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人生の最後がこんなことでいいのか?!後悔を後悔で終わらせないために④

姪親子のせいで人生台無しになった下の叔母の言い分は、
だいたいいつも同じらしい。
始まりは、自分が行きたかった高校の受験に失敗したこと。ふ~、70年前?!
自分の親が病気になり、タイミングを逃し、結婚が遅くなったこと。子どもができなかったこと。etc

人生に後悔のない人などいないだろう。
悔しさや、自分の不甲斐なさや、恨み、ねたみ、そねみ。
そんなものは感じたことがない、という人はいないだろう。
みんな、なんとか折り合いをつけ、時間が経てばその感情も薄まり、「黒歴史よな~」などと思いながらも、次に進む。

確かに気が強すぎる面はあったが、あの、みんなから頼りにされていた憧れの叔母はどこに行ってしまったのか?
病気が言わせているのであろう人生の後悔や恨みは、かつてはおくびにも出さなかったけれど、ずっと心の奥に抱えていた感情だったのか?

話を聞いた私の友達は、「自分もそんな恨みつらみを気がつかないうちに喋り出したらどうしよう・・・」と心配していた。
だから、思ったんだ。
心残りはその時々で解決し、昇華しておかないと大変なことになる、と。

人間だから、悔しかったり、妬んだりするのは自然なこと。
でもそれをそのまま負の感情で終わらせてしまってはいけない。

「下の叔母さんは寂しかったんじゃないの?」という友達もいた。
注目されていた現役時代とは違って、夫も亡くし、一人になった寂しさ?
現役時代も寂しがり屋だったから、強気で注目されるように振る舞っていたのだろうか。認知症が進んでしまった今は、もう確かめようがない。

下の叔母の若い頃を知るいとこと私は、悲しいとか、辛いとかというより、「残念としか言いようがない」といつも電話で話す。
はつらつとして明るく、元気だった叔母も本当の叔母だったと思いたい。

***

重い話を読んでくださって、ありがとうございます。
楽しい話じゃないし、下の叔母の恥部を晒してしまうような話をnoteに書くのもどうかなあと思ったんだけど、自戒の念も込め、記録として書き留めました。このnoteは私の長い遺言でもあるので。

その日その日を大切にしようと思います。

(おわり)



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