがハリネズミな
の。届いた時は思ったが、実際にライトを点けると和紙の継ぎ目の
光には濃淡があり、ハリネズミのとげのように見えなくもない。
 私はLEDライトを付け、部屋の電気を消した。闇の中に、ぼん
やりとした光のかたまりが浮かび上がった。特にすることもないの
で、光を眺めながらオーディオブックでアガサ・クリスティーのミ
ステリーを聞いているうちに、いつのまにか眠ってしまった。

    タニガワペーパーカンパニー 御中
 突然のお手紙で申し訳ありません。
 私は、先日、和紙のランプシェード(ハリネズミ型)を購入した
者です。実は、ここ二年ほど、ずっと不眠気味で困っていたのです
が、このランプシェードを使い始めてから、眠れるようになりまし
た。
 夜眠れないということは本当につらく、昼の仕事にも差し障りが
出ます。とはいっても、私の仕事は資料整理のアルバイトで、県の歴史を調べている先生方の下でコピーをとったり、パソコン入力をしたりすることなので、仮にコピー機の前で寝てしまっても、他の誰かが代わりにコピーをしてくれることでしょう。
 とにかく、ハリネズミの効果は絶大です。和紙をとおして感じら
れる明かりは、蛍光灯の光とこんなにも違うのかと、初めて知りま
した。和紙を貼り合わせた継ぎ目の光が面白く、ハリネズミのトゲのようです。
 和紙の良さを知ることができました。ありがとうございます。
                     
 十月十五日                
                      高沢 ゆき

   高沢様
 先日は、作品をご購入いただきありがとうございました。また、
感想まで送っていただき、ありがとうございました。
 ハリネズミは、西洋では幸運を呼ぶ動物と言われているそうです。
 このランプシェードが高沢さんの生活の一部になったら、とても
うれしく思います。機会がありましたら、また、他の作品もご覧く
ださい。
 
 十月二十五日
               タニガワペーパーカンパニー

   タニガワ 様
 ご丁寧にお返事をいただきまして、ありがとうございます。
 ランプシェードを使い始めてから、朝の目覚めがよくなり、朝食
もとれるようになりました。
 ところで、私の住む市原市では、毎年、秋に「アートクラフトin市原」という手作り品の青空市を開催しています。
 タニガワさんの作品も、そのイベントに並んでいたら素敵だなと思いました。今年のパンフレットを同封いたします。来年も再来年も開かれると思います。もしご興味がありましたら、ぜひ一度見に来てください。(私は「木工房 MOON」という店にいます。)

 十一月一日
  高沢 ゆき

 イベント当日は、秋晴れのいい天気だった。私は実家から姉の車で兄の家に行った。兄はすでに、商品を車に積み込み始めていた。
「おまえ達の座る場所、ないかも。」
と兄が言った。
「なによ、わざわざ来させたのは誰よ。」
姉が子供のように頬をふくらませた。
「二台で行く?」
と私が尋ねると、
「いや、時間もないし、品出しを手伝ってほしいから、一台で行こうぜ。」
と兄が答えた。 
 私と姉は、商品の一部のように体を寄せ合って座った。
 会場となる上総更級公園には、まばらにテントが立ち始めていた。係員の案内に従って車をとめると、私達はテントや棚の組み立てを始めた。品物を並べ、看板を立て、九時半には店らしくなった。
 私は改めて品物を眺めた。小さな木製スピーカー、木の置き時計、木のセロテープカッター台、木製スプーン、木の軸のボールペン、木の鉛筆ホルダーなど、私の生活ではプラスチックや金属製の物が、すべて木で作られている。
 一つ一つの色の違い。木目を生かした模様。なめらかな手触り。作品を見ているうちに、始めて兄の工房を訪れたときのことを思い出した。私の二十歳の誕生日だった。靴音が木の床に響いて、思っていたより広い空間だった。これは木に丸い穴を開ける機械で、あれはカンナがけをする機械だ。兄はうれしそうに話していたが、私には遠い国の言葉のようにしか聞こえなかった。機械の紹介を一通り終えると、木でできた小さな箱を私にくれた。中には、三つのひし形がつながったデザインのネックレスが入っていた。ひし形には白・こげ茶・緑の三色の木が使われていて、宝石のようにきらきら光っていた。
「これは、メープルとウォールナットとホオノキを組み合わせているんだ。木はね、乾かすのが大変なんだよ。乾かすだけで半年以上かかる。でも、時間と手間がかかるからこそ、作るのが楽しいんだ。」 誕生日が来ると、私はあの空間を思い出す。おがくずと木の香り。
広い窓から差し込む日の光。兄が自力で手に入れた王国だ。

 その人が私を訪ねてきたのは、十一時を過ぎた頃だった。兄は連射できる木製輪ゴム銃に集まる子供達と戯れ、姉は知り合いらしい人と話をしていた。私は商品の棚が並んでいる奥で、ぼんやりと行き交う人を眺めていた。
 黒髪に黒眼鏡、黒ずくめの服を着た男の人が入ってきて、ルーペやペンホルダーが並んだ棚の前に立ち、
「高沢ゆきさんは、こちらにいらっしゃいますか。」
と私を見て言った。ずいぶん低い声だった。
「谷川と言います。」
 細身で背が高く、笑っているのか機嫌が悪いのかわからない細い目の人だった。見覚えはなかった。
 いると言おうか隠れようか。考えている間に、その人はバッグの中からら封筒を取り出した。見たことのある封筒だった。クラフトタニガワ御中。私の字だ。
「来てくれたんですね。」
私は言った。
「来ましたよ。」
と彼が言った。
 姉が私達をチラリと見て、さりげなさを装って言った。
「昼食買ってきてよ。お友達といっしょに。」
 
 公園の奥には、多国籍のキッチンカーが並んでいた。悩みながらタイ料理とインドスリランカカレーの店を選び、ガバオライスとバターチキンカレーを二つずつ買って兄のテントに持って行った。
 姉の許可を得て、私と谷川さんはテント近くの木のベンチに座って、昼食を取ることにした。私がカレー、彼がガバオライスを食べることにした。
「手作りって、やはりいいですね。」
と谷川さんが言った。目が線になっているので、笑っているようだった。スパイスの香りが漂う。タイ料理の香辛料とカレーのスパイスが、空間のゆがみのように揺れながら混ざり合って、不思議な流れが広がっていく。ライスを口に運びながら、笑わない顔で谷川さんは言った。
「僕は、製紙工場で働いているんです。大きなロール紙が運ばれて
きて、機械が回転するのを毎日見つめている。大量生産されるノートを見ていると、時々、機械を止めたくなるんです。クビになるだろうからしないけど。もっと時間をかけて一つの物を作りたい、と無性に思うんです。」
「それで、和紙のお店を作ったんですか?」
 谷川さんは質問には答えず、少し微笑んで言った。
「あなたが買ってくれて、良かったです。お手紙、ありがとうござ
いました。」
 私は急に、自分が「つくる人」ではないことが、恥ずかしくなっ
てきた。私は何も生み出したことがない。
「全部、兄なんです。」
 私は言った。
「木を使っていろいろ作るのは、兄なんです。私は、ただ店番をしているだけで、作っているのは兄なんです。」
「あなたは確かめる人だから、いいんですよ。」
 怒っているようにも見えるほど、真顔で彼は言った。
「使ってくれる人がいることほど、幸せなことはないから。時々不
安になるんです。自分の作ったものが合っているのかどうか。作品に正しいも間違いもないけれど、気になるんです。上手く言えないけれど、正しく歩いているか、心配になるんです。だから、あなたからの手紙はうれしかった。僕が作った物が自己満足だけで終わっているのではなかったと知って、うれしかった。そして、あなたが眠れるようになって良かった。そう思ったんです。」
 そして、少し照れたように笑った。
「甘えているのかな、僕は。」
 お昼を過ぎて、行き交う人が増えてきた。秋の日差しは穏やかな
山吹色で、でもどこか透明過ぎて怖かった。
「来年は、谷川さんもここでお店を出したらいいのに。」
 私はつぶやいた。
「来年ね。そうできたらいいけど。でも、僕、しばらく日本を離れるんです。エジプトに行こうと思って。」
「エジプト?どうしてエジプトに?」
「パピルスを調べてみたくて。パピルス紙の製造方法や材質を詳しく調べるつもりだけれど、本当は、なぜ紙が生まれたのかが知りたいんです。どうしても何かを書きつけたい人が、五千年前にいたんでしょうね。」
「エジプト・・・・・・遠いですね。」
「飛行機に乗れば、すぐ着きますよ。」
 私は香ばしい香りのするナンをちぎった。私の顔より大きいのだ。
「この公園は十月にはお祭りが開かれるんです。市原市は頼朝伝説や更級日記との関わりもある場所なので、あの大通りを当時の衣装を着たパレードが通るんです。タイムスリップしたみたいで、面白いですよ。」
「素敵ですね。」
 ふと、この場所を「あづま路の道のはてよりもさらに奥つ方」と呼んで京へと旅だっていった、物語が大好きな少女とその家族の姿が見える気がした。始めは淡い姿だったが、だんだん色濃くはっきりとしてきた。今日はお祭りの日でもないのに、その家族はテントの向こうの大通りをゆっくりゆっくり歩いていった。
「この町で見るべきところは何ですか。」
 尋問しているような口調で谷川さんが言った。
「明日帰るんです。だから、その前に何でも見ておこうと思って。」
 私は、全脳細胞をフルスピードで動かした。景色のいい渓谷?地
球の歴史に名を刻む地層?河口の桟橋で魚釣りができる場所?もうすぐ日本を離れる谷川さんにとって、最後の国内旅行になるかもしれない。そして初めてこの町に来た谷川さんにとって、印象に残る場所がいい。
 全力で考えた結果、私はこの町について何も知らない、と悟った。
とりあえず、思いついたことを言ってみた。
「明日も、ここへ来るのはどうですか。」
 谷川さんは笑って言った。
「それもいいですね。」
 なぜだか悲しい気持ちになって、私は小さな声で尋ねた。
「ここまで、どうやって来たんですか?」
「高速バスで。今日は五井駅の近くに泊まって、明日帰ります。」
「じゃあ、今日駅に着く前に、車両がオレンジと赤色の電車を見つけてください。小湊鐵道っていう私鉄が走っているんです。もしその電車が一両編成で走っていたら、きっといいことがありますよ。五井駅ではたくさん見られますけど、走っているところを見るのが大事なんですよ。」
「都市伝説ですか?」
「そうなのかな。小さい頃、母がよく言ってたんです。一両の小湊鉄道を見ると、幸せになれるよって。」 
「見たら幸せになる。ハリネズミと同じですね。」
 明日の終わりには、この人は元いた場所へと帰っていく。そして、いずれ遠くへ行ってしまう。飛行機が必要なほど、遠い場所へ。姉は、東京からこの町へ戻ってこようとしている。兄は、多分ずっとここにいる。いや、ここにいるようでいないのかもしれない。木さえあれば、あの人はどこでもいいのだ。谷川さんも、もしかしたら、紙の原料さえあれば、どこでもいいのかもしれない。そして、紙の原料を求めて、どこへでも行くのだろう。
「市原には、渓谷も、道の駅も、おいしい梨もあるんです。だから、
また来てください。」
「いいですね。僕、一度来た場所は、好きになるんです。」
 晴れ渡った空を見上げて、谷川さんは言った。
「エジプトの死生観に、イアルの野というのがあるんです。天国の
ような感じかな。死者が行く楽園。イアルの野には椰子の木が生えていて、ナイル川が流れていて、人々はそこで麦を育てている。つまり、生前と同じ生活が続いていくんです。今いるこの世界が楽園で、死んだらまたそこに戻りたいというのが、古代エジプト人の考える幸福だった。僕は死んだら違う世界に行きたい。今と同じ生活はしたくない。高沢さんは?また、ここに戻りたい?」
「死んだ後のことなんて、考えたことがなかったです。でも、見た
ことのある景色が広がっているのなら、死ぬのは怖くないかもしれないですね。」
 私は、多分ここにいる。五年後も十年後も、ここにいる。日々は続いていき、来年も再来年も「アートクラフト」の催しはは開かれるだろう。これから先も、ずっと。
「確かに、戻りたい場所が一つでもあったら、それは幸せなんだろうな。」
 僕には戻りたい場所はない、とでも言いたげだった。
「景色なんてすぐ変わるし、記憶はすぐに薄れていく。永遠に続くものなんてないから、イアルの野が存在するのかもしれないですね。」
 そう言って彼は、少しうつむいた。そしてすぐに顔を上げた。
「明日、また来ますよ。まだ何一つ見ていないから。」
 オレンジ色の日に照らされて並ぶテントが、観光客を乗せるラクダの背中に見えた。
 
 一日目の搬出作業が終わった後、私は兄に、一本の木のボールペ
ンの発注と、ひとつのお願いをした。

   谷川 隆行 様
 先日は、市原まで来ていただいて、ありがとうございました。
 最後まで言えませんでしたが、二日間お会いできてうれしかった
です。
 同封したのは、イチョウの木で作ったボールペンです。イチョウ
は、市原市のシンボルです。このペンを使う時、あのイベントを思
い出してくれたらうれしいです。実は、ペンの胴体は私が旋盤で削
りました。エジプトのパピルス調査で使ってください。そして、イ
アルの野の景色を見つけたら、教えてください。
 また、お会いできる日を心待ちにしています。

   十一月二十日           
                     高沢 ゆき

                                               (終)

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