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長い旅路 (小説)

 曾祖母が亡くなった。一二九才だった。現代の平均寿命が一一五
才なので、大往生だと言えるだろう。父からの知らせを受けて、私は急いで姉崎地区の実家に戻ることにした。私の家から姉崎まで、空路で一時間ほどかかる。とりあえず必要な洋服などをまとめると、車をオートフライトモードに設定し、実家へ向かった。道はすいていて、四〇分ほどで実家に着いた。
「親戚もみんな年を取って、千葉まで来てもらうのは申し訳ないから、葬儀はオンラインで行うことにしたよ。」
と父が言った。
私の祖母と曾祖父は他界している。喪主は全て父だった。
「おじいちゃんは?」私は尋ねた。
「ひいおばあちゃんの部屋にいるよ。」
 父が落ち着いた声で答えた。
 
 曾祖母の部屋は、石の庭が見える日当たりのいい場所にある。祖父は窓際のソファに座り、外を見ていた。庭は、大小様々の石が置かれている。
「ただいま。」
と私が言っても、祖父は振り返らなかった。
「ただいま。」
今度はかなり大きな声で言った。
祖父は振り返り、「誰なの?」と言った。
「孫の志乃だよ。」
「遊びに来たの?お母さんは、今、寝ているよ。」
と祖父が言った。
 祖父は九十六才で、まだ若いのに痴呆の症状が出てきていた。
「起こさなくていいよ。しばらくこの家にいさせてね。」
と私は言った。
「お母さんに聞いてみないと。」
祖父が不安そうな顔になったので、
「私は雪さんの友達なの。雪さんに、起きるまで家にいてって言われているんだよ。」
と曾祖母の名前を出して、言った。
「じゃあ、いいよ。」
祖父はにっこり笑った。
 私は時々、曾祖母のことを、「雪さん」と呼んでいた。
雪さんは、うす紫色のカプセルの中に横たわっていた。酸素のスイッチは、すでにオフになっていた。代わりに冷凍システムが入れてあった。祖父の言うように、眠っているようだった。だが、頬に触れると固かった。
「ただいま。」
私は曾祖母に向かってつぶやいた。
 
最後に雪さんに触れたのは、大学を卒業した春休みだった。今から七年前になる。
 同じ教師になることが決まっていたので、雪さんはうれしそうだった。「良かったねぇ、良かったねぇ。」と言って、何度も私の背中をなでた。ただ雪さんは高校教師で、私は小学校の教師だった。
その後は、私が夏のお盆休みを利用して月旅行に行ったり、雪さんが百才以上の人が入れる施設に行ってしまったりして、なかなか直接会っていなかった。施設は、ここからかなり遠かった。画面越しには、何度か会った。3Dモードにすれば、目の前に立っているような感覚だったので、それで実際に会った気になっていた。最後に交わした会話は何だっただろう。思い出そうとしたが、思い出せなかった。仕事のこととか、体に気をつけてね、とか、そんな感じだったと思う。時間が過ぎるのは早い。もっとたくさん話しておけばよかった。
「おかえり。」
母が、珈琲を入れて持ってきてくれた。
「急でびっくりしたでしょう。仕事は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。子ども達が来週やる課題をタブレットに入れてきたから。メッセージで指示もできるし、ここから子ども達の進捗状況も見られるしね。」
 母は、私が教師になることに反対していたが、今では応援してくれている。母が大学を出た時に、教職は人気がなかったそうだ。当時は給料も低く、なり手も少なかったらしい。その後、二一〇〇年の教育改革で、子供達は、毎日学校という施設に通わなくても良いことになり、どこからでも学べるようになった。
ちょうどその頃クローン法が制定され、メディカルチェックを受けて一定の基準をクリアした人のみが、クローン技術で子供を持つことを許され、少子化問題が少しずつ解決してきた。私の同級生にも、クローン技術で生まれた子がいる。例えば、中学の同級生の美哉ちゃんだ。二年生の昼休み、一緒に図書室に行く途中、私にそっと言ったのだ。
「私、クローンなんだって。」
 私は彼女がクローンだろうとそうでなかろうと、別にどうでもいいことだけれど、大事な秘密を話すように二人きりの廊下で言ってきたので、彼女なりには何か思うところがあったのだろう。
「そうなんだ。」
とだけ、私は言ったと思う。その後、美哉ちゃんはその話はしなか
った。
最近では、同期の星野さんが不妊治療からクローン技術に移行し
ようかどうしようか迷っているのだと、食事会で言っていた。クローン技術は、不妊治療の何倍もお金が必要になるのだそうだ。
 性格や能力は遺伝子か環境か、という議論はもう何百年も前から続いているのだと大学生の時に聞いたが、私は、環境だと思っている。一卵性の双子でも、何もかもが同じではないように。だから、自分の知り合いがどんな生まれ方をしようと、私の関わり方が変わることはない。
 
 父に呼ばれた。葬式で使う映像を一緒に選んでほしいという。
「一二九年の人生だから、たくさんあって決めきれないんだよ。」
父が言った。
 空中に、両親と祖父と曾祖母と一緒にスコットランドに旅行に行ったときの写真が浮かんでいた。
「なつかしいね。」母が言った。「おじいちゃんが七十才で定年の時にみんなで行ったから、今から二五年以上前ね。飛行機で五時間もかかったのよ。遠かったわ。」
 母が写真の中の私に触れて、私の顔をアップにした。幼い自分が目の前に迫ってきて、一歩引いてしまった。この機能は便利だと思うが、幼い自分と向き合うのは気恥ずかしい。
「志乃はこの時、まだ三才ぐらいだったのよね。ほっぺが風船みたい。」
 電車の前で皆が笑っている写真が出てきて、父が「これ、いいな。」と言った。
「そうね。」と母も言った。
「志乃が知らない写真もたくさんあるぞ。」
父が言った。
 スケート場だろうか。氷の上で幼い子供の手を握り、笑っている雪さん。子供は多分、祖父だろう。赤ちゃん(多分祖父)を抱いている笑顔の雪さん。海の前で友達と肩を組んでこちらを見ている雪さん。曾祖父の利彦さんとの結婚写真。腕を組んで、幸せそうだ。
「ひいおじいちゃんて、こういう顔だったのね。」
私は言った。
「この写真、見るの初めて?」と母が言った。
私はうなずいて言った。
「雪さんの若いときの写真て、ほとんど見たことがない。」
「3Dにできないくらい古いものが多いからな。」
父が言った。
「データを変換してもらうの、大変だったんだよ。」
 目の前に私の知らない雪さんが立っていた。
 不意に、世界がピンク色になった。
「これ、ちょうど今頃の写真ね。」
 母が言った。
「おばあちゃん、春が好きだったわね。桜という木が好きだったわね。」
 桜の木をこんなに間近で見たのは、初めてだった。姉崎の木は、二〇五〇年の大嵐と十年後のK化学工場大爆発による空気の汚染で、全て枯れてしまった。
 父は、若い頃の曾祖母の写真の選別について、アドバイスを求めてきた。私は「これは使おう。」「これはさっきの写真と似ているからやめよう。」と、サクサク答えた。若い頃の雪さんは、私の知っている曾祖母とは違うので、友達の写真を選ぶように、客観的に見ることができた。
 
 午後、葬儀社の人が来て、父と葬儀の内容について打ち合わせをしていった。
 我が家は、何の宗教にも属していなかった。
 結局、葬儀は二日後に行われることになり、決まった内容は、次のようなものだった。
・曾祖母が好きだった曲「満月の夜にあなたと」を流す。
・カプセルの中を映しながら、曾祖母の人生の主な出来事を葬儀社の人が話す。
・曾祖母のスライドショーを見せる。
・曾祖母の好きだった「長い旅路」をみんなで歌う。
・家に届いているメッセージを披露する。
・父の話。
 その後、曾祖母の遺体はカプセルごと焼却場へ送られ、遺骨は葬儀社が細かくする。粉骨が入ったカプセルが戻ってくるので、骨は庭にまく。カプセルは葬儀社が引き取る。
「ひいじいさんが亡くなった時代は、墓石と呼ばれる家の目印みたいな物があったんだ。」
 打ち合わせの内容を私と母に伝えながら、父は言った。
「私の家も昔はあったと思うわ。」
母が言った。
 父の話によると、墓石を祀る時代はかなり長く続いたが、土地の広さの限界がきて、祖母が亡くなった二〇八〇年頃には、自然への散骨がメインになってきたらしい。
 私の骨も、いずれは風で流されていくのかな。父の話を聞きながら思った。
 
 蝶の模様の黒い漆の箱を父が持ってきたのは、葬儀社の人が帰った翌日の昼だった。
 母は買い物に出かけていて、祖父は昨日と同じように雪さんの部屋にいた。私はリビングで、宇宙旅行の値段が下がるというニュースを見ていた。希望者が多くて、旅行会社の間で客の取り合いになっているそうだ。
父がリビングに入ってきて、大事な話がある、と言った。
「実は」と低い声で父が言った。「遺書があるんだよ。」
「ひいおばあちゃんの?」
「そう。遺産の分け方とか、遺品のこととか葬儀のこととか、全部書いてあるんだよ。だから、昨日の打ち合わせも割とスムーズだったんだ。」
「雪さん、死の準備をしていたんだね。」
「そうだな。まあ、時間はたっぷりあったしな。」
「その箱、遺書と関係あるの?」
 私は、父が手にしている箱を指さした。
「ああ。」と言って、父は漆の箱をテーブルに置いた。
「綺麗ね。」私は言った。
「これは、おまえのものだ。」父がさらりと言った。
「私のもの?」
「この箱はおまえに渡すように書いてあった。」
「ずいぶん高級そうだね。」
 私は箱を持ち上げて振ってみた。カタカタと音がした。
「何か入っている。開けてみていい?」
「いいよ。お前のものだから。」と父が言った。
 そっとふたを開けると、四角いタブレットのようなものと、ジーンズが袋状になったものが入っていた。
「ずいぶん古そうね。」
「仕事で使ってほしいと書いてあったよ。子ども達に見せてあげてって。」
 私は、ジーンズの布でできたものを手に取った。中に何か入っているようだった。ファスナーを開けると、ペンシルのような棒状のものが何種類も出てきた。
 父も興味深そうにのぞき込んでいる。
「懐かしいなぁ。これはたぶん、ボールペンだよ。」
父が一本のペンシルを指さして言った。
「本物のボールペン?」驚いて私は言った。
「たぶんね。」
「社会科の学習で、昔の道具について勉強した時に写真を見たことがある。」
「だから、子ども達に本物を見せろっていうことじゃないか?」
 父が言った。その時、玄関のドアが開く音がして、母が帰ってきた。
「何をしているの?」
テーブルに並べられたペンシル達を見て、母が言った。
「ボールペンだよ、ボールペン。本物の。」と興奮したまま私が言った。
 ボールペンには青いインクが入っていた。インクの周りはプラスチックで囲まれ、太陽に当てるときらりきらりと輝いた。
「聞いたことはあるけれど、見るのは初めてだわ。」
 まぶしいのか、目を細めながら母が言った。同じ種類のボールペンがもう一本あった。インクはオレンジだった。上の丸いスイッチのようなところを押すと、先端から銀色のとがった山が出てきた。
 父が別の種類のペンシルに手を伸ばした。
「これは、木でできているのか?」
 父に渡されて持ってみたそれは、少し重かった。薄い茶色の軸に金色の輪がはめ込まれ、先端も金色に光っていた。軸にはさざ波のように細かい線の流れが描かれていた。
これは、上を押しても何も出てこなかった。五分ほど、みんなであれこれ触ってみて、ようやく回すと先が出てくることがわかった。右に回すと銀色の先端が現れ、左に回すとそれが引っ込んだ。
 本物の木に触るのは、初めてだった。滑らかで、いつまででも触っていたかった。先端だけを見ると、ボールペンの仲間のようだった。
 タブレットペンシルに似た形のものがあった。ただ、とても軽くて、しかもすべて木でできているようだった。ボールペンと違って、先端は黒かった。これは「鉛筆」に違いない、と私は思った。写真で見たことがある。昔の小学生の子ども達は、「筆箱」というペンシルケースに「鉛筆」というものを入れ、「消しゴム」というかたまりを使って書いた字を消していたのだ。雪さんの「筆箱」の中にも「消しゴム」が入っていた。私が写真で見ていたものは白い「消しゴム」だったが、雪さんの筆箱に入っていたものは、なぜか黒かった。
 ひとつだけ、どうしてもわからないものがあった。薄い水色のペンシルで、「ボールペン」や「鉛筆」よりも太かった。宇宙船の窓のような、軸の中が見える場所が二つ、横側に付いていた。キャップを外す時には、カチッという固い音がして、軸には五角形の鋭いナイフのようなものが付いていた。
「なんだろうね。」
と父が言い、
「何かしらね。」
と母が首をかしげた。
 一応祖父にも見せて、「これ、知っている?」と聞いてみたが、「おいしそうだね。」というのが答えだったので、それ以上聞くのをやめた。
 私は謎のペンシルと筆箱に入っていた全てのペンシルを写真に撮って、「これが何かわかる方、教えてください。」というキャプションとともにPARKというページに載せた。
 私はペンシルを袋に戻し、もう一つのタブレットのようなものを
手に取った。薄い白いシートが何枚も重ねられていた。
「これは、ノートね。」
 自信ありげに母が言った。「紙というものを重ねてあるのよ。」
 「ノート」については、私も知っていた。電子化される前の人々の生活に、紙は欠かせないものだったのだ。
ペラペラとめくってみると、最初の数ページにだけ何か書かれて
いた。「利彦」という文字が目に入った。
「ひいおじいちゃんの名前があるよ。」
「日記かな。」父が言った。「それを志乃に渡したかったということ
は、何か伝えたかったんだろう。」
「そうなのかな。あとでじっくり読んでみるよ。」
 私は「ノート」を閉じた。
投稿したPARKに反応があるか気になり、開いてみた。二件の
メッセージが来ていた。二件とも「それが何かはわからないが、興
味がある」という内容だった。
 
 翌日、葬儀は滞りなく行われた。といっても、雪さんも祖父も父も一人っ子なので、オンライン葬儀に参加したのは主に母の親族だった。雪さんの友達はもうこの世にはいない人ばかりだし、父の仕事関係の人達は、メッセージのみ送って、オンライン葬儀までは参加しなかった。当然だ。見ず知らずの年寄りの葬儀をずっと見続けるほど、時間があるわけではないのだろう。
 歌を歌う場面になったら、庭を見ていた祖父が急に立ち上がり、雪さんの手を取って大きな声で歌い始めたのが印象的だった。
最後に父が子供の頃の思い出を話し、参加してくれた方々に感謝の言葉を述べて、葬儀は終わった。
 いよいよ雪さんとのお別れが近づいていた。
葬儀社の人がカプセルのアプリからマップを呼び出し、目的地を焼却場にセットして、オートクルーズドライブをオンにした。そして、「よろしいですか?」と父に尋ねた。
「はい、お願いします。」
と父が答え、カプセルの蓋が閉じられた。
 祖父は曾祖母の入ったカプセルをじっと見ていた。
「志乃が送り出してあげなさい。」
 父に言われ、私は葬儀社の人から渡されたリモートコントロール
のスタートの文字の上に、指をのせた。
 カプセルはゆっくりと滑り出したかと思うと、あっという間に見えなくなった。
 
 雪さんが粉になって戻ってくるまで、時間があった。自分の部屋で、もう一度PARKの投稿を開いてみた。メッセージが一件増えていた。新しいメッセージを開くと、
「それは、万年筆だと思います。」
クレヨンという名の人が、そう書き込んでいた。
「万年筆とは、軸の内部のインクという液体が毛細管現象という仕組みを利用してペン先に流れて、字を書くことができるものです。今でも残っているなんて、感激です。大切にしてください。」
 その人は、昔の道具を調べるのが趣味だと書いていた。私はお礼
のメッセージを送った。
 一時間ほどで、粉になった雪さんが帰ってきた。
ガラスビンの中に、星の砂のような雪さんがいる。ガラスビンを出すとカプセルの蓋が閉まり、自動で走り去っていった。家族で話し合った結果、萌黄色の庭石のまわりに撒くことにした。
 
 雪さんとのお別れが全て終わり、家に帰る前日、庭を見ている祖父に挨拶をした。雪さんが亡くなって、祖父がどうなるのか心配だったが、今まで通り石の庭を見ながら、うつらうつらと一日を過ごしていた。
 ソファに座る祖父の正面に回り込んで、声をかけた。
 祖父の表情からは、今、何を考えているのか読み取ることはできなかった。
「私、明日帰るね。」
祖父は目を大きく開けて言った。「あ、僕も明日帰るんだよ。」
「同じだね。」私は笑った。「また会おうね。」
「うん。また会おう。」笑顔で祖父が言った。 
また空路で家に戻り、一人の部屋で荷物の整理をしながら、あの漆の箱を取り出した。私はそっと蓋を開け、曾祖母の残したノートを開いた。手書きの字は、慣れていないせいか読みにくかった。一行目には、2023/3/8と書かれていた。今からちょうど百年前だ。雪さんが二九才の時。まさに今の私の年だ。ソファに深く座って、読み始めた。
 
2023/3/8
 今日、学校の畑にハート型の足跡があった。イノシシだ。それほど大きくないので、まだ子供なのかもしれない。生徒達と植えたジャガイモが掘り起こされていた。足跡の形はかわいいが、畑を荒らされるのは困る。最近、山が切り開かれて海外マートの巨大倉庫が作られているから、イノシシ達は住み処を失っているのだろう。里山が残っていれば、イノシシ達も住宅地まで降りてこなかったかもしれない。市役所から、イノシシ出没による注意喚起のメールがしょっちゅう届く。そういえば、一昨日、クラスの香織さんが「先生、犬の散歩の途中でイノシシを見たんです。」と言っていた。通勤途中に、道路で車にひかれているのもよく目にする。倉庫ができてから、明け方のトラックの往来が増えてきた。このままの勢いでいったら、もしかしたら将来、このあたりの景色は里山がなくなって全て建物に変わってしまうかもしれない。
 ところで、私はイノシシの肉を食べたことがある。駅前の餃子屋さんで、豚まんではなくイノシシまんが売られていたので、興味本位で買ってみた。臭みはなく、豚肉よりも噛みごたえがあった。おいしかったので、また買いに行くと思う。
 かわいそうと言いながら、おいしいと食べる私。
 
2023/3/17
 卒業式が終わった。この三年間、卒業式で歌が歌えなかった。今年はマスク着用で歌を歌うことができた。新しい感染症とどう向き合っていけばいいのか、私自身の中でも迷いと葛藤があった。子ども達の感染は防ぎたい。かといって、子ども達の大事な時間もむなしく過ごさせたくない。自分の立ち位置を試される三年間だった。ようやく少しずつ以前の生活に戻りはじめている。マスクも外して良くなり、旅行に出かけることもできるようになってきた。
 それにしても、今日の卒業式は素晴らしかった。自信を持って子ども達を中学校に送り出せると感じた。
みんな、これから良い旅を。
 
2023/3/26
 六年生を共に担任した足立利彦先生と、迎田にある大俵桜を見に行った。樹齢一五〇年以上の山桜だ。利彦先生が、学校の近くに知る人ぞ知る桜の名所があるから一緒に行こう、と誘ってくれた。
菜の花は満開だったが、桜は七分咲きで、満開までもう少しだった。マスク越しにも菜の花の甘い香りを嗅ぐことができた。木で作られたテーブルやベンチもあり、私達はベンチに座って桜を眺めたり、この一年のことを振り返ったりした。お互いの写真もたくさん撮った。桜色と菜の花の黄色の組み合わせが美しかった。
「きれいな空気を吸いたいな。」と利彦先生が言って、マスクを外した。初めて近くで顔全体を見たので、私の方が緊張してしまった。目は細いのに、唇はけっこう厚かった。一年間、利彦先生はとなりのクラスにいたのに、マスクを外した顔を見ていたら、まるで知らない人のように感じた。鼻筋が通っていて、顎がとがっている。もっとこの顔を見ていたいと思った。
 管理をしている方なのか、眼鏡をかけて名札を下げたおじさんが、いい天気だね、と声をかけてくれた。あと二,三日で満開になる思うよ、と言った。「草刈りや山道の管理をするのは大変でしょうね。」と利彦先生が言ったら、「いろいろな人が大俵桜を見に来てくれるし、話もできて楽しいよ。」とおじさんは笑った。
 来年も、また来たいな。できれば、利彦先生と。
 
 日記は、この三日だけで終わっていた。忙しくなったのか、飽きてしまったのか。
 でもきっと、雪さんは翌年も利彦さんと桜を見に来たのだろう。百年前の迎田を想像してみる。空気が澄んで山桜が咲き、鳥がさえずる美しい世界だったのだろう。変わりゆく世界を、曾祖母はどんな思いで過ごしてきたのだろう。利彦さんは旅立ち、桜の木も山も今はもうなくなってしまった。
 ふと、私は最後のイノシシについて考えた。千葉県のイノシシは緑の減少とともに数を減らし、今から三〇年ほど前に絶滅してしまったと聞いている。県内で最後まで生きたイノシシは、寂しかっただろうか。どこで死を迎えたのだろうか。人間に食べられたのだろうか。それとも、土に返ったのだろうか。
 私は、雪さんと利彦さんのことをお話として書き留めたいと思った。里山のある景色があったこと。古い山桜がさいていたこと。明るい黄色の菜の花が咲き乱れていたこと。素敵な花の香りが漂っていたこと。幻の動物がまだ現実としてたくさんいる時代のお話。大嵐や空気汚染で緑が失われる前のお話。
 筆箱に入っていたペンシルを、一本ずつ出して、書けるかどうかノートに線を引いてみた。「鉛筆」だけが、書くことができた。
 どうしても、手書きで二人のことを残したかった。キーボード入力ではなく、手を動かして字を書きたかった。
 私は鉛筆を持って、雪さんの日記の次のページを開いて書いた。
 
 曾祖母が亡くなった。一二九才だった。

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