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窓辺にて

「今日の帰り、このお店に寄ってみない?」

 昼休みにクラスメートの牧ちゃんが、駅で見つけたという薄い情報誌を差し出して言った。

開かれたページには、「カフェ 梨屋宇部家」と書かれていた。店内のテーブルと椅子の写真。左下に住所が載っている。親切に地図まであった。市原インターチェンジの近く、つまり、私達の学校から自転車で行ける場所だった。

市原市の地名には、難読漢字が多いと思う。このカフェがある廿五里も、間違いなくその一つだろう。廿五里は、「ついへいじ」と読む。鎌倉から二十五里という意味で、頼朝伝説に基づいたものだと聞いている。

廿五里にはフルーツ通りと呼ばれる主に梨を栽培している畑が広がり、夏には直売所が立ち並ぶ。フルーツ通りは通学路としてよく使うのだが、カフェがあるとは知らなかった。

記事を読んでみると、このカフェは梨専門のスイーツ店で、七・八・九月の三ヶ月間しか営業しないとのことだった。

「ここが今日開いているかも、わからないけれどね。ちょっと気に

なるの。行ってみよう。」

と牧ちゃんが笑った。私はうなずいた。

店の定休日のところには、不定休、と書かれていた。

 

 午後の授業は、古典だった。

 古典の永田先生は、背が高く、顔も手足も長い。黒縁の丸い眼鏡をかけていて、トンボというあだ名が付いていた。教師になって二年目だと言っていた。

 食後の時間は、午前中よりもゆっくりと過ぎていくような感覚に陥る。

「作者や物語の背景を知っているのといないのでは、内容の理解度が全く違うんだ。古典の教師としてこんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、文法なんて気にしなくていい。」

 黒板の前を行ったり来たりしながら、トンボは言った。

「例えば、今日から勉強する更級日記の冒頭部分に出てくる、『世の中に物語といふ物のあんなるを』という文の「なる」は、伝聞・推定の助動詞「なり」の連体形だ。でも、こんなことを教えるために僕は教師になりたかったんじゃない。平安時代に、物語というものを読みたくて読みたくてたまらない少女がいた。それを知っているだけで、親近感がわく人もいるんじゃないかな。その少女がどんな風に成長して、どんな人生を送っていくのか、それが描かれたのが更級日記だ。僕は、高校の時にこの話と出会って、人生の機微というものを学んだ。」

 今日のトンボは、やたら熱く語る。

「授業では、時数の関係で更級日記の全文は扱えない。でも、是非全文を読んでみてほしい。最後まで読んでこそ、この話の良さがわかる。僕が平安時代に転生したら、この子と読書会を開きたい。きっと楽しく語り合えると思うんだ。」

 トンボの熱弁はしばらく続いた。トンボが読書好きで、それは、私が絵を描くのが好きなのと同じような気持ちなのだということはわかった。更級日記に出てくる女の子がどのような人かはまだわからないけれど、この夏、本を買って最後まで読んでみようと思った。窓の外には、大きな真珠のような形の雲が二つ三つ重なって浮かんでいた。あと一週間で夏休みだった。


 私と牧ちゃんは、美術部に所属している。ゆるい部活で、部員の

それぞれが絵を描いたり粘土をこねたり、木を削ったりして過ごし

ている。私は水彩や色鉛筆で絵を描くことが好きで、牧ちゃんは木

を彫ることを好んでいた。私達は、同じ中学の出身だった。

 私は、牧ちゃんも含めて、学校で話すことはなかった。敢えて話をしないわけではなく、話そうとすると声が出なくなるのだ。これは、授業中も同じだった。胸のあたりで声がつかえて、それより上には上がってこない感覚がある。声の出し方はわかっているし、

家では話すことができる。学校にいる間だけ、声がどうしても出なくなるのだ。保育所の時は、話せたように思う。小学生になってから、急に声が出せなくなった。クラスメートとは、うなずいたり笑ったりしてコミュニケーションをとったけれど、いつの間にかみんな離れていった。牧ちゃんだけが、残った。

 父と医者に行ったことがある。

「場面緘黙かもしれませんね。」と言われた。

 ある場所でだけ話せなくなる、そんなことがあるらしいのだ。そして私はそれに当てはまるようだった。

 何か困っていることはないか、と父は聞いた。私より困った顔をしながら。私の家に、母はいなかった。私が二歳の時に、病気で亡くなっていた。寂しいことは寂しいが、父がいたから困ってはいなかったし、父が撮った母の写真が家のあちこちに飾ってあった。私に母の記憶はないが、愛されていたのだという感覚や証拠は、そこら中にちりばめられていた。

 学校は退屈な場所ではあるけれど、ストレスを感じてはいないし、対人関係においても特に苦手な人もいなかった。ただ、話そうとしても声が出なかった。

 国語の音読で一文ずつ読む時、私は飛ばされるようになった。クラスメートや先生が気を遣ってくれているのがわかるのでありがたいような、妙に寂しいような、複雑な気持ちだった。悔しい気持ちもあった。なぜ声が出せなくなるのか、自分でもわからないのだ。

 高校に入っても、症状も状況も変わらず、私は学校で話すことができなかった。牧ちゃんだけは変わらなかった。私達は、毎日一緒に昼食を食べ、一緒に部活に行った。


 部活は四時半までだが、今日は三時半で切り上げて、雑誌に載っていたお店に向かった。

 外に出るとうるさいくらいに蝉が鳴いていて、容赦なく太陽が照りつけてくる。牧ちゃんはあらかじめ場所の目安をつけてきたらしく、先を走ってくれた。果樹園の間の細い道を抜けていく。梨園の鳥よけのための青いネットが涼しげに見える。しばらくすると、直売所の旗の横で牧ちゃんが自転車を止めた。

「このあたりだと思うんだよね。」

ひとりごとのように牧ちゃんがつぶやいた。

 フルーツ通りにあるいくつもの直売所と同じように、店先にある木の台には七、八個の梨が袋に入って売られていた。種類も豊水や幸水などいろいろある。木の引き戸の向こうに、店の人がいるようだった。

「これは梨で、スイーツではないよね、どうみても。でも宇部家農園という看板だから、ここだと思うんだけどね。」

自転車を降りて牧ちゃんが言った。

「よし、聞いてみよう。」

そう言うと、牧ちゃんは引き戸を開けて中に入っていった。

 私は周囲を眺めてみた。店の後ろには、小さな小屋があり、さらに梨園が広がっている。ここで収穫して売っているのだろうか。

 小学校の頃、梨園の見学に来たことを思い出した。

 畑の中に入らせてもらった。「この中で、一番古い梨の木はどれでしょう。」と畑の主人がクイズを出し、私達は歩き回って一番古い木を探した。当てたのは、誰だっただろう。男の子だった気がする。賞品として梨を一つもらっていたのが、とてもうらやましかった。梨は、春に白い花を咲かせる。桜に似た花だ。その後、確実に実を付けるために人工的に受粉をさせ、良い実だけを残す摘果という作業をし、袋をかける。だから収穫前も忙しいのだという説明を聞いた。それ以来、梨を食べる時、なんとなく作ってくれた人のことを考えるようになった。小学生の時から生産者と接した経験は、体の底にしみこんでいく。

 牧ちゃんが、笑顔で出てきた。

「わかったよ。すぐ裏。息子さんがやっているんだって。行ってみよう。」

 収穫用の小屋かと思った建て物が、スイーツ店であるらしかった。木造の、小さな店だ。

 邪魔にならないところに自転車を置いて、入り口に向かった。ドアには小さな木の板に「カフェ 梨屋宇部家」と書かれていて、「営業中」の看板が掲げられていた。

 ドアを開けると、上につり下がっている金属の棒がシャラランと鳴った。

「いらっしゃいませ。」

と言って、奥から背の高い男の人が出てきた。

 店の壁は落ち着いた薄緑色で、お店の左側は三つほどのテーブルがあって、イートインのコーナーになっていた。

「暑いですね。」

レジの向こうで、男の人が笑った。顔が豆みたいに小さかった。

「こちらで食べていきますか?」

牧ちゃんが私の顔を見た。私は困った。初めて来るお店だから、どんなメニューがあるのかすらわからない。両手の人差し指で四角を作った。牧ちゃんがうなずいて言った。

「メニュー見せてもらえますか?」

「そうですね。すみません。ここにもあるので、見ていてください。」

 レジの上にも、書見台にのったメニューがあった。私達は、近づいて置いてある小さなメニューをのぞき込んだ。

 

 ・梨シェイク         二〇〇円

 ・梨風味のジンジャーエール  二〇〇円

 ・梨のアイスティー      二〇〇円

 ・梨ゼリー          二〇〇円

 ・梨のシャーベット      二〇〇円

 ・梨のコンポート       二〇〇円

 ・梨ケーキ          三〇〇円

 ・梨のパンケーキ       三〇〇円

 ・梨のロールケーキ      三〇〇円

 ・梨の果実入りスコーン    三〇〇円

 ・梨のキャラメルケーキ    三〇〇円

 ・梨のヨーグルトムース    三〇〇円

 ・梨のカスタードタルト    三〇〇円

 

 さすが、梨園。梨づくし。

 店の奥から男の人が戻ってきて、写真付きのメニューを広げて見せてくれた。

 私は、牧ちゃんに床を指さした。牧ちゃんは、私の言いたいことを察してくれた。

「ここで食べていきます。」

 ハキハキした声で、牧ちゃんが言った。男の人は微笑んだ。

「お好きなところへどうぞ。狭いですけど。」

 他に人がいないところを見ると、多分、この男性が店長なのだろう。黒いTシャツに、ハーフパンツ。身長は、一八〇センチはありそうだ。

 私達は窓辺の席に、向かい合わせで座った。

 写真はどれも涼しげで、色も美しかった。梨の果実を使っているのがよくわかる構図のメニュー表だった。

「どれにしようかな。メニューを選ぶのって楽しいね。」

と牧ちゃんはなんだかうれしそうに言いながら、シェイクを注文した。私はとにかく喉が渇いていたので、梨風味のジンジャーエールを指さした。

 木製のテーブルには縁に花の彫り物が施されていて、店の椅子は、一つ一つ全て違う形だった。

 居心地のいい店だ、と思った。

 牧ちゃんがカバンから、ノートを取り出して広げた。いろいろな部屋の写真が貼られている。

「演劇部の舞台だけど。」牧ちゃんが言った。「今、資料を集めているの。」

 演劇部から、秋の文化祭の舞台制作を手伝ってくれと頼まれていた。人手が足りず、道具づくりを少しでも手伝ってくれと泣きつかれたのだ。大まかな設定は演劇部から聞いている。クリスマスツリーのある部屋が舞台で、四兄弟の話なのだそうだ。三年生の美術部の部長は受験勉強で忙しく、二年の副部長の牧ちゃんが窓口になっていた。

 牧ちゃんのノートには、テーブルや椅子などのインテリアの切り抜きがコラージュのように貼られていた。

「今年の夏は、忙しくなりそうだね。」

 そう言っているところへ、シェイクとジンジャーエールが運ばれてきたので、牧ちゃんはノートをテーブルの端に寄せた。ジンジャーエールには、花の形にくりぬかれた梨が浮かべられていた。

「お一人で経営されてるんですか?」

 牧ちゃんが男の人に尋ねた。

「そうです。僕が唯一の店員で店長なんです。」

「全部、梨のメニューですね。」

 メニューの冊子をペラペラとめくりながら、牧ちゃんが言った。  「一応、梨園の息子ですからね。たくさん収穫しても、傷があったり形が悪いと売れないんですよね。味は変わらないのに。もったいないから、何かできないかと思って。」

「梨の果肉で、いろいろ作れるんですね。」

「メニュー考えるの、好きなんですよ。それに、梨には食物繊維やペクチンという物質が含まれていて、咳や喉の渇きにとても効果があるんですよ。」

 店長の笑顔は、私が昔飼っていた犬を彷彿とさせた。バロンいう名のその犬は、「散歩に行くよ。」と声をかけると、いつも尻尾を振って走ってきた。店長の笑顔を見て、私の目を見ながら喜んでいたバロンの顔が思い浮かんだ。バロンはいつの間にか私の年齢を追い越して、老衰で死んでしまった。店長の顔を眺めつつ、バロンに会いたくなった。そんな懐かしさのある笑顔だった。

「どうして三ヶ月しか営業しないんですか?」

「僕、本業は家具職人なんです。夏の間だけ、実家を手伝っているんです。梨園の仕事って、実は一年中忙しいんですが、どうしても家具を作りたくて、家を継がなかったんです。その罪悪感で、収穫の時期だけ、休みをもらって手伝っているんです。」

 ジンジャーエールは、冷えていて、甘過ぎもせず、細胞の一つ一つに水分が吸収されている感覚があった。花型の梨の果肉は最後に食べた。甘酸っぱくておいしかった。

 会計の時に、店長が私達に梨を一つずつくれた。

「売り物にはできない梨なんだけど、味は変わらないから。早めに食べてね。」

 幸せの水と書いて、『こうすい』という種類なのだと店長が教えてくれた。二、三カ所ほど黒くなっているところがあったが、大きさは指の長い店長の握りこぶしと同じくらいで、満月のように丸かった。

 

 明日から夏休みという日、学活の前の最後の授業はトンボの古典だった。前回の「更級日記」の冒頭の内容だった。

「どんな作品でも、書き出しの部分は、作者が一番力を注ぐところだ。この『更級日記』は、作者の菅原孝標女と呼ばれる女性だ。さりげなく古典を引用しながら、文学に憧れを持っていたことを雄弁に描いている。等身大の薬師仏まで造って、早く京の都に行って、たくさんあるという物語をありったけ読ませてくださいとお願いしているんだ。父の仕事の任期が終わって、一三歳で京に出発するまでね。」

 私は、本好きの少女を思い浮かべた。そして、一三歳の自分を振り返った。話せない私は、いつもスケッチブックを持っていた。そして、休み時間は絵を描いて過ごしていた。いつか、思い切り大きな紙に絵を描きたいと望んでいた。私が見ている景色を、言葉ではなく絵にしたいと思っていた。そして、誰かに見てほしい、誰かに伝えたいと思っていた。その気持ちは、高校生の今より強かったような気がする。一二、三歳というのは、果てしのない夢を抱く年頃なのだろう。

 その日の帰り、私は書店によって、参考書のコーナーで「更級日記」の全解釈の本を買った。品詞の説明も載っていたが、現代語訳も付いていた。

「全文を読んでほしい。」というトンボの言葉が、ずっと胸の中にあったのだ。

 

 夏休みがやってきた。

 私と牧ちゃんは、演劇部の舞台制作のために、毎日のように学校に行った。今年の夏は例年以上に暑くて、エアコンを付けても美術室はサウナのようだった。

 牧ちゃんは、部活の初日に作品の役割分担を決めた。テーブル作成の係、椅子作成の係、ドアの作成係など、てきぱきと指示を出す彼女の決断力を、私はいつもうらやましく思う。私は部屋の窓枠とその外に映る景色を描くことになった。牧ちゃんは、演劇部から持ち込んだ木材を使って一五〇センチほどのクリスマスツリーを作ろうとしていた。演劇部の大道具担当も来て、美術室は毎日賑やかだった。色の打ち合わせ、形の変更、大きさの指定など、やりとりすることは様々だった。

 全て、言葉が必要だった。でも今回は演劇部の要請なので、私は頼まれたように描けば良かった。私が描くのは四枚の絵だった。海と、向日葵と、夜空と雪をかぶった景色だった。一番難しいのは、その絵を入れる窓枠だった。場面によって、絵を入れ替えられるような背景の壁を作るのだそうだ。四兄弟が主に話すソファの後ろに窓枠がほしいとのことで、それは、外の世界と通じていることを表したいのだというのだ。ただの四角ではなく、少しアンティークな感じにしてくれ、と言われた。

 私も牧ちゃんのように窓枠と風景写真のコラージュノートを作った。外の世界とをつなぐ窓としての形がどんなものがふさわしいのか、なかなか思いつかなかった。

 牧ちゃんも、クリスマスツリーに苦戦していた。本物の木を切って立てるのは難しいので、木材を組み合わせてなんとかしてツリーのように見せようとしていた。演劇部の注文は、「舞台の核となるクリスマスツリーなので、おしゃれで見栄えの良いものを」という全く抽象的な内容だった。

 行き詰まると、時々、一人で「梨屋宇部家」へ行った。そこにはただただ優しい店長と、おいしい梨のスイーツがあった。お客さんがいることはほとんどなく、ゆったりと一人の時間を過ごすことができた。お気に入りは、窓辺の席だった。私はそこでコラージュノートを広げたり、「更級日記」を読んだりした。この席からは梨畑が見え、青いネットの向こうに立派な梨の木が並んでいた。私には、密かな企みがあった。美しい写真のメニューを見ながら、三ヶ月の間に、全種類を制覇しようと思っていた。メニューを指さすだけで店長は微笑んで理解してくれ、私が言葉を発しなくても何も聞かなかった。そして毎回、「味は変わらないから。」と言って大きな梨を持たせてくれた。

 梨の皮の色は不思議だ。やわらかい赤みがかった黄色をしている。落ち着いたこの色を、演劇部の夜空の月に生かせないかと考えていた。しかし、夜と月の色の相性がなかなか上手くいかない。スケッチブック上で何度も色作りをしたが、なかなか深みのある月の色を見つけ出せなかった。窓枠の形も決まらず、課題は山積していた。

 美術室と「梨屋宇部家」と家の三角形だけが、この夏の私の路線図だった。

 本を読むことは、良い気分転換になった。トンボの言ったとおり、「更級日記」は、中盤に行くほど面白くなっていった。あこがれていた物語に出会えたり、幼き日々を少し後悔したり、多くの出会いと別れが次々と描かれていった。

 夜空を描きながら、私はいつも、ある場面を思い出していた。

 神仏参りをする旅先で、一晩中雨が降る。雨音が煩わしいと思った主人公が外を見てみたところ、雨だと思っていたのは谷川の水が流れる音だった。そして空には、ひときわ美しい有明の月が出ている。

 この明け方の月の美しさを描きたいと思った。

「更級日記」には、月の情景が多い。月の美しい夜、姉と語らいながら一晩中空を眺めあかしたり、親しい友を名残惜しく思う気持ちを西へ沈む月へ託したり。とにかく夜の描写が多い。暗闇の中の月明かりは、今よりもっと神秘的だったに違いない。私は千年前の月へ思いを馳せた。


 七月が終わる週末、台風が近づいてきていた。ニュースの台風情報を見ながら、父とベランダにある鉢植えを片付けた。私の住んでいる地域には、毎年夏に二、三度は大きな台風が来る。

 風は夕方から強くなり、夜には雨戸を打ち付ける雨音が激しくなった。

 梨は大丈夫だろうか。荒れ狂う風の音を聞きながら、私は思った。宇部家の店長は、今頃どうしているのだろう。今まで、台風が来たところで自分の家の心配をするだけだったが、今年はやけに梨畑の状況が気になった。袋のかかった梨達は、しっかり枝にしがみついているだろうか。

 激しい風雨は一晩中続き、台風は千葉県沖をかすめて通り過ぎていった。

 翌日、部活帰りに「梨屋宇部家」に行った。休業中の看板が掲げられていた。きっと、後片付けに追われているのだろう。私は、しばらく演劇部の絵に集中することにして、海と向日葵の絵を完成させた。


 数日後、牧ちゃんと一緒に宇部家に行くと、今回は「開店中」の看板が掛かっていた。

 宇部家での私のお気に入りは、梨のキャラメルケ―キと梨風味のジンジャーエールだ。

「台風、たいへんでしたね。」と牧ちゃんが店長に言った。「梨は大丈夫でしたか?」

「取れるものは早めに収穫したんですけどね。それでも残念ながら、被害がありました。水は流れ込んでくるし、梨は落ちたり傷ついたり。一生懸命世話してきたけれど、自然の力には、かなわないですね。たった一晩の嵐でお手上げです。」

 店長は、少し悲しげに微笑んだ。

「今日は、おまけの梨を二個ずつあげますよ。」

 窓辺からは、夏空の下にいつものように梨畑の青いネットが見える。この景色は、私の心をとても落ち着かせてくれる。

 牧ちゃんは梨のカスタードタルトとアイスティーを、私は梨のキャラメルケーキとジンジャーエールを頼んだ。

 注文したデザートが来るまで、私達はお互いのスケッチブックを見せ合った。私のスケッチブックには、窓枠のデザインがいくつか描かれていた。ステンドガラスのようにいくつかに分割した窓、円形の窓、ベルの形の窓。

「背景の絵を見せるには、あまりたくさん枠がない方がいいんじゃないかな。デザインは素敵だけどね。」

と牧ちゃんがアドバイスをくれた。

 夜空の絵は、ほぼできていた。あとは月の色にもう少し黄土色を加えようと思っている。雪をかぶった景色の絵は、都市ではなく川の流れるこの場所をイメージして描こうと思っていた。画面に奥行きを持たせて、広々とした感じを出したかった。この廿五里を流れる養老川のように。

「今度、演劇部の人達もこの店に連れてこようよ。」

と牧ちゃんが言った。

 確かに、ここは私達だけの秘密基地にするにはもったいない場所だった。そして、演劇部の人とも打ち合わせをしなければいけなかった。私は、話せないけれども。

 私にとって人と話すということは、窓を開けるのと似ているのかもしれない。窓の外の景色は見えているけれど、窓を開けて風を感じることはできない。話したくても声が出ないのは、そういう感覚だ。外へ行きたいけれど、窓を開けられない。

 店長が持ってきてくれたジンジャーエールを飲みながら、ふと、鳥かごのイメージが浮かんだ。ベル型の窓枠の下の部分を広げず、まっすぐなラインにして、上部の半円のところに放射状の線を入れる。そして四兄弟のいる場所から外側に開いているように見える窓枠にする。ガラスの部分は広めにとって、四季の景色がよく見えるようにする。そんな窓枠を提案しようと心に決めた。演劇部の「アンティークな感じ」という希望と合うかわからないが、飛び立とうとする鳥をテーマにした作品を採用してもらえたら嬉しい。

 私もいつか、窓を開ける時がくるのだろうか。自分で開けなければいけないのはわかっているが、今はまだ、少し怖かった。

「お盆休みが過ぎたら、夏休みもあっという間に終わりだね。」

 タルト生地を割りながら、牧ちゃんが話しかけてきた。私はうなずいた。

 店長が、サービスですと言って、梨のシャーベットを持ってきてくれた。

「秋も冬も、このお店があったらいいのに。」

 牧ちゃんがそうつぶやくと、店長はいつもの優しい笑顔を浮かべて言った。

「終わりがあるから、また、来年が楽しみになるんですよ。」

 梨の収穫が終わる頃、この店も閉店する。店長は、家具職人へと戻っていく。私達の夏も過ぎ去り、秋がやってくる。そして文化祭が終わったら、あっという間に三年生になる。

 私は、「更級日記」の中の、ある歌を思い出した。

 

 年は暮れ世はあけがたの月影の袖にうつれるほどぞはかなき

 

 秋になったら、トンボに「更級日記を読破しました。」と伝えたいな、と思った。声に出しては言えないだろうけれど、紙か何かに書いて渡すことならできるかもしれない。トンボはきっと、眼鏡の奥で目を丸くして、喜んでくれるだろう。それを思うと、秋が来るのも、楽しみになった。私は、窓の外の青空へ目を移した。

                           (完)                          

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