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自分を生きると決めたら・・・


「自分らしく」という言葉が
最近世の中に溢れていて、
自分らしく生きていいんだよ、という流れが
広がってきている喜びを感じつつも、
「そもそも自分らしく」って?
「ありのままの自分」って?
と今一度
自分と向き合う必要性を感じています。

今年に入ってひらめきで
参加してみた
れんげ舎のサークル「じぶん綴り方」


今月のテーマが
「myしゅぎょう」だったので、
ここ最近ずっと考えていたことを
まとめてみます。


わたしの1番小さい時の記憶は

3歳?くらい?のわたしが、
実家の2階の部屋でひとりぼっち残されて
ぼーっとヤクルトを飲みながら
おばあちゃんが帰ってくるのを待っている

そんな姿でした。

常に空気を読み、
周りの期待に沿うように
心を遣って
やな言葉や罵声や
愚痴なるものを小さい頃から延々と
聞いてきました。
そうだね、そうだね、と。
カウンセラー歴はある意味
長いかもしれません。笑

期待に応えること。
優等生であること。
なんでも出来る子であることは
必須であると
なぜかずっと思っていました。


小中高は
それなりに楽しんでいたのかもしれないけど、
楽しいと思う思い出はそんなになく、
やっと自分、というものに気づいたのは
大学で地元を離れてから、だと思います。


ずっと自分の中に何人もの自分がいて
その時々で
「〇〇の時の自分」を演じていたのです。


なにか生きてることに
違和感を感じていたのは、
周りへではなく、
自分に、だったのかもしれないなと、
最近になって気付きました。



少しずつ
本当の自分でいられる場ができ、
そのままでいても安心できる人や
仲間ができていって、
「自分を生きる」と決めたら、
すごく世界が変わった気がします。


そんなわたしのmyしゅぎょうは、
「自分が感じたことを見逃さず、
一度受け止めてみること。」

言いにくいことも、
ことばにして一生懸命伝えてみること。
これは日々大切にしているしゅぎょうです。


さらに!
重要なmyしゅぎょうは
「自分の特性と向き合うこと」


自分らしく生きることにしたら、
実は自分がHSPやADHDの特性を持っていて、
(今までは人に合わせればいいし、祖母両親がレールをしいてくれてたり、ピシッとするように鍛えられていたので特性があんまり出てなかった!)
とんでもなく出来ないことや、
凸凹だらけな新しい自分に気づいてしまったのです。


まーたやらかしちゃったよ。
の連続を、
ただ落ち込むのではなく、
冷静にどうしたのか、どうすればいいのか、
受け止めて自分を必要以上に責めない。
毎日処方箋をつくっていくかのような
日々の積み重ねを
myしゅぎょうとしてやっています。

ADHDの記録はこちら↓

https://note.com/muumom/m/m651362f37835


そんな自分を研究する日々が
意外にも面白く、
考えてることを
アウトプットして
シェアできるとまた新しい自分や世界に出会えるから
myしゅぎょう
続けたいなと思います。


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