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あの時、私は若かった②お先に、失礼します
昨日に引き続き、想い出の喧嘩、二つ目。
これは喧嘩というより、喧嘩しそうになったので先に帰った話。
あれはたしか40代の頃。
製造業を営む企業の会社案内を作ることになった。A4判で16ページだったと思う。会社のポリシーや仕事の内容を紹介する冊子で、一般の人が見ることはあまりない。BtoBの営業で使ったり、人材採用の際に求職者に渡したりするものだ。
広告代理店が受けて、コピー担当の私とカメラマンはフリーランス。
デザインは代理店内のデザイナーだった。
全体の方向性を決めるディレクションは代理店の営業マンが担当。
仕事の規模がそれほど大きくなければ、地方都市の代理店では営業マンが陣頭指揮を執ることが多い。
この時の営業マンは私より5つほど年上。制作寄りで、作ることが大好き。何度も一緒に仕事をしたことがある仲で、制作のことをよくわかってくれているのはありがたいのだが、ちょいとこだわりが強い。
この会社案内もいつもと同じように打ち合わせもスムーズに進み、営業マン、カメラマン、私の3人で取材に行くことになった。
製造業なので、工場の見学もしなければならない。
工場長に仕事についての話を聞き、誌面に反映させるのだが、ここで営業マンの迷走が始まった。
中小企業だから、工場長といっても、一日のほとんどを工場で過ごす定年直前のおじさんである。ぺらぺらと話せるわけもなく、でも最初は「うまく答えられますかなあ。」とか言いながら和やかに進行していたのだが・・・。
工場内の見学が終わり、テーブルについて話を聞く段になって、営業マンが工場長の話を、自分が思い描いている会社案内の流れに無理やり持っていこうとしだしたのだ。
工場長は営業マンの質問に答えるのが精一杯といった様子。
営業マン「~~~というのは~~~ということですね?」
工場長「・・・」
営業マン「すごいですねえ。やっぱり~~~ですよね。」
工場長「・・・」
最初はにこやかに話をしていた工場長だったが、こんなやりとりが30分ほど続いた時、ついに絞り出すように言った。
「意味がよくわからないんですけど。」
もう~、こんな取材初めてだった。
かの営業マンは何を思ったのだろう。30年近くも広告マンをやっていて、
自分がやっていることが変だと思わなかったのか?
いや、30年近くやっていたからこそ、いい物を作りたいという気持ちが
まさに暴走したのだろう。
取材が始まって20分ほど経った時に工場長の苦しそうな様子を感じて、
この状況をどうすればいいのか、私まで苦しくなっていた。
「私、倒れるかも」と思ったとき、正午のチャイムが鳴った。
営業マン「それじゃ、いったん昼休憩にして、また午後、よろしくお願いします。」
ゲッ、まだ続くのかよ。心でつぶやきながら、近くの店で昼食をとろうという営業マンとカメラマンについて工場を出た。
カメラマンはあの苦しそうな状況をあまり感じていない様子。
店の入り口で遂に私はギブアップ。午後もまた営業マンの暴走が続くのかと思うと吐きそうになり、工場の見学もしたし、話もだいたいわかったしで、思わず
「ちょっと体調が悪いので、ここで失礼させてください。」と言って
昼食は食べずにとっとと引き揚げた。
ああ、しんどかった。
こんなに息苦しい取材は後にも先にもこれ一度きり。
【この一件で得た教訓】
周りを見て一呼吸。情熱にも時には冷静さが必要。
その後、その営業マンは相変わらず仕事に燃え、良い仕事をしたり、
一人浮いたりしながら定年を迎えた。
平成・令和の若者たちには、なかなかその情熱が伝わらなかったようだ。
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